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2009年2月28日(土)
20日(金)の夕方から、土・日と毎晩、夕方になると熱が出て、夜中中水を飲んでは少しずつ熱を下げ、お昼頃にとりあえず下がるけれど、また上がるということを繰り返していました。
23日(月)はふらふらのまま、診察に行き、これでは日常生活もまともにできないので、もう少し緩やかな薬に変えてもらえないでしょうか、と先生に話したら、彼も同じことを考えていたらしく、どうも方向を間違えたみたいなので、経過のよかった最初の頃の処方に戻しましょうということで、新しい薬をもらいました。人によって反応が違うので、先生の方も手探りです。その日、夜になっても熱が出なかったので、これで新しい漢方薬が効き始めた!と喜んだら火曜日には早朝から熱が出てしまい、その日の午後ようやく下がりました。熱と発汗による体力消耗だけでなく、夜中ちゃんと眠れなかったことが加わってかなり身体が参り、2キロやせました。1月から2月半ばまでの4キロと合わせて6キロ減ったことになり、自分でもびっくり!
でも今度の漢方薬はやっと私にピッタリ合ったものが見つかったようで、ここ数日ようやく体温が落ち着きました。お腹はすくし、今日は何とご飯をはさんで12時間も眠ってしまうは、で、身体が一生懸命今まで失ったものを取り返そうとしているようです。体重ももう2キロ取り戻しました。多分、ほとんど水分だと思うので、近いうちに戻ると思います。それにしても漢方薬の作用というのはすごいものだと、またまた驚きですが、これでようやく、ホッとして漢方治療を続けて行かれます。
2009年2月17日(火) ミュージカル・コンサート
昨年の9月から、一部は夏前から準備して来たミュージカルコンサート、お陰さまで成功裡に終わりました! ミュージカルといっても、ある一つのミュージカルを演じるのではなくて、各ミュージカルから有名な曲を集めたり、メドレーにしたりして、それらに比較的やさしい振り付けをつけたり、小道具を使ったりしてショーとして構成するものです。「ショーほどステキな商売はない」(アニーよ銃を取れ)とか、「オペラ座の怪人」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」からのメドレー、ヘアーから「アクエイリアス」「レット・ザ・サンシャイン・イン」、コーラスラインから「ワン」、ウェストサイド・ストーリーからの「アメリカ」などで、全部で16曲(メドレーも1曲として数えて)。休憩を入れて、2時間半のショーになりました。
私は今回は体調が悪いことが多く、練習に参加できないことが多かったので、裏方を務めることにしました。チケットを当日取りに来る人の応対やCDやワインを売ったりしたので、始まった少し後に会場に入り、休憩や終わりの少し前に出たため、全部を見ることはできませんでしたが、みんなとても楽しそうに歌っていたし、お客さんたちも一緒に手拍子をとったり、ブラヴォーの代わりに足で床を踏み鳴らしたり、大いに楽しんで下さっているようでした。
ユング・ヴィーン合唱団がミュージカルに挑戦したのは初めて。だからもちろん振り付けも初めて。楽譜を持っていては動けませんから、当然曲は全部暗譜することになります。しかも振り付けにあわせて動いている時は、パート別に並んでいるわけではありませんから、一人でも歌えるようしっかりと暗譜していなくてはなりません。そして歌いながら、同時に踊るというのも初めてですから、どちらか一つにならない訓練も必要です。
団員の衣装は全て黒のTシャツに黒のパンツあるいはズボンで統一したので、小物の色が映えました。また付属児童合唱団の子どもたちは、反対にピンク、グリーン、黄色といった様々な色のTシャツで対照的な演出をしていました。
子どもたちはとっても可愛かったし、なかなか上手でしたよ! 男女一人ずつのソロ歌手も出演して、オペラ座の怪人、エヴィータ、マイフェアレディー、サウンド・オブ・ミュージックから、ソロやデュエット、子どもたちとの共演と彩りがつけられていました。マリアと子どもたちとの共演(ドレミの歌、ヨーデルの歌〔?〕)は圧巻でした。
