・更新日誌・
4月24日 ちっともリアルじゃない旅日誌 はこちら
2006年6月30日(金) ウィーンで干物!
今日、ウィーンで初めてアジの干物を食べた! 北海沿岸の水産会社からみんなで共同購入をしているので、どうぞ、と誘って下さった方がいて、加わらせてもらったのだ。とにかくウィーンで何が食べたいかって、干物とかおいしい白菜の漬物とか、ごく普通なのになかなか手に入らないもの。
玄米ご飯を炊き、野菜サラダも作って、さあ、焼くぞ! もちろん魚焼きグリルなどないし、干物は冷凍だ。オーブントースターで焼いたら、後でパンがお魚くさくなりそうなので、フライパンで最初は少しだけ強火、すぐ中火の弱くらいにしてゆっくり焼いたら、解凍もうまくいき、かつ火も中まで通っておいしく焼けた! ああ、おいしかった〜ぁ! ウィーンで初めての干物でしたよぉ! もう感動もの! ゆっくりと味わった。味噌汁はあまりの暑さに省いたけれど、ご飯にはのりを添え、栄養の上からも完璧! 2パック(計10枚入り)買ったので、あとまだ長く楽しめると思うと嬉しい〜! 誘ってくださって、本当にありがとう!
2006年6月26日(月) 猛暑としその葉
ここ一週間ずっと猛暑が続いている。一度は北側で34℃の日があった。石の建物の中は涼しく、気温も数年前までは上がっても30℃くらいだったし、湿度も低いので、夏といえば最高に気持ちのよい季節だった。もちろん冷房など必要なかった。ところがその後、寒中お見舞いをもらいたいような寒い夏(7月に暖房を入れた!)とか、36℃、37℃まで気温が上がり、最上階の住まいの室温が急上昇、熱射病で倒れる住人が続出、中には亡くなった人まで出るなど異常な夏が続いている。ここ1,2年、ついに個人住居用の冷房機器が売り出されるようになった。でも一時的にしか使わないものなので、窓を少し開けて排気用(?)のホースを出しているのが、どことなくユーモラス。オーストリアは冬の寒さが厳しく、長く、辛い土地柄だから、家の中を風が通るのを嫌うため、一方向にしか窓のない集合住宅も結構ある。そのためこれだけ気温が上昇すると、家の中の暑さはすごいことになる。
我が家はありがたいことに、南東と北西に窓があるので、窓を全開にし、風を通して何とか耐えている。それでもいつだったか36℃を越えた時には、幾ら湿度が低いといっても、南側の部屋で仕事をするのは不可能になり、北側の台所でひたすらアイスクリームを食べていた。今年はまだそこまでは行っていないけれど、まだ6月。夏は始まったばかり。これから本格的猛暑に入るのか、それともまた大雨の夏? 今くらいの暑さとお天気が続いてくれればいいな。
今日、友人が嬉しいことに、しその苗を届けてくれた。さっそく小さな植木鉢によい土を入れて植え、水をたっぷりやって、南側の窓辺に置いた。しその葉を刻んで添えるだけで、単なる和食が本格的和食に早変わりする。ああ〜、しその香りのするおそばを食べるのが楽しみ! 早く育って、いっぱい葉っぱをつけてね!
2006年6月19日(月) 目が回る〜ぅ!
5月終わりから6月上旬まで、まるで冬みたいな暗くて、寒くて(最高気温10℃)、雨ばかりの日が続いていた。暖房もしていた。ところがその後一気に気温が急上昇、毎日毎日30℃前後まで上がる暑さ。今日は北側が31℃! じーっとしていても汗がジワ〜ッ、ジワ〜ッ。
で、さっき書き物をしていたら、何だか少し気分悪いような、世界がぐらぐらするような変な気分。目を上げると確かに天井と壁が回っている!一瞬ダニから感染したボルリオーゼのせい?!という思いがかすめたのだけれど、検査に異常があれば知らせてくれたはずだから、ダニの方はもう大丈夫と思ってよさそう。急いでソファに横になって目を閉じ、しばらく深呼吸を続けた。それからそっと目を開けたら、ホッ。もう何でもない。多分、突然の暑さで体温調節機能がついて行けなかったのだろう。でも、突然? 一週間前になったなら分かるけれど、今までなんでもなくて、毎日の暑さに慣れたはずの今頃そんな症状が出るなんて、私ってどうも体温調節機能まで鈍いらしい。それとも今日の暑さは特別厳しかったのかな?
