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5月から今まで、大阪児童文学館存続に関する署名、またパブリックコメントを大阪府に送るその他、存続のためにご協力を下さった方、本当にありがとうございました。パブリックコメントの締め切り、7月14日は過ぎましたが、大阪児童文学館存続のためにできることは、ほかにもたくさんありますので、関心を持ってくださる方はどうぞ『児童文学書評』 をチェックしていて下さいね。どんどん更新されて、新しい情報が入って来ています。今までこの下にあった記事は、7月1日の記事として、一番下に下ろしました。
2008年8月31日(日) また仕事?!
さて、昨日の夕方、無事帰宅しました。でも前の晩、どういうわけか全然眠れなかったので、5時間近い車の旅はかなり応えました。で、疲れて帰って来てメールを開けてみると、何と、先週納めた翻訳の印刷原版を作る必要ができたので、一緒に送るレイアウトの雛型に当てはめて金曜日(!)の朝までに送れ、という命令みたいな仕事依頼が来ていたので、びっくりかつガックリ! ちゃんと30日まで休暇に行きますと知らせてあるのに、そのメールを向こうが出したのはその休暇の真っ最中の水曜日。全く、こちらの書くことはちゃんと読んでもいないわけね。3月に一時帰国した時も、ちゃんと知らせたのに、帰って来たら、同じことが起こってたっけ。
とにかく昨日は疲れていたので、早く休み、今日の午後から始めたら、意外と時間がかかってしまって、夜中少し前に納入。で、また疲れてしまいました。
2008年8月30日(土) 怒涛の一週間の後、一日遅れで休暇に出発
さて怒涛の1週間というのは、翻訳と熱のコンビというまずい組み合わせのこと。仕事を受けたら、まずいことにその夜にまた微熱が出てしまい、一度請けた仕事は放り出すわけには行かないので、夜中に少し体温が下がったところで副腎皮質ホルモン剤を飲み、熱を下げて、お昼までは寝ていて、午後は翻訳、晩になるとまた熱が出て、また夜中に薬を飲んで・・・を繰り返して、やっと納入。でも熱がちゃんと収まっていないのに仕事をしたりすれば、順調に消えないのは当然で、週末も微熱が下がらず、出発を一日遅らせてやっと休暇に出発しました。
無事に着いて、5泊ではありましたけれど、ザルツブルク州の海抜1200mの山の酪農家の宿で、新鮮な空気と自然の中でゆっくりし、心が洗われる思いでした。ただやっと山の空気に慣れたところで帰って来てしまったので、本当の保養とは言えないのですが、とにかく溜まった疲れの一部を吹き飛ばすことはできたし、とてもよい気分転換になりました。
休暇の写真は別に「旅日誌」の方に載せたいと思いますので、どうぞお楽しみに!
2008年8月12日(火) もう一度とっておきのウィーン
妹たちは元ガイドだったという妹の友人にも案内してもらい、たくさん楽しい経験をして、今日帰国。ハプニングはあったけれど、とにかく初めての外国の旅を楽しく、また無事に終えられたので、私も本当にホッとしました。ザルツブルクに行っている間は、本当にハラハラしましたもん。お昼少し前に空港行きのシャトルバスが出る西駅まで見送りました。天気予報ではかなり雨が降るはずだったのに、ほとんど雨に濡れることもなく、また珍しく夏らしいお天気が続き、本当に幸運でした。よかったね!
さて夕方。今度はミュンヒェンの日本語補習校とブダペストの日本人学校で
読み聞かせの旅をして来たTさんがウィーンに足を伸ばしてくれたので、もう一度「私のとっておきのウィーン」をご案内。ガイドブックには絶対載っていないし、きれいだし、いかにもウィーンらしいし、みんな喜んでくれるし、というわけで、どうしてもここを案内したくなります。
さて今日もとてもよいお天気でヴィルヘルミーネの丘からの眺めはまたまた最高! 第2目的地のウィーン最古のホイリゲは、今日は火曜日なので開いていて無事に入れました。一番よく飲まれる白ワイン種のグリューナー・ヴェルトリーナーとミネラルウォーターを頼み、ビュッフェで鶏肉のカツ、豚肉のロースト、それに野菜サラダを買って、お客さんでいっぱいの中庭でくつろいだ雰囲気を味わいつつ、おいしいワインと食事に舌鼓。
中庭でおいしいワインとともにおしゃべりを楽しむ人たち
「さて、もう一つ行きますか」ということになって、今度は旧市街を囲む環状道路沿いに立つ、グランドホテルのカフェ・バーへ。落ち着くし、ピアノの生演奏がなかなかよくて、ここも大好きなところ。超一流ホテルなので内装も豪華ですが、飲み物はその割りに高くなくて、おしゃべりしながら贅沢な気分も味わえます。オペラの後、ちょっと余韻を楽しみたいという時にも、場所もすぐそばだし、バッチリ。
というわけで豪華な雰囲気でしめた日でした。Tさん、来年も読み聞かせの旅、実現しますように!
