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2012年2月20日(月)ウィーン放送響、日本公演迫る 今回の来日公演は、3月4日から20日までの12回。指揮は2010年秋から常任指揮者となったコルネリウス・マイスター。東京、長野、新潟、神奈川、大阪、愛知、岡山、福岡、鹿児島の各会場で行なわれ、演奏曲目は、コンサートによって組み合わせが変わりますが、ブラームスの交響曲第1番、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、同じくピアノ協奏曲第5番「皇帝」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲など。ソリストはピアノがシュテファン・ヴラダー、ヴァイオリンがベンヤミン・シュミットです。詳しくはどうぞこちらをご覧下さい。 来日を控えたウィーン放送響メンバーの友人からのメッセージをお伝え致します。「2009年、2010年にはコンサートに来て頂き、本当にありがとうございました。今回も皆様に喜んで頂ける演奏をしたいと、最後の練習に励んでおります。今回はブラームスもあり、楽しみです。どうかよろしくお願い致します」 もうチケットをお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、次回は充分日にちを取ってお知らせしたいと思います。今回は情報入手が遅れ、大変失礼を致しました。ド・ビリーから、マイスターに替わっての、ウィーン放送響来日公演、どうか心より楽しんで頂けますよう願っております。 2012年2月17日(金)エレベーター、ついに完成! 2012年2月16日(木)オペラ座舞踏会 今日は舞踏会中の舞踏会と言われるオペラ座舞踏会(オーパンバル)。世界中から王侯貴族、政界、財界の名士、俳優、歌手などが集まるいわば最高の社交の夜です。貸切ロージェのお値段は何と2万ユーロ(200万円強)だそうで、名士の方々はここを借り切って、お客様を招待、人脈を広げたり、商売を進めたりする格好の場として利用しています。王族、政界からはタイ王室のお姫様、リヒテンシュタイン首相もいらしていました。もちろん、この華やかで、豪華で、うっとりするような素晴らしい晩を楽しむために来ている人たちもたくさん。毎年、有名人がどんなドレスを着て来たか、誰が誰と一緒に来たかといったようなことも話題になります。 2012年2月15日(水)聖バレンタインの贈り物? ステロイド剤を飲まずに熱が下がるためには、免疫システムが変わらなければなりませんから、体の中は今、革命勃発中で大騒ぎのはず。今まではなかった経過を取ったり、症状も違っていたりしながら、少しずつ本来の免疫システムの機能を取り戻していくのだと思います。そしてステロイド剤を飲まなければ、免疫力は回復して行きますから、良循環が起こってくるはず。 で、まずはステロイド剤なしで108日間も過ごせたという大記録が、何よりの聖バレンタインデーのプレゼントでした。さて次回は、どれだけ無熱で過ごせるか、またどれだけステロイド剤なしで過ごせるか、頑張ってみます! 2012年1月28日(土)日本モーツァルト愛好会 その時ご協力下さった方々の中に、日本モーツァルト愛好会の皆様がおられました。その愛好会の有志の方々がウィーンにいらっしゃるという知らせを受けて、27日、お泊りのホテル・インターコンチネンタルにお訪ねしました。愛好会代表のMさんにお会いしたのですが、署名へのご協力、またその後のRSO日本公演を訪ねて下さり、さらに楽屋にRSOメンバーの友人たちを訪ねて下さって、その時の写真をお送り下さったり、ということがありましたので、初めてお会いしたという気がしませんでした。ロビーのカフェでお話しているところへ、愛好会の会員の方が散策から戻って来られて、さらにお二人がおしゃべりに加わられて、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。 「日本モーツァルト愛好会」 のホームページはこちら↓です。 