このプロジェクトのために投入したエネルギーと時間はすごいものでした。団員の一人が振り付け練習リーダーになり、皆で毎回30分早く練習会場に来ては、自主振り付け練習をしたり、ミュージカル・コンサートのための週末強化練習も秋だけでなく、今年の1月半ばにも臨時に増やして行われました。そして間際の2月13日(金)の5時間以上もかけた総稽古のあと、15日(日)はいつもの練習場で一日かけて振り付けの総ざらい。16日(月)は歌の総仕上げ。最後は本当にインテンシヴでした。みんな本当によく頑張ったなあ、と私も大感心しました! その分、コンサート後の打ち上げでのみんなは、やり遂げた充実感と、成功した嬉しさで、とっても幸せそう!楽しいおしゃべりは永遠に続くかと思われました。ワインやビールの味も格別だったでしょうね。
2009年2月16日(月) 一日中雪
向かいのマンションの屋根 通りの様子
今日は午後一時止んだだけで、夜中の今になっても、横殴りの雪が降り続いています。午後、管理人さんがせっせと中庭の雪かきをしてくれていましたが、夜になってから、牛乳パックの収集が明日なので、中庭から外の通りに出るトンネルのところにパックを詰めた箱を置きに行ったら、またすっかり雪が積もっていました。うちから市電通りに出るには、緩やかな坂を登って行くので、雪の時は滑りそうで大変です。
2009年2月15日(日) 今年のバレンタインデーは?
今日のニュースによると不況にも関わらず、昨日のバレンタインデーの花やプレゼントの売れ行きは上々だったそうです。ところでバレンタインデーは、オーストリアでは一般的に男性から愛する女性に花をプレゼントする日ということになっています。もちろん、愛する妻や恋人だけではなく、ここがオーストリア人らしいところで、厳密には取らず、日頃心にかけている人に同性・異性限らずプレゼントしたりもします。だから女性からプレゼントすることもあるわけ。最近は日本のバレンタインチョコも、男性から贈ったりもするようになったとか。でも、どちらからって決めることもないですよね。
じゃあ、ウィーンっ子はどこでお金を節約するかと言うと、食料品と電気だそう。食料品は値段に気をつけて買ったり、安いスーパーで買ったりするけれど、でもお料理の質は落とさないよう努力していると解説の人が言っていました。解説者の意見だから、どこまで一般的かはわからないけれど、私もできるだけ安いスーパーで買うけれど、食事はおいしくなくちゃ人生つまらないから、手間は省いていませんよ。
2009年2月14日(土) バレンタインデー
今日は久しぶりに素晴らしいお天気! 天も今日がバレンタインデーだって知っているみたい。ここしばらく毎日どんよりと気が滅入りそうな暗い日が続いていたので、お天気がいいだけで、いっぺんに心が晴れます。
と思ったら、午後になったらまたいつものようにどんより〜。強い風で雪が吹き付けて、昨日の天気予報どおりになってしまいました。気温は1℃くらいだけれど、体感温度は−17℃(!)の言葉通り、あったかいコートの下の身体がビリビリするような寒さ!
久しぶりにベトナム料理を食べに行きました。ああ〜、この味、この味! 中華料理と見た目はほとんど変わらないのだけれど、薄味でとても洗練されたデリケートな味!もちろんこのレストランの味付けがそうなのかも知れず、これがベトナム料理一般の傾向かどうかはわからないのだけれど。ワンタンスープのワンタンの具はえびだったので、とても品のよい味。春巻きの味もマイルドで、違うお料理を食べているよう! カリカリ鶏肉も本当にカリカリで歯ざわりが心地よいけれど、味はまろやか。野菜もいっぱい添えられていました。ああ、おいしかった〜ぁ!最後にはバレンタインデーとあって、ローズ色のハート型ゼリーがレストランからサービスされました。なかなか気の利いた演出ね。
2009年2月13日(金) 後遺症?