2006年6月8日(木)
眠れる森の美女
中村祥子の美しいダンスに魅せられて、またまたバレエに行ってしまった。「白鳥の湖」の時は、バルコニー席の右サイド1列目だったけれど、今回は1階右側で舞台から3つ目のボックス席で、チケット料金は同じく1000円。2列目4番席なので座っていると舞台の半分やっと見えるかどうか、なのだけれど、立って見るととてもよく見えた。
とにかく舞台と衣装の美しいこと、まるで夢のよう!主役以外のソリストたちの見せ場も幾つも用意されていて楽しめたし、主役の中村祥子の愛らしかったこと!(役では15歳のお姫様)。お姫様が眠ってから百年後に、王子様がすっかりいばらの茂みに包まれたお城の近くへ、狩りの催しでやって来る。その時の人々の衣装が、ちゃんと百年後のファッションになっていて面白かった。それでつい思ってしまったのが、王子様はお姫様の話す言葉がやたら古臭く聞こえなかったかしら、衣装も、おお、超レトロ!って感じなかったかしら、話していて、あらぁ、何だかついていけないなあ、なんて思わなかったかしら、なんていう、まるで余計なこと。童話は象徴的な人生の物語なんだからね。
中村祥子は手(と腕)による情感の表現が特にずば抜けているんだ、と今回確認。王子様役は、白鳥の湖の王子様と同じダンサーだった。確かに技術は素晴らしいのだけれど、どこか優雅さに欠けていてあまり王子様らしくないのが残念だった。それは彼の体格ががっちりしていて、体操選手みたいなせいもあるだろうけれど、でも多分それだけではないはずだ。う〜ん、でもやっぱり、もうちょっとほっそりしてて欲しかったなぁ。それはさておき、ウィーンを去る間際に中村祥子の舞台を二度も見られたのは本当に幸運だった。ひと時の美しい別世界をありがとう。
2006年6月4日(日)
ダニ騒動
5月20日の晩、突然左足外側のくるぶしの斜め上あたりに鋭い痛みを感じた。びっくりして見ると、何かに刺されたような跡があり、傷のまん中に小さな小さな黒い点。ひょっとしてダニ?! このダニは脳膜炎を媒介するというので恐れられているダニなのだが、私は持病のせいで予防接種が受けられない。何しろ今まで本物を見たことがないので、急いでインターネットを調べまくると、大きさはせいぜい1mmとある。やっぱり、ダニの可能性が高い。できるだけ早く抜き取ることが大事、とあるので、裁縫用の先が平らなピンセットで小さな小さな点を挟んで引っ張ると、うまく抜き取れた!でもあまりに小さくて本当に虫なのかどうかもわからない。
ダニの感染率は2〜4%と言われているが、もし感染ダニに当たってしまうと、すぐなら後からワクチンを接種することもできるが、症状は風邪のようなので診断が遅れるとかなりの効率で死に至り、うまく死を逃れても、半身不随などの重い障害が残る。やっぱり心配なので、夜中に近くのヴィルヘルミーネ病院に行くことにした。私の主治医S先生は、この病院の先生でもあるのだ。で、病院の中をあっちこっち探し回った挙句、やっと病院の人を見つけて事情を話すと、すぐ電話連絡をしてくれて、当直医のいる皮膚科病棟に行ってくれという。
そこにはすでに待っている人が一人いた。しばらく待っていると、中から脚に包帯を巻いた若い男性が出てきて、待っていた友人らしき男性に肩を抱えられてエレベーターに乗り込み、帰って行った。
で、いよいよ私の番。担当の女医さんは、虫はもう取ってしまったので、感染していたかどうかはわからないし、今は何もできない。もし感染しているとすれば潜伏期間は2週間くらい