2008年8月10日(日) とっておきのウィーン
甥の晴れ男パワーが効果を発揮しているらしくて、今日も夏らしいよいお天気。彼らにもぜひ「私のとっておきのウィーン」を見せたくて、夕方近く地下鉄の
駅で待ち合わせてバスに乗り、ウィーンの森へ。丘の上に立つ白い小さなお城、ヴィルヘルミーネ城の庭の下に広がるウィーンの街の眺めは、今日は特別くっきりとしてきれい!
今はホテル・レストランになっているお城
前方奥にはシェーンブルン宮殿、少し右にはオットー・ヴァーグナーの代表建築の一つ、シュタインホーフ教会の金色の丸屋根も、それからずっと左に見える旧市街には、ウィーンのシンボル、聖シュテファン寺院の塔がてっぺんに修復中を示す帽子をかぶって見えます。フランツ・ヨーゼフ皇帝の暗殺が未然に防げたことを感謝して建てられたヴォティーフ教会の細身の2本の塔も、そのすぐ左に。その後方には、あまりのばかでかさで人目を引くウィーン大学病院。あそこでは、「わ、これはものすごく珍しい病気だ! もしかして世界に数例しかないかも知れない! うれし〜い! ぜひ検査させて、させて!(ウィーンで突然起こった熱のこと。ほぼ毎月40℃の高熱が出て、幾ら調べても当時は原因不明だった)」というわけで実験動物にされて、3週間の予定が2ヶ月まで入院を延ばされ、紅斑が出ていたので皮膚を取られたり、もう拷問みたいで耐え難くなったので、ついに日本にどうしても帰らなければならないからと言って、やっと退院させてもらったっけ。
丘からのウィーンの街の眺め
しばしブドウ畑の向こうに広がるウィーンの街と、地平線のかなたをぐるっと取り囲むニーダーオーストリア州の緩やかな山々、その上に広がる大きな青空を楽しんでから、ユースホステルもある庭を散歩し、今度は少しお城の下に下りてウィーンの森の入り口を覗きました。春先にはここを入ると、行者ニンニクの葉っぱ摘みができます。この葉っぱで餃子を作るとそのおいしいことと言ったら!ただし怖いのは、脳膜炎を媒介するマダニ。4%ほどのマダニが感染していて、これに刺されると、すぐにワクチン接種をすれば大丈夫ですが、そうでないと、ほぼ確実に死に、うまく命拾いしても重い障害が残ります。そこで市民は皆、予防接種をするようにと勧められていますが、私の場合は病気持ちなので、予防接種だけでおかしくなっちゃうからダメ、ということで予防接種も禁止。観光に来た妹たちはもちろん予防接種などしていないので、用心して、森の入り口から中を覗くだけにしたというわけです。
さて、そろそろ次の目的地、ホイリゲに行こうかと門に向かったら、「日本人の方ですか?」と話しかけてきた人がいます。街中には日本人もたくさんいるけれど、ここではなかなか見かけないので、日本語を聞いて嬉しくなって、声をかけました、と言います。彼は、お城と道路を隔てた側の森の中にある、野生動物生態研究所に短期研究留学をしている大学院生でした。3ヶ月の予定で、今回が3回目だそうです。野生動物生態研究所のことは前から知っていたので、ここに日本人研究者がいると知って、何だか嬉しくなりました。
*****
バスに乗って丘を下り、周りには新しいマンションなどが立っている中に、「ちいさなおうち」みたいに今も一人でポツンと、でも自信を持って立っている1740年創業の現存するウィーン最古のホイリゲ(その年の新酒を飲ませる大衆的な農家風ワインレストラン)の前にやって来ましたが、何だかいやに静か。ああ、ひょっとして、と思って近づくと、やっぱり! ホイリゲシーズンの真っ只中なのに「日曜定休」ですって! このお店はいつも混んでいるので、席を予約しようと思って何度電話しても誰も出なかったので、ひょっとすると、と思っていたんだけれど。日曜日に開店すれば、満員になること請け合いなのに、しっかり休まなければ、気持ちよく働けない、というポリシーをしっかり守っているわけね。脱帽! というわけで、外から写真だけとって、「街のホイリゲ」へ行くことにしました。