今日は何だか一日中疲れて身体が重く、何をするパワーも出ないので、とにかく休むことだと、お昼寝。それで大分身体が楽になりました。晩は、来週パソコンを直しに来てもらうので(多分再インストールになりそう)、その前に手持ちデータを少しでも減らそうと、古いメールの削除をしていました。
約一ヶ月続いた体温のジェットコースター遊び(?)で、やはり身体も相当疲れたようです。汗を何日もかいて水分を失ったこともあるかも知れませんが、体重が4kgも減りました。でもあんなにたくさんお水飲んだのにね。それと夜、何度も目が覚め、体温を下げようと水を飲み続けた日が何日もあったので、ちゃんと眠れなかったと言うこともあるかも知れません。とにかく身体の方も新しい状況にびっくりして、慣れるのに頑張ったので疲れたのでしょう。どうやら体温が落ち着いたので、安心して急に疲れを感じたのかも知れません。薬局の人によると、副腎皮質ホルモン剤をやめたことによる禁断症状だとか。う〜ん、なるほど、そういう見方もあるのね。
2009年2月12日(木) ワッフルパーティ♪
今晩は施設訪問コンサートでウィーン滞在中のソプラノ歌手の友人をお招きして、ワッフルパーティを開きました。彼女は、もう1月31日からウィーンにいるのに、こちらの体調が悪くずっと会えないでいたので、一年ぶりに元気な姿に会えて、今日は本当に嬉しかったこと! 主食用で燻製肉とベーコン、玉ねぎの入ったシュヴァーベン風ワッフルに野菜と果物のサラダのヨーグルトソース添え、それにデザートワッフルというメニューです。デザートワッフルは、生地にアーモンド粉を入れ、焼いたら生クリームと小さく切ったイチゴを乗せて頂きます。
台湾公演の時、儒教の国である彼の地では、男女に対する扱いの余りの違いに驚いたこと、今回の訪問コンサートの今までの様子、そして喉の治療のためにやはり副腎皮質ホルモン剤を飲んだ時の話など、話は尽きません。それにしてもコンサートのプログラムが進むにつれ、聞いて下さる方たちの表情が和らぎ、歌に合わせて楽しそうに身体をゆすったり、中には彼女のそばまでやって来て、ニコニコしながら優しく彼女の頬をなでて下さった方までいたと聞き、今更ながら彼女の歌の持つ力に感動しました。
また、私が日本語への訳詞をさせて頂いたロベルト・シュトルツの「ウィーンは夜花開く」や「私の心の王様」、ドイツ語への訳詞をさせて頂いた「ふるさと」や「おひるねくまさん」が、皆さんに好感を持って受け止められていることを聞いて、とっても嬉しくなりました。もちろん彼女の表現力があるからこそなんですけれど、私もそこに少し参加させて頂いている、と思えるのはやっぱり嬉しいですもんね!
彼女にはもう一度、17日のユング・ヴィーン合唱団のミュージカル・コンサートでお会いすることになっています。私はあまりにも練習に参加できなかったので、今回は合唱団のCDを売る係りをすることになりましたが、練習時のみんなの熱意を見るに、きっと楽しんで頂けると思います。13日(金)は総稽古。夕方5時から10時過ぎまでかかるから、そのつもりでね、という団員メールが来ました。15日(日)は午前中からいつもの練習場で振り付けの最後の仕上げです。みんな、応援してるからね! ところで過去の更新日誌を見てわかったのですが、今回のミュージカル・コンサートの練習、一部の曲はもう昨年の夏前から始まっていました!
2009年2月10日(火) 熱はもう行ってしまった?
すっかりご無沙汰してしまいました。ああ、それにしても漢方薬ってこんなに激しいものだなんて思わなかった!