(こちらは、このダニが媒介するもう一つの恐ろしいバクテリアによる病気、ボレリオーゼのことか?)だから、傷と身体の状態に常に気をつけて、何かあったらすぐ知らせるように、と言う。潜伏期間がそんなに長いとは知らなかったし、とにかく万が一のことがあっても、打つ手はあるのだから大丈夫、ということが確認できてホッとした。家へ戻ったら午前3時。心も大混乱だったし、疲れた〜。
S先生は週に2回、2時間ずつ、個人でも診療所を開いているが、なかなかその時間に電話できなかったり、祝日が入ったりで、やっと電話できたのが、6月1日。彼は「じゃ、明日病院の私のところまでいらっしゃい」と言う。それで、翌日の金曜日の午前中、ヴィルヘルミーネ病院へ。A病棟(S先生はここの部長さん)の受付に行くと、すぐ前の休憩室のような部屋で待っているように言われる。
中にはすでにS先生がいて、細くて背の高い男性患者と話している。彼はすごく興奮している。かなり離れていて何を話しているのかはわからないが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という単語が耳に入ってきた。これは運動神経が少しずつ少しずつ破壊されて行き、だんだん手足が動かせなくなり、食べ物が飲み込めなくなり、ついには呼吸もできなくなるという原因不明の病気。興奮するのもわかるというものだけれど、S先生は患者の話にちゃんと耳を傾けてくれる。最後に「大丈夫だよ、何も起こらないから大丈夫だよ!」と励ましているのが聞こえた。
一日中、様々な患者の嘆きや不安と向き合って、ポジティヴな言葉をかけて患者を励まし続けるのも、随分と疲れる、きつい仕事だろうな、と思った。何しろ病棟での仕事の合間に、途切れることなく患者が待っているのだ。その後、私の隣で待っていた女性患者と出て行って、まもなく私が呼ばれた。
S先生は受付のところで、私の足を見て、「念のためダニ感染の血液検査をして置こうね。でも多分大丈夫だと思うよ。検査が終わったら帰っていいからね」とおっしゃって、指示をマイクロカセットに吹き込み、外来の受付に電話をし、私がそちらに行くことを伝えた。私は先生に挨拶をして、カルテとマイクロカセットを持ち、外来受付へ。
10分くらいで私の番が来た。今日血液を採るお医者さんは若い男性。この仕事をするのはインターンの先生が多いので、みんな若い。でもいつも血液の定期検査に来る時は、たいてい女医さんなので、あれっ?と思った。私は静脈がバカ細くていつも採血には苦労する。でも彼は「うん、そうだね。細くて大変そうだけど、でもだいじょうぶ、なんとかできそうだよ」と言って、かなり太い針を使い、ひじの内側のかなり深いところに刺して、少し探ると、わ、嬉しい!結構勢いよく血が出てきた。しばらくすると止まってしまったので、また少し針を動かして血管を探る。お、また出てきました!というわけで、かなりの量をたいして時間もかけずに採取。その腕に感動したので、すごく丁寧にお礼を言ったら、「どういたしまして。よい週末をね」なんて言ってくれたので、「ありがとう。先生もね!」と言って帰ってきた。
ああ〜、何かあれば結果を教えてくれるだろうし、とにかくひとまずダニ騒動は終わりだ。ホ〜ッ! でも睡眠不足で眠い〜。今晩はコンサートに行くので、間に少し休まないと。(でも結局休めなかった〜)
2006年5月29日(月)
白鳥の湖
昨晩、国立オペラ座のバレー「白鳥の湖」を観に行って来た。当日になって友人から安い切符を譲ってもらえたのだ。人気のプリマバレリーナ、中村祥子は今シーズン限りでベルリンへ移るということだし、私自身はまだ舞台での彼女を一度も観たことがなかったので、楽しみにして行った。
