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2006年12月31日(日) 大晦日
今年も一年、ありがとうございました。
どうぞよい年をお迎えくださいますよう。
ウィーン郊外バーデンの年末風景
2006年12月28日(木)
25,26日のクリスマスの祝日も終わり、街に並ぶ商品は、大晦日と新年に向けていっせいに衣替え。新年の幸を呼ぶと言う、煙突掃除人、四葉のクローバー、ブタさん、蹄鉄、てんとう虫などをかたどったチョコレートや置物が並ぶ。クリスマスが過ぎたのでバーゲンセールも始まった。
23日(土)から26日(火)までのお祝い疲れの頭で、人々はまた昨日から仕事。30日が土曜なので、会社勤めの人は3日間仕事をするとまた3日間、年越しと新年のお休み。お店勤めの人は大混雑の30日を終えると、大晦日、元旦と2日間のお休み。1月2日からは普通に仕事が始まる。だから、こちらのお正月はとてもあっけない。お正月を祝うというより、年越しを祝うのがこちら。
日本のお正月に当る大きなお祝い事はやはりクリスマスだ。
2006年12月27日(水) アドヴェントコンサートを振り返って
アドヴェント(待降節)というのは、イエス様のお誕生日であるクリスマスの前、約4週間を指し、宗教的にはキリストの誕生の意味を考えつつ、心の準備をする期間。子どもたちは「もういくつ寝るとクリスマス〜♪」とアドヴェントカレンダーの窓を開けながら、指折り数えて心待ち。この時期にクリスマス市(アドヴェント市とも言う)やアドヴェントコンサートがあちこちで開かれる。そう考えれば、クリスマスは一ヶ月をかける大行事なのだ。厳密に言うともっと長い。25,26日はクリスマスの祝日。クリスマスツリーはそれが過ぎても、1月6日の「三聖王の日」(東方の三人の王がベツレヘムまで長い旅をして、イエス様にお誕生のプレゼントを捧げた日)まで飾っておく。そうして1月6日にツリーを燃やすのが伝統。聖なるものを燃やして天に返すという意味では、しめ飾りをどんど焼きで燃やすのと同じね。
12月23日(土) 市庁舎大ホール
市庁舎の大ホールでのアドヴェントコンサート。 舞台はとても大きく美しいホールのサイドにある。
各合唱団が30分ずつ歌う。 ここでは舞踏会もたくさん開かれる。
12月24日(日) マイドリング病院
午前10時から、病棟から病棟を回りながら、看護婦さんの詰め所の前の廊下で歌いました。クリスマスを病院で迎えなければならなかったことはなかったけれど、私もずいぶん入院生活が長かったので、歌いながら自分が入院していた頃のことを思い出しました。病室のドアのところまで出てきて、一生懸命聞いてくれた人もいました。帰る時、病室のベッドからにっこりしながら手を振ってくれた患者さんもいました。ちょっとでも元気を出してもらえたといいな。ここでは毎年歌う。
合唱団はこの日の23時30分から、シュテファン大聖堂の真夜中のクリスマスミサでも歌ったのだけれど、私は両方はきつ過ぎるので、ミサの方は失礼しました。
2006年12月26日(火) クリスマスパーティー
パーティ開始を待つばかりの食卓
オーストリアは25日、26日はクリスマスの祝日でお休み。日本人の友人4人が、年末・年始ウィーンへ来てくれたので、彼らを囲んで、ウィーンに住む日本人の友人たちと一緒にクリスマスパーティーを開きました。献立は最近ずっと食べたかった春巻き、それからチャーシュー。みんなに早く来てもらって、ワイワイ一緒に春巻きやサラダを作ったり、テーブルセッティングを手伝ってもらったり。チャーシューは、23日に作って一晩煮汁に漬け、その後スライスして冷凍しておいたのを解凍。Cさんが持って来てくれたとろけるようにおいしかったチョコムースのデザートの後は、幾つものろうそくに灯をともし、後は間接照明だけにして、ワインとおつまみでおしゃべり。
久しぶりにみんなが顔を合わせ、さらに新しい仲間も加わってのおしゃべりの楽しかったこと! ず〜っとおしゃべりしていたいくらいでした。片付けも自然にみんなが手伝ってくれたので、とっても楽でした。みんな、本当にありがとう! 今度はぜひ「ギョーザを好きなだけ食べる会」をしましょうね!