前回書いた熱の後の漢方薬では、もう寝ていなくてもよくなりましたが(これも大きな進歩!)、体温が遊園地のジェットコースターで遊んでるみたいに、平熱と微熱の間を上がったり下がったり、まるで落ち着かない。しかもたった15分のうちに1℃も上がったり、あるいは下がったりするので、寒気がしたり、暑くなったり、どうも気分がよくありません。でもどうにかまあまあいつもに近い日々が過ごせたし、合唱の練習にも行けました。1週間後に、お医者さんに報告ファックスを出すと、新しい漢方薬を処方してくれました。
あらら、やっぱり暑くなったり、寒くなったり、じわじわ汗をかいたり、とにかく体内に熱が溜まったままて出て行けないでいるという感じがします。4日目の晩、夜中に身体中が熱くて目が覚めると38℃近く。ものすごく喉も渇いているので、目が覚める度にお水をガブガブとた〜くさん飲みました。朝までには3リットル位飲んで、汗をどんどんかいて、ようやく午後になって平熱に。そこでまた報告ファックスを送ると、1月27日、また次の漢方薬が処方されました。今度は粉ではなくて煎じ薬。
じわじわと汗をかいたり、寒くなったり、暑くなったりの感じは続いています。2日目の晩と3日目の番、また同じことを繰り返しました。でも、今回は体温は高くても、ものすごく喉が渇いた感じはしません。でもやっぱり目が覚める度にお水をガブガブ飲むと、お昼頃には熱が下がりました。次の晩は熱が出なかったので、少しよく眠れました。そこでまた新しい漢方薬。人によって反応が違うので、先生の方も手探りです。
2日目の晩にまた同じことを繰り返し、3日目の晩には、今まではもう38度位までしか出なくなっていたのに、38.5℃!夜明けにはついに39℃になって、慌てましたが、その後漢方薬だけで、少しずつ下がって行き、その翌日の朝には平熱に戻り、その後は時々微熱がチラッと顔を出すけれど、あとは落ち着くようになりました。で、昨日は久しぶりに合唱練習にも行って来ました。
さあ、これって、今まで出たくても出られなかった体内にこもっていた熱がついに出て行ったということなのかしら? 漢方薬で熱が出なくなって行く過程というのは見当がつかないのだけれど、とにかく最初に想像したように、次第に熱の間隔が伸びて、ある日消える、というような静かな過程をとらないことは身に沁みてわかりました。まとめてガ〜ンと出て、それっきりもう出ないというプロセスも考えられると思いますが、それがこの約1ヶ月の大混乱だったのでしょうか? う〜ん、そうだといいんだけれど。
ただし、ミュージカルコンサートの方は、昨日の練習の時、余りにも練習に出られなかったので、出るのはやめて会場でCDを売ります、と指導者に申し出て来ました。練習はもう半年前くらいから始めているのですが、秋の週末強化合宿にも1月半ばの週末特別強化練習にも出られなかったし、間にもずいぶん休んでしまったし、最後の仕上げにも出られなかったとなれば、出ない方がいいのは明らか。
去年の秋には図書館に行って、歌う曲の入っているミュージカルCDをできる限り探して借りて、コピーをとって、家で聞いたり、それなりに暗譜もして来たし、振り付けにも6曲のうち4曲は一、二度は参加できたのですが、それじゃ余りにも少ないですよね。山高帽やステッキや、傘、カーニバル用のマスク、そして全員お揃いの黒のTシャツもみんな揃えたのに、ちょっと残念ではあるけれど、口パクしてごまかしても自分が楽しくないし、みんなの足を引っ張るのではと気にしながら歌うより、16曲もの暗譜と6曲のステップの暗記に頑張って来たみんなの成果を、応援を送りながら、楽しませてもらおうと思います。
これで熱の方ができればおしまい、そうでなくてももう少し普通の生活を送りながらゆっくり治して行ける穏やかな形になってくれることを祈ります。
2009年1月23日(金) 快復に向かう大混乱?