再び地下鉄に乗って、一気にウィーンの中心、シュテファン広場に出ました。そこから横道に入り、さらに小さな小路に入るともうそこが「街のホイリゲ」。人通りの少ない、なかなか趣きのある石畳の小路に面していて、小路にもテーブルが出ています。でも建物の中もなかなか趣きある内装。「中がいい!」という姪の言葉で、ほかに誰もいない中に席をとりました。ここの人たちは暖かい季節にはできるだけ外にいたい、と思うので、夏に部屋の中に座るお客さんなんていないのね。ま、時間も比較的早かったけれど。さて、ワインとミネラルウォーターを注文して、ビュッフェに食べ物を買いに。豚肉のロースト2種類に、ザワークラウト(酢漬けキャベツ。この時のは温かくしたもの)、クネーデル(ゆでパン団子に肉汁ソースをかけたもの)、そして各種サラダの盛り合わせを買って来ました。
こんな感じでワイルドに素朴にワインを楽しむ
なかなか口に合って、おいしい、おいしい!と食が進みました。さて、ミネラルウォーターが一瓶全部なくなってしまったので、もう1本頼もうということになりましたが、何しろ中に座っているのは私たちだけなので、ウェイトレスのお姉さんは全然顔を覗かせてもくれません。そこで、代表が行って頼んでくればいい、ということになり、せっかくウィーンに来たんだから、ドイツ語で注文しようよ、今教えるから、ということでにわか特訓。瓶を持っていって見せながら、「もう一本お願いします!」と言うだけでバッチリ通じますから、「ノッホ・アイネ・フラッシェ、ビッテ!」だけを何度も何度も空で言えるまで練習。いよいよ姪が、瓶を持って胸をドキドキさせながら出発。しばらくして聞こえて来た声は、なかなかいい発音! 「注文できた〜ぁ!通じたぁ!」と、姪が意気揚々と、新しい瓶を掲げて戻って来ました。自分の外国語が通じた、という体験はものすごく嬉しいものです。私も初めてのドイツ語の手紙、と言っても、単にゲーテ・インスティテュートにドイツ語コースの資料請求をしただけだったのですが、その手紙に返事をもらった時には、「通じた〜ぁ!返事が来た〜ぁ!」と、天にも昇る心地だったのを、今でもよおく覚えています。「発音、とってもよかった!」というと姪はますます大喜び。
さて、最後にウェイトレスがやって来た時、姪に向かって「ドイツ語、上手なんですね!」と言ったので、「ドイツ語上手ね、って言ってるわよ。きっと発音がよかったから、もっとしゃべれると思ったのね」と解説したら、姪は狂喜状態に突入したのでした。
*****
お腹がいっぱいになったところで、ちょっと夜の街を見学に。シュテファン広場には似顔絵画家が4〜5人、作品を並べてお店を出していました。周りには似顔絵を描いてもらっているお客さんと描きかけの画を比べる人たちが囲んでいます。私たちも「あ、この人すごく上手!」「本人にとてもよく似てる!」「よく似てて、かつ本人よりも少しきれいに描いてるから、この人に描いてもらうとお客さんは一番満足!」「あ、この人の画はなかなか個性がある」とか、勝手なことを言ってしばらく野次馬をしました。
「アイスクリーム食べたくない? 広場の向こうのローテントゥルム通りにおいしいアイスクリーム屋さんがあるから、そこで買おう!」と歩いて行ったら、あら、閉まっています。時計を見たら夜の9時。閉まってるに決まってました。そこで、本当においしいかな?とちょっと心配だったけれど、似顔絵画家さんたちのそばに屋台のお店を出しているアイスクリーム屋さんで、姪と甥に選んでもらった、全部違う種類を3種類ずつ入れてもらった大きなアイスクリームを2つ買って、みんなで全ての味を試してみることにしました。そしたら、かなりおいしい! おいしいと有名なあちこちのアイスクリーム屋さんと比べても競争できそうな味。「お兄さん、疑ってごめんね!」と心の中で謝って、味わいました。気温も下がってきたし、量的にもちょうどいい感じでした。
屋台のアイスクリーム屋さん
夏の夜の9時、10時はまだシュテファン広場もケルントナー通りも、夏を楽しみたい人でいっぱい。お金を空き缶に入れると、小さな曲を弾いてくれるバイオリニストのパフォーマンスもありました。ケルントナー通りはまだ歩いてないと言うので、ショーウィンドーを冷やかしながら、国立オペラ座まで、通りの雰囲気を楽しみながら歩きました。夜は有名な建物がライトアップされるので、夜の光景もなかなかきれいです。今日は色々見たね!