2006年12月24日(日)
みなさま、どうぞよいクリスマスをお迎えください
さっきサンタさんがプレゼントを背負ってはしごを上って行くのを見かけました。
あなたには、何を持って来てくれるかな? 楽しみですね!
2006年12月10日(日) クリスマス市のアドヴェントコンサート
シェーンブルンのクリスマス市
今日は合唱団今年第一回目のアドヴェントコンサート。場所はシェーンブルン宮殿正面、庭園内の広場。ライトアップされた宮殿の前に大きなクリマスツリーが立てられ、広場の周囲に沿ってたくさんの屋台が並んでいる。私自身もここのクリスマス市に行ったのは初めてだったけれど、とってもきれい!日曜日なので、たくさんの人で賑わっている。もちろん子ども連れもいっぱい。みんなグリューワイン(薬草を入れて、温めたワイン)で身体を温めたり、お店を覗いたり、そろそろお腹がすいて、ソーセージをほおばったり、宮殿のバルコニーに上って、遠くの夜景を眺めたり、楽しそうだ。宮殿の建物に囲まれているので、まとまったとても美しい空間になっている。
ツリーの前には木の舞台がしつらえてあり、私たちはそこで午後6時(もちろん、もう真っ暗!)から45分間、アカペラでクリスマスの歌を歌った。ドイツ語圏で非常によく知られている曲、アルプス地方の曲(チロル方言で歌うのは難しかった!)、そして「赤鼻のとなかいさん」など英語でよく知られているクリスマスの曲、計18曲。気温は、7,8℃くらいだったろうか、今の季節にしてはかなり暖かかったのに、それでも20分くらい歌っているうちに、指先は凍りそうになってきたし、足も霜柱になった気分。最後は風も吹いてきたし。ああ、寒かった!でも、みんな喜んで聞いてくれたし、アドヴェントらしい雰囲気を楽しんでもらえてよかった!来年は絶対にホカロンをくっつけて行こう!舞台に立つのだし、と思って、帽子は遠慮したのだけれど、そんなこと言ってられるような状態ではないことがよくわかったので、今度は帽子もかぶって行こう、っと!(もう何度も歌っている団員はしっかり暖かい帽子をかぶっていた。)
その後は聞きに来てくれた友人たちと、夕食を食べに、宮殿の敷地内のレストランへ。暖かい室内で、熱いハーブティーを飲んだらやっと身体も温まってきた。おしゃべりで、心も温まった。
来てくれた別の友人が、後日話してくれたところによると、「すぐそばに寒さの中でかなり辛そうに立って聞いていたおばあさんがいてね、『この人たちがこんなにきれいに歌ってくれるんでなかったら、とっくにうちに帰ってるんだけどね』って言ってたよ」だって!なあんて嬉しいんでしょ!そんなこと聞くと、霜柱みたいになって歌ったあの寒い思いもいっぺんに吹き飛んじゃうじゃない!?