7日から11日まで熱が出てやっと元気になったばかりだったのに、14日にまた熱が出てしまい、結局19日まで寝込む羽目になりました。こんなことは今までなかったことだし、しかも熱はもう前のように高熱は出なくなりましたが、微熱と中熱を行ったり来たりして、そこから上がりもしないし、下がりもしない日が続きました。そこでお医者さんに電話したら、すぐ来なさい、ということで翌日の20日に診察に行って来ました。
お医者さんは診察するとすぐに新しい薬を処方してくれて、「今日からすぐこれを飲んで下さい」。結局20日にはとりあえず下がったことになりましたが、新しい薬を飲み始めたら、熱はないのに、身体の中が変に熱かったり、汗をかいたり。ちょっと微熱になってまた下がったり。今度は熱を下げる成分を入れてくれたことがあるのかも知れないけれど、漢方の治療を始めてから2ヵ月半、多分身体の中は新しい変化で大騒ぎ中なのでしょう。しばらくは今まで予想もしなかったことが起こってくるかも知れませんが、基本的に正しい道を行っているのは確かなので、快復目指してがんばることにします。
でももう成果は現れています。もう眠りにつくまでに2時間も3時間もかかるということはなくなったし、毎日9〜10時間眠らないと疲れて身体が持たないと言うこともなくなりました。眠りの質もよくなりました。
2009年1月11日(日) 「ペレアスとメリザンド」
嬉しいことにアン・デア・ウィーン劇場でのオペラ公演「ペレアスとメリザンド」のゲネプロの切符が手に入ったので、今日を楽しみににしていました。でも熱の後の回復具合がどうかな、と思っていましたが、ゆっくり休み、午後大丈夫な感じがしたので、髪を洗い、今年初のオペラ鑑賞に行って来ました。うん、熱後の回復、早くなったぞ!♪♪♪ たっぷり暖かく着込んで、出発。地下鉄の駅の寒暖計は−6℃を表示していました。
ドビュッシーのオペラは初めてです。このオペラはオペラ台本にせずに、
メーテルリンクの原作にほとんどそのまま、曲をつけたそうですが、そのせいか、耳に残るメロディーも歌詞も全くなし。でも、歌と音楽がせりふに(ということは歌詞に)ピッタリと合っていて、心にジンジン沁みて来ました。RSOウィーン(ウィーン放送交響楽団)の演奏も歌手たちもとてもよいと思いましたが、華やかで耳に残るアリアなどが全くないため、オペラと言うより、むしろ上質の演劇を見たような印象を持ちました。朗々と響くのではないフランス語で歌われたことも、その印象を少し後押ししたかも知れません。ただ歌手たちのフランス語の発音はとてもきれいで、印象的でした。
妻を亡くしたばかりで孤独な架空の国アルモンドの王子が、森でミステリアスで美しい、多分どこかの王女と思われるメリザンドを見初めて、妻にします。メリザンドは自分の国で絶望的な体験をし、逃亡して来て、森に迷い込んだのでした。繊細な異父弟の王子ペレアスも彼女に恋し、メリザンドも夫の手前、気持ちを隠してはいるけれども、実は最初に会った時から魂の同類者、ペレアスを愛していました。二人はついに愛を確かめ合います。前から疑いを持っていたゴローは、嫉妬に狂ってペレアスを刺殺、衰弱したメリザンドはゴローとの間にできた娘を生んでまもなく息絶えます。
しかもアルモンドは相当に北方の国らしく、冬は日光が全くささない日々も多いという、全体的に何とも暗いオペラ。王子たちの祖父である高齢の国王の衣装も、グレーの背広に同じグレーのよれよれのロング・トレンチコートと言うのもその印象をさらに強くしていました。またアルモンドは北方の暗い国であるだけでなく、城も古く、飢饉に襲われていて国力も弱っており、あらゆるところに滅びの前兆が現れているようです。あるいはこの暗さの強調は、舞台美術家あるいは演出によるものなのでしょうか。もう少し明るさを入れて欲しかったと思いました。
愛する妻が最も愛するものを殺さなければならなかったゴローの嫉妬と絶望と良心の呵責。ぺリアスのほとばしるような一途なメリザンドへの愛。夫を本当に愛することができず、夫への良心の呵責を感じつつも、ぺリアスを愛さずにはいられなかったメリザンド。各人それぞれの後ろめたさを秘めた暗い情熱が、まるで姿かたちを持ったように伝わって来ました。メリザンドに不憫さを感じている老国王は、三人の様子を外から眺めながらも、運命を受け入れ、赦し、寛大に対処します。王は最後に、亡くなったメリザンドを見て、生まれたばかりのその娘を抱き、「代わりにこの子が生きるのだ」とつぶやきます。
2009年1月10日(土) どんどん寒くなる〜ぅ!