2008年8月7日(木) 妹とその子どもたちウィーン来訪
8月4日から妹とその二人の子どもたち、専門学校生の姪と高校生の甥、がうちに来ています。体育教師のおとうさんは、今合宿中なので日本でお留守番。昨日の朝、列車でザルツブルクに出発し、昨日はザルツブルク泊。今日はザルツカンマーグートのヴォルフガング湖畔の町、ザンクト・ギルゲン泊。
さっきどういうわけか夕方4時頃になって、今、宿に着いた、と電話がありました。船着場のすぐそばなのは確かだけれど、町の中心にある船着場から30分も歩いた別の船着場のそばだったんだそう。お昼頃に宿に着いて、ヴォルフガング湖を船で向こう側のザンクト・ヴォルフガングに渡り、そこからSLに乗って、シャーフベルク(約1800m)登山、最高の眺めを楽しむ予定だったのに、あれこれで遅れて疲れて、今日行く気がうせてるところですって。でも天気予報によれば、こんな最高のお天気は昨日と今日だけ。明日はザーザー雨になる予定なので、今日しかチャンスはなし。夜8時頃までは充分明るいので、フロントで、ここからザンクト・ヴォルフガングへ渡る船は出ているかどうか、またSLは何時まで走ってるか聞いてみて、と話したところです。
時間的にはどうにか行って来られると思いますが、うまく行きますように!色々ハプニング続きで、手配やアドバイスをしているこちらも心配で疲れて、今朝は目が覚めたら、何ともう11時を過ぎていてびっくりしました。明日の晩、ウィーンに戻ってくるので、それまでにゆっくり休んで体力を回復しておかないと。
旅のお土産話が楽しみです。でも失敗だのハプニングだのあっても、自分で行動する旅は一つ一つがずっと印象深いし、収穫もずっとたくさんあります。楽しい旅をして来てね。
<結果が気になる方へ>
ホテルのフロントで聞いたところ、今からでもシャーフベルクへ行くことはできるけれど、でも帰りの船がないから帰って来れない、ということで、「あ〜あ、じゃあ、シャーフベルク登山は諦めるしかないか・・・」と思っていたところ、翌朝の8日は(晴れ男のおかげで?)なんとすごくよいお天気だったので、これなら行ける!と、時間的には少し遅れたけれど、登山実行に決定。頂上に着くと曇ってしまったけれど、一度だけきれいに晴れて、雄大な景色も見られたそう。
その代わり、ふもとのザンクト・ヴォルフガングまで戻って来たら、もう午後の4時過ぎ。18:08ザルツブルク発の列車に乗らなくちゃいけないのに、ここからでは途中でバスを乗り継がなくてはならないので、間に合わないかも知れない。「どうしよう?」と電話がかかってきたので、船でザンクト・ギルゲンに戻って、ザルツブルク直通のバスに乗った方が早いかも知れない、聞いてみて、と言ったんだけれど、何と18時過ぎに、「予定のインターシティに乗れた!」 と再び電話! わあ、よく間に合ったわねえ、と言うと、人がたくさん待っている隣の停留所へ行ったら、うまくバスが来て、しかも親切な人が、ザルツブルク行きのバスの番号も教えてくれて、かつうまくザルツブルク行きのバスも来て、間に合った!のだそう。全くなんて運がよかったこと! ああ、よかった!とホッと胸をなでおろしました。
2008年7月27日(日) ひいおじいさん(?)の机、生き返る!