2006年12月4日(月) 合唱考
考えてみたら私は合唱団で唯一の東洋人。合唱団には外国人はかなりいるけれど、みんなヨーロッパ人だ。ほとんどがキリスト教国なので、クリスマスの歌にも共通したのがたくさんある。私は知らないのだらけ。それに聞いてみたら、外国人で新人の何人かは、ウィーンに来る前にも故郷の合唱団で歌っていたそう。ということは、東洋人でしかも今まで一度も合唱団に入ったことのなかった私が、突然この合唱団に入ったというのは、かなり「勇気ある?」(ちょっと無謀な?)行為だったのだ。
簡単に言えば、クリスマスの歌のレパートリーに関して言えば、私は一番ハンディがあるというわけ。こちらは新人皆に言えることだけれど、クリスマスの歌だけではなくて、そのうち合唱団の十八番レパートリー、例えば「トリッチトラッチ・ポルカ」「浮気心」「アンネンポルカ」「ウィーンの森の物語」「美しき青きドナウ」「ウィーン我が愛の街」などのウィーンの歌シリーズも覚えないといけないし、「トリッチトラッチ・ポルカ」「浮気心」なんかはすごく速いポルカだから、歌詞を読んでいるような暇はないので、歌詞ごと暗記しないとだめ。オーストリア人の団員も一生懸命暗記したのだそうだ。ま、楽しいんだからそれでよいので、うまくごまかしながら、焦らず、一つ一つ覚えていこう。合唱団の戦力になれるまでは、まだちょっと時間がかかりそうだけれど、うちのピアノちゃん、しばらく我慢して歌を覚えるのに協力お願いね。
2006年12月1日(金) 合唱団クリスマスパーティ
合唱団は12月に入るとアドヴェントコンサートで忙しくなるので、早々とクリスマスパーティーが開かれた。いつもの練習会場に組み立て式のテーブルを並べ、クリスマスらしいモミの枝の飾りを置き、ろうそくを幾つもつけ、ケータリングのシュニッツェル、ロースト肉の切り身、各種サラダ、それに団員たちが持ち寄ったクッキー、ケーキ、スナック、飲み物を並べ、少し灯りを落として、いい感じのパーティ会場に早変わり。
最初に、合唱団に今年入った新人に、合唱団のマーク(シュテファン大聖堂と美しき青きドナウの最初の一小節を組み合わせたもの)つきピンが贈られた。そんなことがあるなんて全然知らなかったので、私も名前を呼ばれてびっくり!代表者が一つ一つ、新人の胸につけてくれた。歓迎の気持ちが現れていて嬉しかった。私たち新人のピンには紺色の大聖堂がついているが、さらに10年在籍の団員に、色の異なったピンが贈られた。15年、20年、30年歌っている団員たちにはメダル。それから表彰されたみんなで、クリスマスの歌を一曲、暗譜かつアカペラでご披露したのだけれど、突然決まったその曲は、何と私は何度か耳にしたことがある、という程度しか知らない曲だったので、隣の人のちょっと陰で、知っている部分のソプラノのパートを歌ってごまかしました〜。
それからこの一年、練習とコンサートに参加した回数の多かった人たち10人が、ありがとうね、のお菓子をもらった。「だからみんなたくさん練習に来てね」とは合唱指導者の弁。一番の人は、100回以上の練習参加に30回くらいのコンサート参加! すっご〜い! ずっと毎週二回練習に来ていることになるし、一年にそんなに何度もコンサートがあった、というのもびっくり。なんだか子どもみたいだけど、来てくれてありがとう、って言ってもらったら誰でも嬉しいし、かわいらしいアイデアだ。
グランドピアノの上には、団員から団員に宛てたクリスマスプレゼントがたくさん置いてあって、私たち新人は、団員の名前を早く覚えるためにプレゼント届け係を仰せつかった。「この名前の人はどの人?」と先輩団員に聞いて、その人のところへ「はい、あなたへのプレゼント!」と持っていく。嬉しそうにニッコリして「ありがとう!」と言われると、こちらまで何だか嬉しくなった。そしてびっくりしたことには、私もプレゼントをもらったのだ!贈り主は、10月初めの週末合宿で知り合い、同じアルトのパートかつ新人なので、練習の時、よく隣り同士でならぶようになったラトヴィアの人。焼き物のちいちゃな鐘。とっても愛らしい! プレゼント交換をするということも知らなかった私は、思いがけないプレゼントをもらって、とってもとっても嬉しかった! 月曜日の練習には、ちいちゃな和風のプレゼントを用意して彼女に持っていこう。ありがと!
というわけで、ちょっとした思いやりがとても嬉しい、楽しく気持ちのよいパーティーだった。団員の子どもたちもあちこち走り回ったり、合唱団記念コンサートの写真と歴代指導者の写真を載せたしおりを「クリスマスおめでとう」と言いながら配ってくれたりした。そして気分や疲れ具合や、家までの距離や明日の予定によって、それぞれ好きな時間に帰って行った。私は11時半少し前に会場を後にした。最後まで残っていた人たち、いったい何時までいたのだろうか?