本当に聞いていた通り!技術の素晴らしさが表現力の繊細さに支えられて、そのままオデットの嘆きや喜びが、言葉になって聞こえてくるような踊りだった。舞台衣装も全体に美しくて楽しめた。王子が波に呑まれる最後のシーンはグリーンの布を舞台一杯に敷き、強い風を送って表現したが、非常にダイナミックで印象的だった。でも振り付けが何だか退屈だった。どうも私は近頃、モダンな振り付けの方が好きになったみたい。
国立オペラ座で中村祥子がオデットを踊るのはこれが最後とあって、カーテンコールはすごかった。客席のあちこちから舞台に花束が幾つも投げられた(王子役にも)し、観客には日本人もあちこちに見られた。
中村祥子はあと6月の前半に「眠れる森の美女」を2回踊って、国立オペラ座を去ることになる。
2006年5月18日(木)
内装工事
ここしばらく静かになってホッとしていたら、また隣りの家で内装工事が始まった。朝の7時から電気ノコギリのものすごいギィーン、ギィーンという音で目が覚めてしまう。午前中いっぱい、ギィーン、ギィーン、トントン、ガンガン。他の音はまだ我慢できるが、電気ノコギリの音は耳をつんざくようで我慢するのはかなり大変。左隣に新しい人たちが入ってくるらしい。
そういえば左隣には、前は赤ちゃんのいる若い夫婦が住んでいたのだけれど、二ヶ月くらい留守だった。ドアのノブに袋に入った広告がたくさんかけられ、古くなった広告がたくさんドアの下に落ちていた。最初は休暇に出ているのかなと思っていたけれど、彼らはどこかへ引っ越していったのだ。我が家とは間取りが正反対だとすると、今のは台所の工事。キッチン家具を取り付けているのだろう。オーストリアでは、集合住宅の一軒を正式に借りると、壁の中の責任は借家人、壁に入るまでの設備は大家の責任になる。だから家の中はどう変えても自由。その代わり壁の塗りなおし、床の張替えなど全て自分でしなくてはならない。でも自分の好きなように内装できるという長所もあるわけね。
ま、私がここへ越してくる前も、内装工事で周りの人はやっぱりずいぶんとうるさいのを我慢してくれたのだから、お互い様。ここでは越して来ても隣り近所に挨拶するという習慣がないので、偶然エレベーターや階段で会わない限り、どんな人がどこに住んでいるのか、ほとんど分からない。赤ちゃんのいる夫婦にしても見かけたのは2回くらいしかなかった。近いうちにお隣にも新しい人が越してくるだろうけど、ばったり顔を合わせることはあるかしら。
2006年5月12日(金)
初夏のヴァッハウ
デュルンシュタインの教会のテラスからドナウ河を見る ドナウ河に面したレストラン
素晴らしいお天気になったので、日本から帰って以来、初めてちょっと遠出をして来ました。杏の花とワイン、川沿いに並ぶ古城で有名なヴァッハウです。ウィーンから車で1時間ほどで、ドナウ河と沿岸の小高い山々の緑に囲まれ、中世の面影を残すデュルンシュタインに到着。イングランドのリチャード獅子心王(1157〜99)が十字軍に参加した帰り、捕らえられてここに幽閉されていたことで有名です。それを発見したのが、吟遊詩人のブロンデル。歌を聞いた王が同じ歌を歌い返したことで、王を見つけ出したと言われています。確か、その身代金で建設したのが、ウィーン郊外の町、ヴィーナーノイシュタット。
今も残る中世の町の城門と城壁 細い通りには古く、愛らしいお店が立ち並んでいます。
TOP 過去の更新日誌へ
2006年3/4月へ 2006年7/8月へ
Home | ごあいさつ
仕事と生活 | お気に入り作家紹介
| ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
Café |
ひとりごと | 更新日誌 | リンク集
|