ここに越して来て以来、ということは、二度目にウィーンへ移住した2003年以来ということですが、前の住人が残して行った古くて大きな木の机がとても気に入って、ずっと使っていました。まるで私を待っていてくれたみたいに、ちょうどずっと欲しいと思って探していた私のイメージどおりの机が、そこにあったんですもの! どうして持って行かなかったのかしら、と不思議に思ったくらいでした。
でも、コンピュータなどなかった時代の机だし、さらに最初の所有者がとても大きな人だったのかも知れませんが、とにかく高さが79cmもあるので、椅子を一番高くし、さらにクッションを敷いて使っていました。それでも昨年末にものすごく集中して仕事をしなくてはならなかった時、肩に負担がかかり過ぎ、右腕が腱鞘炎になってしまいました。指圧師さんに来てもらうようになって、ようやく快方に向かいましたが、大元の原因を解決しなければ、また同じことになってしまう恐れがありますから、椅子の高さと大きさ、机の高さ、キイボードに手をおろした時のひじの角度などを、指圧師さんに見てもらいました。一応ひじは90℃以上にはなっているけれど、机面がもっと低い方が肩のためにはよいと言います。そして正しく座ってかつ椅子の背によりかかれると身体の負担が大分軽くなるということです。
そこで身体に合った、今までよりも小さい椅子を買いました。これなら背もたれに寄りかかりながら、キイボードの操作ができます。今度は机。理想の座り方ができるためには、どうしても机を低くしなくてはなりません。机の上にキイボードを乗せるなら、机の高さは73cmがいいだろうということになりましたが、足を6cmも切ったら、机全体のバランスが崩れてみっともなくなるんじゃないかとか、足といっても両側についている4段の引き出しの下の足台をぐる〜っと切るので、大変過ぎるんじゃないか、むしろ新しい机を買った方がいいんじゃないかとか色々考えましたが、やっぱりこの机にとても愛着があるので、思い切って低くしてもらうことに決心。
さて、昨日ついに実行!やっと少し上からモニターを見る感じになって、ひじの角度も90度より大分広がったし、背もたれに寄りかかりながら楽に書くことができるようになりました。足台の高さは最初12〜13cmもあったので、むしろ切った方がバランスがよいくらい! やっぱり最初の所有者はすごく大きな人だったのね、きっと。
さらに、机を分解したついでに家具の手入れ剤をつけて磨いたら、百年間水を待っていました!とでも言うみたいに、木がすっかり乾いてしまっていたので、
つけてもつけても水分、油分をどんどん吸い込んでしまって、ほとんど一瓶空になってしまいました! そうしたらなんと、見違えるようにつやつやと美しく、さらに格調高い机になって大感激しました。机もやっとまた本来の命を取り戻せて、とても喜んでいるように思えました。本当に捨てたりしなくてよかった!
ついでに木が反って、引き出しが動かしにくくなっていたり、ねじがゆるんだりしていたところも直してもらいました。中央の引き出しは足がつかえてしまうのではずしましたが、その引き出しの金具のデザインがアール・デコ風でとても美しくて気に入っていたので、記念に金具だけを取りはずしました。磨いたらきれいな金色になるので黒い背景にして、小さな額に入れてこの机の記念に壁にかけて置こうと思っています。私の前の住人は、この机を全く手入れしなかったようですが、一番最初の所有者は一体どんな人で、いつこの机を手に入れたのでしょうか? 80年くらいは経っているように思われるのですが、今までどれだけの人に、どんな風に使われて来たのでしょうか? とにかくこんなに美しく生まれ変わってくれた歴史あるこの机を、よく手入れをしながら大切に使って行こうと思っています。私の大好きな机、これからもどうぞよろしくね!
2008年7月25日(金)
暑中お見舞い申し上げます
チロル州の村、ライトから谷を望む
梅雨も明け、本格的な蒸し暑さの中でしのぎにくい日々をお過ごしのことと思います。こちらは2週間くらい前から最高気温が20℃くらいの涼しい日が続いています。特に昨日までの3日間は一日中14〜5℃で雨ばかり。建物の壁も冷え切ってしまい、家の中は暖房するには暖か過ぎるけれど、そのままでいるには何となく寒いという気温。長袖のTシャツにカーディガンをはおってちょうどいいくらいです。夜も暖房の効いた冬よりもずっと室温は低いので、冬用布団に夏用布団を重ねて寝ています。ああ、寒中お見舞いもらいたいくらい、と思っていましたが、今日、やっと最高気温が25℃まで上がりました!ああ、嬉しい!このまま、もう少し暑くなってくれるといいんだけど。
日本へこちらの涼しさ分けてあげられたらなあ!せめてほんのちょっぴり涼風を感じていただこうと、2004年の夏に行ったチロル州の山村、ライトの風景をお届けします。カキ氷や冷たく冷えたスイカ、花火と夏の風物を楽しみながら、どうぞお元気で猛暑を乗り切って下さいますように!
2008年7月22日(火) 整理し直し
コンピュータ技術者のダニエルくんに来てもらって、ハードディスクの組織替えをしてもらいました。効率よく、安全に、そしてバックアップもとりやすいようにしてもらい、それから新しいセキュリティシステムも入れてもらいました。丸一日かかりましたが、さ、これで使いやすくなるぞぉ。
2008年7月21日(月) 10歳の女の子から「ちび」の感想文届く!