2006年11月26日(日) ピアノお披露目会
ついにピアノのお披露目会&慰めてもらう会を開きました。「慰めてもらう」というのは、何しろご主人がまともに弾けないので、嘆いているピアノを、ピアノの上手な人に弾いてもらって喜ばせてもらおう、というわけ。で、もうすぐ卒業するピアノの音大生のAさん、クラシックピアノとジャズピアノの両方を勉強しているKさん、そして音楽好きのCさんに集まってもらいました。
まずはお茶を楽しみながら、好きなようにピアノを弾いてもらい、その後晩御飯を囲んでおしゃべり、という趣向。おやつはオリジナルレシピの生地を卓上ワッフル焼き器で焼いて、できたてのアツアツにホイップクリームと果物のシロップ煮、ブルーベリージャムなど好きなものを乗せて食べました。おいしかったぁ!買ったものとはとても比べ物にならない味!飲み物は紅茶。AさんとKさんが二人でジャズを弾いたり、Aさんがショパンを弾いてくれたり。ピアノがとっても嬉しそうな顔になったのが、よくわかりました。そして最後に弾いてくれた、私も大好きなシューベルトの即興曲作品142の3(変奏曲)の演奏のすばらしかったことと言ったら! みんなでうっとりと聞き惚れました。ああ、至福の時間・・・。
そのあとはシャンパンで乾杯して、焼き立てラザーニェとサラダでご飯。あとから顔を見せてくれたTさんも加わって、にぎやかなおしゃべりが続きました。
みんな来てくれてありがとう! Aさん、絶対卒業演奏会に呼んでね! また彼女の演奏が聴ける日がとっても楽しみ。本当にありがとう、Aさん!ピアノはもう幸せで幸せでうっとりよ。
2006年11月21日(火) ジゼル
今日はイタリア語の授業を途中から抜け出して、国立オペラ座へ。このところ観劇続きね。ジゼルを観るのも初めて。ジゼル役はボリショイのスヴェトラナ・ルンキナ。まあ、その優雅なことと言ったら! 愛らしく、切なく、優雅で、まるで
人間とは思えないほど。本当に妖精のようでした。ああ、こんなのを見てしまうと、またクラシックバレエに行きたくなってしまう。
王子役のマラコフも抜群。実力があるだけでなく、ダイナミックさと気品と優雅さを兼ね備えていて、本当に王子様らしかった。演技も上手。カーテンコールでジゼルに投げられた幾つもの花束を拾って、さっとひざまずいてジゼルにうやうやしく捧げたりして、終わっても王子様。ジゼルから両頬に優しいキスをもらっていた。一幕目は演出もよかったけれど、死んだ乙女たちが森の精となって森に迷い込む人を死ぬまで踊らせるというニ幕は、森の精の女王が余りよくなくて、かつ踊りが長かったので、その部分が退屈だった。振り付けにもよるのだろうか。ジゼルと王子はもちろん素晴らしかったのだけれど。
もう一人、気になるダンサーがいた。村での踊りの場面の第一幕、村娘とのカップルで、ジゼル・王子カップルと一緒に4人で踊った村の青年役のダニイル・シムキン。彼はこれが国立オペラ座デビューだそう。まだ19歳。バレエダンサーの家系の出で、12歳の時からそこら中のバレエコンクールで賞をさらっているそうだけれど、さすが期待通りの素晴らしい踊りで、ジゼル・王子カップルと一緒に踊って、決して見劣りしなかった。童顔のせいか、舞台ではまるで16〜17歳の男の子のように見えた。主役を踊る日もそう遠くはなさそう。彼の王子様もすてきだろうな。応援しちゃおうっと。
2006年11月18日(土) トゥーランドット
初めて「トゥーランドット」(プッチーニ)を聴いた。今日はフォルクスオーパー。こんなに筋の面白いオペラは初めて!よい演出と、実力も演技力もある素晴らしい歌手のおかげかもしれないけれど、とにかく観ていてワクワクしっぱなし。王子カラフと奴隷の娘リウは、歌も素晴らしかったけれど、演技力も素晴らしくて引き込まれた。トゥーランドット姫も心に染み入る素晴らしい歌声。
ただ抽象性を強めることによって、オペラの象徴性を高めようとした努力は買うけれど、登場人物が全て昆虫になって出て来たのはちょっと考え物。王子は厚い毛に包まれた蛾なのだろうか、分厚い毛皮のコートにプラチナブロンドの短髪を逆立て、お化粧もちょっと恐くて何だか気持ち悪い感じだったし、トゥーランドットも真っ白い繭が白い長い触角を生やしたようで、二人のデュエットはどう見てもロマンティックとは言えなかった。二人の歌のすばらしさで十分楽しめはしたけれど、抽象的でももっと審美的な衣装にはできなかったのかしら。