2012年1月26日(木)零度の中、ウィーンの森散策 2012年1月13日(金)ウィーンに初雪! ところがお昼少し過ぎに、パチパチと音がするので、何だろうと窓の外を見たら、突然小さくて固い雪の塊のような、あられのようなものが降って来ました。そしてほんの少ししかしないうちに、それは吹雪に変わったのです。強い風に吹かれてほとんど横から降っているようです。猛吹雪でした。暖かいので、油断して冬用タイヤに付け替えていない人も結構いるので、あちこちで交通事故も起こったようです。何というお天気の変わりよう!うう、こんなお天気にはうちに閉じこもっているのが一番と思っていたら、それもほんの1〜2時間で止んでしまい、晩になったらちょっとだけ積もった雪も、もう消えてしまいました。どうも最近眠れないと思ったら、お天気のせいだったのね。印象的な初雪の日となりました。 昨日は漢方のケヴィン先生の所へ診察に。ここ何日かなかなか眠れなかったからか、前の晩、38℃の熱が出てびっくり!これじゃあ、明日先生のところへ行くのは無理かも知れない、でもまあとにかく今日はこのまま寝て、明日様子を見ることにしよう、と思って眠りました。で、朝起きたら、何と35.9℃に下がっています!またもや、ステロイド剤を飲まないで下がったのです。 触診の時、ケヴィン先生は、わ、すごく変わった!びっくりしたよ!お腹がずっと柔らかくなった。前はパンパンに固かったんだよ。お腹の固さは、血液の状態を反映してるんだ。血液が全体的によくなってきた証拠だよ!ですって。ちょっとくらい熱が出ても、自分で治せる、自然治癒力が蘇ってきたね、と言われて、本当に嬉しかった!先生も「最高のお年玉だ!」と言って喜んで下さいました。 ああ、その後のいつものイタリア料理店でのお昼ご飯の、おいしかったことと言ったら! 2012年1月7日(土)「フィガロの結婚」とシュテルンジンガー 1月5日(木)、国立オペラ座に「フィガロの結婚」を聴きに行きました。新年の初オペラです。で、脇の入り口から入ると、あら、シュテルンジンガーの子どもたちがいるではありませんか!ここでも毎年歌うなんて知りませんでした。そこでパチリ。 実は出掛ける前の夕方4時半頃、インターフォンが鳴ったので、「どなたですか?」と聞くと、「シュテルンジンガーで〜す!」という子どもたちの声。やっと、今年は彼らの歌が聞ける!と喜んで建物入り口のドアを開けました。で、下の方から歌声が聞こえて来たので、各戸を訪ねながら、だんだん上に上って来るんだと思って待っていたのですが、歌声もすぐ止んでしまい、その後はシーン。2軒目以降が続けて留守だったので、帰ってしまったのでしょうか。我が家のドアの上に、お守りの言葉を書いてもらいたかったし、彼らの写真も撮らせてもらおうと思っていたのに、残念!と思いながら、オペラ座に来たら、思いがけずもシュテルンジンガーたちがいた、というわけでした。 さて公演の「フィガロの結婚」は、どの歌手もとてもよくて大いに楽しめたけれど、特に伯爵夫人のロジーナが印象に残りました。今日は、アルマヴィーヴァ伯爵の使用人、フィガロとスザンナの結婚式。伯爵はスザンナに執心しているので、自分の部屋に近い部屋を二人に与えますが、フィガロも伯爵の下心に気づきます。同時に女官長のマルチェリーナは、フィガロを憎からず思っていて、お金を貸しており、借金を返せない場合はあなたと結婚します、というフィガロの証文を持っていて、何とか最後のチャンスの今日、願いをかなえようとねらっています。伯爵夫人は、伯爵の愛が遠のいたことを嘆いています。 そこでフィガロとスザンナを何とか結婚させまいとする側と、何とか結婚を実現させ、伯爵の愛をロジーナに向けさせようとするフィガロ、スザンナ、ロジーナ側とのだましあいゲームが始まります。筋はかなりのドタバタ劇なのだけれど、ドタバタに落ちてはいず、素晴らしい歌唱とあいまって楽しめました。使用人のスザンナとフィガロの力を借りなければ、伯爵を自分の方に向かせることのできない自分の屈辱と悲しみを歌うロジーナのアリアは、心情が切々と伝わって来て素晴らしいと思いました。