今日は嬉しいお知らせがありま〜ぁす! 10歳の女の子から「にぎやか色のちび」の感想文が届いたの!実を言うと私の手元には2月の末からあったのですが、ちゃんと原稿用紙に自筆で書いてくれたオリジナルを、その女の子のピアノの先生がウィーンにいらした際に持って来て下さったので、嬉しくって、居間のドアのところに貼って、毎日眺めてはニコニコしていたの。
で、先日、突然、「私って何やってるの?! せっかくこんなすてきな感想文書いてくれたのに独り占めにして! 本人にお願いして、『ちび』の読者の声欄に載せさせてもらおう!」と超遅まきながら思いついて、早速実行したというわけです。昨日、これでOKです、というメールをもらいましたので、みなさんにご紹介致します。初めての子どもパワーの読者の声です。どうぞご一緒にもう一度『ちび』を味わってくださいね!まゆちゃん、ありがとう!!!
2008年7月19日(土) 怒涛の二週間
ここ2週間で起こった事といったら、もう文字通り怒涛の二週間という以外の表現が思いつきません。息せき切ってどーっと走り過ぎて、やっとホッと一息、というところです。みなさん、すっかりご無沙汰してしまってごめんなさい。
4日:先々週の金曜日、つまり4日に、翌週の月曜日にテキストが来るんだけど、仕事やる? という知らせが翻訳事務所から来ました。で、わかりました、やります、と受けたら、何と言うことか、その翌日の晩にまた熱! ええっ〜?!ちょっとどうしてくれるのよぉ〜!と思ったけれど、とにかく早く治さなくてはいけないので、即緊急体制を敷きましたが、どうもぐずぐずして月曜日が来ても下がりません。そしてテキストも来ません。午後しばらくしてから、やっと最初の分が来ました。これでは間に合わないと、仕事の一部をやってくれることになっていたドイツに住む翻訳者の友人に助けを求めて、彼女の分をもっと増やしてもらうようにお願いしました。なぜと言うに、13,14日の週末はグラーツに行くことになっていて、しかもその約束は、この前熱を出してしまって約束を果たせなかったので延ばしてもらった再度の約束。今度は何としても約束、守りたいでしょ?
8日:火曜日にやっと下がりましたが、そこですぐ仕事を始めるとまた熱が上がってしまうので、火曜日は体調を見るために小さなテキストを一つ訳すだけに留めました。ありがたいことに、友人がOK,いいわよ、あなたが金曜日までにできなかった分、全部やってあげる、とバーンと引き受けてくれました。ああ、持つべきものはよき友人、本当にありがたくて、感謝でいっぱい!とにかく私は水曜日からようやく仕事がちゃんと始められる状態なので、時間は3日間しかありません。
9〜11日:とにかく半分はやらないと申し訳ないので、ガンガンやりました。ところが途中で、セキュリティーのトラブルだの、使っている翻訳支援ソフト(本人がした翻訳をきちんと整理して取っておいてくれる、いわば個人用文書館)のトラブルだの、思いがけないことが次々起こって、その解決法がわからず、あれこれ試しているうちに、ああ、時間がどんどん過ぎていってしまう〜ぅ! 結局、どうにか解決でき、翻訳の方も半分は何とか仕上げて、納入しましたが、トラブルで相当時間を取られたため、木曜も、金曜も寝たのは、3時と2時。土曜は早起きして、グラーツまで2時間半列車に乗るんだから、せめて夜中前に寝たかったのに、残念ながらかなわず。
12日:後を友人に託してグラーツへ。考えてみると、列車の旅は、去年の夏以来。やはりグラーツのこれから行く友人のヘルガのところへ行ったんでした。そしてその後、そこからまた列車で、今度は西へ「呼吸療法コース」を受けに行ったんだったけ。久しぶりに列車の窓から見る緑の山々、畑の眺めに心が洗われるよう!
友人とご主人のマティアスが二人で駅まで迎えに来てくれました。そして少し遅いお昼は、庭での魚のバーベキューを用意していてくれたの! サイブリングという白身の淡水魚で、とてもおいしい。それにヘルガが作って置いてくれた、シュタイヤーマルク州特産のパンプキンシードオイルを使ったポテトサラダの何ておいしかったこと!ジャガイモ大好きの私は、さっそくレシピを教えてもらいました。それからかぼちゃやひまわりの種をくっつけて焼いた全粒粉のゼンメル(プチパン)も、外はパリッ、中はやさしい柔らかさ。全粒粉のゼンメルでこんなにおいしいのを食べたのも初めて! ぶどう棚の蔭になった涼しいテーブルから、お日様に輝く庭の草地の緑と色とりどりの小さな花を眺めながら、おしゃべりがはずみました。緑と外気の中で、食事をするのって、本当に気もちいい!夜はヘルガと積もるおしゃべり。
13日:翌日は、二人がまたすてきなプランを用意していてくれました。グラーツから車で45分くらいのところにある、ワイン農家の中庭で、食事をし、ワインを飲みながら聞けるジャズ・フェスティヴァルが開かれるんだけど、よかったら一緒に聴きに行かない?ですって。もちろん、Ja!