ここ一週間ほどほぼ一日中零下の日が続いていますが、週末はもっと寒くなると言う天気予報の通り、昨日の夜、キッチンの窓の外に貼り付けた温度計を見たら、何と−7℃!うちの窓枠はアルミサッシなので、外の寒気が内側にも伝わってしまい、暖かい内側のサッシはびしょびしょになってしまいます。そうすると壁が傷み、腐って来るので、住宅にもよくないのですが、昨晩はその水玉が一部凍っていたので、びっくりしました。凍ってしまったというのは初めて!ドイツでは−25℃になった地域があるそうなので、それに比べたらどうってことないけれど、ウィーンではこの冬の最低気温。今朝は−5℃だったし、当然風邪が大流行り!でもこの寒さも週明けには和らいで、プラスの温度になっていくそうです。しばらく最高気温が+5℃以下、でもプラス、というあたりの日が続くという予報。
さて、かく言う私も7日の夕方に熱が出て、やっと今朝、平熱に下がりました。これは風邪ではなくて、私の熱ですが、ホメオパシーの解熱剤がよく効くみたい。もちろん漢方薬とのコンビでの成果ですけれど。風邪引かないようにしなくちゃ。
2009年1月4日(日) 初めての土曜日
昨日は年明けて初めての土曜日。友人たちとの待ち合わせで、街の中心に出たら、待ち合わせのお気に入りカフェ「ティローラーホーフ」は、ものすごい混雑&ものすごいタバコの煙で、霧がかかったみたい! これでは気持ち悪くなってしまう!と入り口の外で友人たちが来るのを待って、他のカフェに行くことを提案、もう一つのお気に入りカフェ「ディグラス」に行ったら、ここもものすごい混雑!でもかなり広いのに、誰もタバコを吸っている人が見当たりません。ああ、よかった!とちょっと順番待ちをして、やっと座れました。時間も午後4時頃だったし、ちょうどみんながカフェに入りたくなる時間だったことも、大混雑の理由の一つ。それに年末年始は観光客がとてもたくさん来るのと、年明け初めての土曜日で、クリスマス・新年とお祝い慣れ、休み慣れしちゃったウィーンの人たちが、2日、3日と仕事をして、ああ、やっと週末!ちょっと遊びに行こうよ、となったというのもあるわね、きっと。
そう言えば、50uだったか80uまでの飲食店は、喫煙店か非喫煙店かのどちらかに決めなくてはならず、それ以上の大きさの場合は、ガラスなどで区切るか、部屋によって喫煙ルームと禁煙ルームに分けなければいけないことになり、その法律がもうすぐ施行されます。昨日行ったカフェは両方ともかなり大きいのに、片方は喫煙カフェに、もう片方は禁煙カフェに自主的に決めたのかしら。入り口にシールが貼ってあるはずなので、今度よく見てみよう。
う〜ん、そうなるとこれからは「ティローラーホーフ」には行けなくなっちゃうなあ。いつもたいていどこか席が見つかるし、落ち着けるし、サービスも感じよくて好きだったのに、残念。まあ、でもすいている時なら行ってもだいじょうぶかも知れないわね。でも「ディグラス」が禁煙カフェになるのは、タバコを吸わない私としては大歓迎。ここも伝統的なカフェハウスなのに、余り美しいとは言えない状態なんだけど、とっても落ち着けて大好きなカフェです。何しろ、一度おやつ時間から晩御飯過ぎまで、8時間もいたことがあるくらい。食事時だけではなく、一日中、「今日のメニュー」というのが食べられます。昨日はおいしそうなケーキがショーケースにたくさん並んでいるのを横目で見ながら、甘いもの禁止の私は、我慢してトーストを食べました。
2009年1月1日(木) 元旦
明けましておめでとうございます。
日本から8時間遅れで、オーストリアでも新年が明けました。シュテファン寺院の鐘、プンメリンが響き渡り、同時にテレビからは「美しき青きドナウ」が流れる中、打ち上げ花火が(と言っても全て個人が上げるもので、ウィーン市の催しではありません)バンバン上がり、爆竹があらゆる通りで鳴り続けて、例年のごとく、とても賑やかな年明けでした。我が家の居間の窓からは花火がとてもよく見えるので、次々と夜空に広がる色も大きさもとりどりの花火を眺めながら、新年への思いを新たにしました。