さて、フィガロに迫ったマルチェリーナは、実はフィガロの母親、医師バルトロがその父親と分かり、結婚話はおじゃん。バルトロとマルチェリーナの間には、昔の愛が再び蘇り、目出度くスザンナとフィガロ、マルチェリーナとバルトロの二重結婚式となります。伯爵夫人はスザンナとはかって、衣装を交換して伯爵をおびき出し、見事に伯爵に謝らせることに成功します。 「フィガロの結婚」は、筋としては「セビーリャの理髪師」の続きですが、昨年聴いた「理髪師」の方は本当のドタバタ劇になってしまっていたのに比べ、「フィガロ」の方はドタバタ筋でありながら、渦中にある人物の心情が深く表現されていて、さすが当時売れっ子リブレッティストだったダ・ポンテの作品だと感心しました。だって「コジ・ファン・トゥッテ」のリブレットも素晴らしいですもん。もちろん演出の影響も大きいと思うので、一概にそう言い切ってしまうことはできないかも知れませんが、とにかくとても楽しめた公演でした。 2012年1月1日(日)新年おめでとうございます 2012年元旦 皆さま、よいお正月をお迎えでしょうか。昨年は当ホームページにご支援、応援を頂き、ありがとうございました。また皆さまが掲示板に折に触れて書き込んで下さったお蔭で、楽しく、有益な一年になりました。心よりお礼申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い致します。 昨晩は例年のごとく、12時になるのと同時にシュテファン大聖堂の鐘、プンメリンが鳴るのを聞きながら、シャンパンで新年おめでとうの乾杯。テレビからは「美しき青きドナウ」が流れ出し、あちこちで爆竹が鳴り、次々と花火が打ち上げられました。我が家の南側の窓からは、ウィーンの森一帯と丘の上のオーストリア放送局の建物が見え、その上はたっぷりの空。花火を見るには最高の場所です。色とりどりの花火を眺めながら、今年がよい年になりますようにと願いました。 ウィーンの中心、旧市街には、「大晦日の小径」が設けられ、各所に舞台が設置されて、午後2時から午前2時まで、各ジャンルのコンサートやワルツの講習会など様々な催しが行なわれました。カラオケや子供向けの催しもありました。何と80万人の人出だったそうです。集まった人たちは、12時の鐘とともに用意してきたシャンパンで乾杯、スピーカーから流れる「美しき青きドナウ」のメロディーに乗ってワルツを踊りながら、新年を迎えました。 写真のお正月飾りを見て、あれ? どうしてクリスマスツリーがまだ飾ってあるの?と思われる方は多いと思います。でもオーストリアでは、これが正解。クリスマスはまだ続いています。ツリーはクリスマスイヴに飾りつけ、1月6日のカトリックの祝日、「三聖王の日」に片付けます。その間にツリーに付けた食べられる飾り、フィンガーチョコや穴を開けて下げたクッキーなどが、少しずつ減っていくというわけです。 三聖王というのは、星に導かれ、誕生祝いの品を持って、エルサレムを訪ねた東方の三博士のことで、写真の三体のお人形はその三聖王を模しています。この日には、子どもたちが三聖王の姿に扮して、導く星の役の子どもと4人で各戸を回り、クリスマスの歌や新年の歌を歌って、お菓子やお金をもらいます。近年では教会からの奉仕として子どもたちが各戸を回り、発展途上国の支援などに使う寄付を集める習慣が定着して来ました。 この行事をシュテルンジンゲン(Sternsingen=星を歌う)と言い、寄付をすると、入り口のドアに西暦と、C+M+Bを組み合わせた文字を書いてくれます。C+M+Bは、三聖王カスパー、メルヒオール、バルタザールの頭文字と思われていることが多いようですが、実は「キリストよ、この家を祝福したまえ」の頭文字をとったものです。三聖王の名前の頭文字に合わせて、この言葉が考え出された可能性もあるそうです。今年なら、「20*C+M+B*12」となります。 このシュテルンジンゲンが終わると、アドヴェント(待降節)から約一ヶ月続いたクリスマスが名実ともに終わります。
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