(ヤー!=イエス!) とりあえずお天気もよいことだし。
食事をしながらジャズを楽しむ人たち。上は日よけ、でも実は数時間後には雨よけになる運命。
フェスティヴァルはお昼の12時に始まって夜まで続きます。しかもこれから3日間。私たちは、11時頃到着し、キノコソースのクネーデル(ゆでパン団子)添えを食べ、3時頃まで、おしゃべりをしながら、ブルース、ヴギ、それからもう少しモダンなやつ、と楽しんだ後、会場を出て、また車に乗り、ワイン街道と周辺の風景を味わいに出掛けました。
私たちは、中庭の真ん中の少し高くなっている特等席に座りました。
本当に周り中、ブドウ畑ばかり。それもかなりの急斜面に植わっているものも多く、手入れが大変だろうなあ、と思ったら、まるでそれがわかったみたいに、マティアスが、「だから特別に急斜面用のトラクターっていうのが、あるんだよ」。
このあたりは、シュタイヤーマルクのトスカーナと言われているのだそうだけれど、確かに、限りなく続くゆるやかな丘にブドウ畑が並び、緑の中にレンガ色の屋根をした家々が点々と散らばっていて、ポプラの木々のまっすぐ天に向かって伸びる線が、全体の風景を引き締めているところなど、そっくり。と言っても、私は本物のトスカーナにはまだ行ったことはなくて、写真で見ただけなんだけれど。とても心穏やかになる光景です。車を降りて、急斜面のブドウ畑を登り、見晴台まで行って、しばし360度に広がる穏やかで、大きな風景を楽しみました。
「じゃ、今度は道の真ん中が国境になっているところを通って、ワイン街道をドライブしよう」と、再度車に乗り込んだとたん、ポツン、ポツンと雨粒が落ちて来ました。この日、雨が降るのは分かっていたので、いつまで持つかが問題だったんだけれど、ジャズを聞いている間も、見晴らしを楽しんでいる間も、降らなくてよかったね!と話しながら、出発しました。
ここはグラーツからさらに南に下がったところで、スロヴェニアとの国境にあります。いよいよ例の道にやって来ました。やっと車2台が通れる位の細い道です。表示板があって、「ここから約8kmに渡り、オーストリアとスロヴェニアとの国境線が、この道路の真ん中を走っています。こちらから入って右側を走るあなたはスロヴェニア内を走ることになります」と書いてあります。でも線が引いてある訳でもなければ、ましてや国境の監視小屋があるわけでもありません。戦前からここはずっとこうで、向こう側とこっち側の人たちが、たがいに助け合って、農作業をしたりするのは、ごく自然に行われて来たんだそうです。まあ、国境なんて国家が強引に決めたものですもんね。それにしても、こんなのは初めて見ました!
そのうちだんだん雨が強くなって来たので、もうまっすぐグラーツへ戻ろう、と言うことになりました。ところが走っているうちに、雨はますます激しくなり、風も激しくなり、ついに大豪雨。高速道路では、車の水しぶきと、激しく降る大量の雨で、周りは真っ白!雷は鳴るは、稲妻は光るは、とにかくうんとスピードを落とし、用心深く走って、無事帰着、胸をなでおろしました。この雨では、あの日よけもどこか遠くへ飛んじゃって、ジャズも中止になっただろうねえ、と話したことでした。夜はまたまたヘルガと、子どもたちと遊べる折り紙を折りながら、どう使ったらいいか、案を出し合ったり、お話し会の経験を聞かせてくれたり、子どもの教育についての異文化間理解の難しさなど、つきることないおしゃべりが続きました。
14日:さて朝9時半頃のEC
(Euro
City)に乗って、楽しかったグラーツを後に一路ウィーンへ。午後1時頃にはもう我が家に戻っていました。休憩、休憩。
夕方友人が翻訳テキストを送ってくれるのを待ち、内容が二人にダブっている部分の訳語統一をし、私の担当である表紙と目次の各ページを仕上げ、夜中に残りの全てを納入。と思ったら、一つ小さな記事のテキストを訳し忘れていたのを発見。これは明日納めることに。と、ああ、やっぱり来たか…。いやな予感が当たってしまいました。微熱が出てしまったのです。先週の無理が、やっぱり出て来てしまったよう。しかも、いつもの熱ではなくて、風邪を引いたみたい。では、急いでベッドへ!