三つの難問が解けなかったために、今まで結婚候補者の全ての命を奪ったという、美しいが氷のような中国のお姫様トゥーランドットに恋をしてしまい、周りが止めるのも聞かずに挑戦する王子の話。このカラフ王子を愛するがために流浪の王と王子に付き添って来た召使いのリウが、王子の危機を救うため、トゥーランドット姫の前で自殺する。最後には愛の尊さと、王子の深い愛を知って、お姫様の心は溶け、めでたく結ばれて、恨みと悲しみの闇に包まれていた国は、ついに愛と希望の光に包まれる。憎しみからは何も生まれない、全ての人を不幸にするだけ。この真実がじわじわと身に沁みた。
2006年11月9日(木) バレエ「コッペリア」
国立オペラ座で初めての「コッペリア」を観た。村の青年が婚約者がいるにもかかわらず、人形師の家の2階の窓辺でいつも静かに読書をしている少女コッペリアに恋をしてしまう。婚約者は怒って婚約を解消、でもコッペリアが実は自動人形だとわかって最後に二人は仲直り、めでたく結婚式を挙げるという話。コッペリアの製作者の人形師のコミカルな演技と踊りが素晴らしく、全体を引き締めて、光っていた。
男性の主役である村の青年フランツを踊ったのは、夏前に観た「白鳥の湖」(5月29日)と「眠れる森の美女」(6月8日)でやはり主役の王子様を演じたダンサー。今度は村の青年役なのでたくましい体格も合っていてよかった。婚約者のスワニルダ役もかなりよかったのだけれど、1幕目で、回転のあと2回、かなり大きくふらついたので、あ、大丈夫?!と思ってドキッとしてしまった。でも終盤の見せ場の何十回もの回転は、無事美しく踊り切って、ホッ。同じくフランツ役がそのすぐ後で見せた何十回ものダイナミックな回転(調べてみたら、ピルエットと言うそう)も見事だった。
スワニルダ役のバレリーナもかなりよかったのに、ちょっと華が欠けていて、準主役たちの踊りとの違いが際立たなかったのが残念。で、華が欠けているって具体的にどういうことなんだろう?と考えてみたら、テクニックも仕草も全てちゃんとこなしているのに、彼女特有のものが感じられない、ということなんだ、と気づいた。中村祥子のあの全身から醸し出される切なさや、愛らしさや、言葉になって聞こえてきそうな豊かな手と腕の表情がなつかしく、彼女をもうウィーンで観られないのが、とても残念に思われた。
私はダンスが大好きなのだが、もともとクラシックバレエより、モダンダンスやジャズダンスの方が好きなのに、夏前に観た「白鳥の湖」と「眠れる森の美女」の中村祥子に魅せられてしまって、クラシックバレエももっと観たい!という気持ちになったのだった。スワニルダちゃんが、素晴らしいバレリーナに成長して行くよう、ひっそりと応援を送っていよう。
2006年11月1日(水) 万聖節
墓地の入り口で花、葉環、ろうそく等を買い、お墓に供える。
今日は万聖節と言って、オーストリアは祝日。カトリックの行事なので、ドイツではカトリックの多い南の州の幾つかだけで祝日。
この日は正式に聖人とされた人物ばかりでなく、神様だけがご存知の、名もない聖人も含め、全ての聖人を思う日ということで、万聖節と名づけられたそう。聖人ばかりでなく、亡くなった人々を思う日でもあるので、この日には日本のお彼岸のように、皆がお墓参りに行く。
ハロウィーンは、この万聖節が変化してアメリカに渡り、それがヨーロッパに逆輸入されたらしい。ここ数年、ウィーンでもお店はハロウィーンの飾りで溢れ、イベントもよく見られるようになったけれど、でもやっぱりまだこちらは商売の域を出ない感じね。
私も故人と久しぶりに小さな対話をしてきた。かなり風が強くはあったけれど、嬉しいことに素晴らしいお天気で、墓地の外壁の風のない陽だまりに、鳩が
たくさん集まり、みんなで一緒にじっとして日向ぼっこをしていたのが、何だか愛らしく、印象的だった。
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