恒例のニューイヤーコンサートの今年の指揮はダニエル・バレンボイム。曲目の選択も演奏もなかなかよかったと思うし、バレンボイムは演奏だけでなく、楽しいコンサートにするための演出の努力も色々していて、好感が持てました。ただ、いつもはオーケストラ団員たちがとてものびのびと、喜びに溢れた表情で演奏しているのに、今日は皆、ずっと真剣な表情で、のびやかさと軽やかさに欠けていたのが気になりました。指揮者はいつも世界的な人たちなのですから、演奏がよいとか悪いとか言うより、こうなると趣味の問題なのかもと思いますが、私に一番ピッタリ来るのは、やっぱりヴィリー・ボスコフスキー。まさにウィーンそのもの!と言う感じで、私は大好きでした。
私は今、甘いもの禁止なので、大好きな豆きんとんを作るのは諦め、お雑煮だけを作って、日本のお正月をほんのひとかけら味わいました。朝はどんよりと曇って気温も−2℃と寒かったのですが、コンサートを聴いているうちにお日様が雲間から顔を出し、青空も見えて来たので、お天気が変わらないうちにと、しっかり着込んで、オットー・ヴァーグナー設計の教会で有名な精神科の病院、シュタインホーフの上に広がる市民のための保養地域に散歩に行って来ました。
大好きなヴィルヘルミーネの丘の中腹にあって、すぐそばなのに行ったのは初めてでした。広々とした草地の所々に小さな林が広がり、向こうには広々とした空が広がってなんて気持ちのいいこと! ぼんやりと曇った空に黒い木々が浮かぶ様子もなかなか趣きがありました。かなり広大な区域で、首都の中にあるとはとても思えないそのままの自然。この寒さなのに、たくさんの人が散策に来ていました。
途中にあった石に貼りつけられたプレートを読んでみると、ここは集団住宅団地ができることになっていて、すでに計画も出来上がっていたのだそうですが、1981年、住民運動によって、市民の住民投票が実現、投票によって、この貴重な自然が市民のための保養区域としてそのまま残されることになったのだそうです。ウィーン市民もなかなかやるじゃありませんか。住民の意思を尊重した市側もなかなか、と言えますね。
さえぎるもののない丘の中腹ですから、風が冷たくて、手袋をしていても指先が冷たいし、頬が寒〜い!というわけで、暖かい部屋に座りたい一心で、レストランはこちらという道標に従って、がんばって歩いてたどり着いてみたら、あ〜あ、元旦でしまっています。じゃあ、車でもう一つの丘の中腹のレストランへ、と行って見たら、あら〜、ここもお休み!それならうちの近くの老人ホームの中のカフェなら絶対開いてる!というわけで、そこへ。
ここは老人ホームのロビーに設けられたカフェで、クリムトの最後のアトリエが近いからか、「カフェ・クリムト」と言い、誰でも入れるし、内装がとてもいい感じで、最近散歩がてら、よく行くようになったカフェです。ホームの住人を訪ねてきた家族や、住人同士がおしゃべりをしたり、トランプに興じたりしていつも賑わっています。全体の雰囲気もいい感じで、ホーム自体も、受付にいる人と、住人がいつも歓談していたり、来る人に挨拶を交わしたり、温かな雰囲気が伝わってくるので、年取ったらここに住む?なんて話をしたりするのですが、でも朝決まった時間に身支度を整えて朝食ルームに出て行くなんて、朝の弱い私はできないし、いやだなあ、と思うので、やはりできる限りは自力で暮らそう、ということになりました。
今年は世界中、厳しい年になりそうですが、こういう時こそ人と人とのつながりが大切。そうして支えあう中で、辛いことを乗り越える力も湧いてくる、というのは、新年に向けてのウィーン司教様のメッセージでしたが、確かにそうですよね。人生は小さな出来事の積み重ねですから、自分のできるところで人とのつながりに小さな喜びを重ねていけば、挑戦したり、困難を乗り越えていく元気や勇気も湧いてくるのではないかしら。今年を少しでもよい年にしていきたいものですね。
日本ではまだお正月のお祝いが続きます。皆さま、どうぞゆったりと心温まる楽しいお正月をお過ごし下さいね。
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