15日:どうも熱が上がっていく気配なので、例の記事を急いで訳しました。小さな記事で本当によかった!納入すると、まだ一つ足りない、という返事が。調べて見るとそのテキストはどういうわけか、私のところへは送られて来ていなかったのです。で、すぐ送ってもらうよう頼んで、引き続きベッドで休みました。ホメオパシーの風邪薬をせっせと飲み、食欲はないので、とにかく水をジャンジャン飲みます。37℃台から、38℃台と上がって、ついに39℃!こんなに高くまで熱が上がったのは、何年ぶりというくらい久しぶり。5月から何度も熱ばかり繰り返して来ましたが、いつも微熱だったので、身体の中にたまっている熱が出切れなかったのかも知れません。一度、思い切り上がるのは、いいんじゃないだろうか、という気もしました。
オーストリアの民家の窓辺
16日:少しずつ下がって来た熱が、夜明け近く、突然1度も下がりました!
ああ、よかった! 最後に残った、ありがたいことにこれも小さな記事のテキストを訳しました。さて、これが最後のテキストだったので、これを納入して、ホ〜〜〜ッ!
でも、熱はまたUターンして上へ。結局その日、また39℃まで上がりました。でもこれは私の熱でした。風邪がきっかけになって、私の熱に移行したのです。え? どっちの熱かなんて、どうしてわかるの? と思われるかも知れないけれど、それがわかるのです。普通、風邪で39℃もあると、呼吸がつらくなるでしょう?でも私の熱の時はどういうわけか、同じ体温でも呼吸は全く何でもないのです。もちろん体力は消耗するけれど、なぜか声も元気よくて、おしゃべりだってできてしまいます。熱の出所が違うという感じです。さ、とにかく、水をたくさん飲まないと。
17日:で、木曜の夜明けに熱が下がり始めたので、今がチャンスと今度は副腎皮質ホルモン剤を飲んで寝たら、お昼近くに汗びしょびしょになって、なんと34℃まで下がってしまいました。いっぺんに5℃も下がったのです!我が身体ちゃん、消耗したでしょ、ほんとうにお疲れ様でした!ありがとう。たくさん水飲んで、よく休むからね。
そうしたらびっくりしたことに、なんと午後には、もう校正版が来てしまいました!でもこちらはとても仕事するパワーなんてないので、今日はゆっくり休むことに。
18日:金曜の今日、お昼近くまで休んで、ようやく元気が出て来たので、校正をして納入。これで、ようやく全部終わり。というわけで、すごい綱渡り芸だったけれど、とにかく無事納められて、本当にホ〜〜〜ッとしました。
というわけで、どうやら嵐が過ぎ去ったところです。
2008年7月3日(木) 『にぎやか色のちび』
が今週のベストセラーに!
『にぎやか色のちび』の原書
今日、友人にプレゼントする折り紙の本を買いに、ウィーン西駅近くの大きな本屋さんに行って来ました。そしたらその本屋さんの「今週のベストセラー」が
分野別にリストアップされて、壁に貼ってありました。
児童文学のところを見たら、なんと『にぎやか色のちび』(と言ってもドイツ語版の原書『小さな私は私(原題)』のことですが)が、新しい本に混じって、堂々4位に入っていました!初版が出たのは1972年という、もう出版されてから36年も経つ本なのに、未だにたくさんの子どもたちに愛読されているなんて、すごく嬉しくなってしまいました!まさに親子二代で読む本になりました。
2008年7月1日(火) 大阪国際児童文学館その後
パブリックコメント集やその他の情報を読むにつれ、大阪国際児童文学館が、たくさんの出版社の支援・寄贈により、他のどこでも見られない児童文学・文化の資料が継続的に収集・保管されている、日本で唯一の貴重な資料館であり、研究施設なんだ、ということが、しみじみ分かってきます。鳥越信先生の遺贈品で文学館を作ろうとした時、名乗りをあげたのは大阪府だったんだそうです。先見の明のあるすばらしい決断だったのですから、国の援助を要請するとか、賛助会員制度を設けるとか、何とかして日本でたった一つしかない資料館を守って行きたいものだと思います。こうした資料は児童文学・文化の研究、そして実際の教育政策作りに、また後の世代に残す記録としても絶対に必要なものです。そして一度中断してしまったら、その間を埋めること、新たに作り直すことはほぼ不可能でしょう。
この資料庫に今できる様々な方法が紹介してあります。また大阪府の臨時会本会議も見られます。どうぞご利用ください。
ところで大阪府立国際児童文学館てどんなところ? サイトはこちらです。
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