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               更新日誌

         

*「署名のお願い」と「中間報告」以降の更新日誌は、二つの記事の下にありますので、どうぞ下に下がって見て下さるよう、お願い致します。もう7月になってしまいましたので、この二つの記事はまもなく7,8月の更新日誌の方に移動させるつもりです。 *二つの記事はこちらに移しました(2009.09.08)。

2009年7月2日(木)RSO署名キャンペーン中間報告
   
RSOメンバーの友人に現状を聞きましたので、中間報告を致しますね。

  RSOは独立採算制のオーケストラになれと要求されているのか、それとも引き続きオーストリア放送局のオーケストラとして存続する可能性があるのか、また署名はどの位集まれば存続できるのか、これらメンバーが一番知りたいことは、何度も何度も質問しているにも拘らず、経営側は新聞に出るまで口をつぐんでいるため、自分たちがどうなるのか全く分からない状態なのだそうです。質問に答えないのは本来法律違反なのですが、のらりくらりと宙ぶらりん状態に置いて時間稼ぎをするのも戦略のうちだ、と経営側は言っているそうです。

それにしても経営側として、例えば、できるならば引き続きオーストリア放送局のオーケストラとして存続できるよう努力したい、もしどうしてもダメなら独立採算制のオーケストラとしてやっていけるようその基盤作りに協力する、と言ったような経営側としての方針を全く出さない、あるいは出せないのはいったいどういうわけなのでしょうか? 2010年度まで全く何の情報も与えず、終わった時点で突然オーケストラは解散します、では余りにひど過ぎますよね。もしかしたら、実際には解散を目的としているので、なるべく何も知らせないように口をつぐんでいるのでしょうか? こんなことが許されるというのもおかしい気がしますが、法律的な道は全くないのでしょうか。署名委員会が、それに対して打てる手があるのに、何もしないということは、あり得ないと思いますから、経営側はさらに上の手を使って上手に立ち回っているのでしょうか?

  署名は29,000集まりました。そして今、オケメンバーたちは署名の期限なしで、50,000集めようとしています。これは50,000の署名で国会が動いた例があるからなのですが、これも確実とは言えないものなので、できるだけ多くの人にこの状況を知ってもらい、たくさんの署名を集めて、政治家を動かすことを目指しているそうです。あと約2万です。短い間に3万集まったのですから、決して不可能ではないと思います。どうか友人、知人の皆さんにもこの状況を知って頂き、少しでも多くの方に署名をして頂けるよう、ご協力をお願い致します。

ドイツには14も放送交響楽団があり、いずれも活躍しているというのに、オーストリア唯一の放送交響楽団で、しかも素晴らしい実力を持つオーケストラをオーストリア放送局の予算の8%を節約するために解散するというのは、余りにひどいことだし、かつ余りに残念なことだと思います。もうひとがんばりして、ぜひともRSOウィーンを存続させましょう!


  2009年6月2日(火)RSOウィーンを潰さないで!署名のお願い。

  ウィーンフィル、ウィーン交響楽団に次ぐ実力と言われ、今春も日本巡業公演で素晴らしい演奏を聞かせてくれたRSOウィーン(ウィーン放送響。オーストリア唯一の放送交響楽団)が、今解散の危機にさらされています! どうか署名運動にご協力下さい。下のURLを開けると、本文はドイツ語ですが、ずっと右に行くと旗印があり、英語、スペイン語、日本語から選んでクリックすると、状況説明が読めます。なお署名はローマ字でお願い致します。また署名は一人一回しかできませんので、ご注意下さい。

   この署名運動は、RSOウィーンメンバーなどRSOウィーンの解散に反対する人たちが中心となって働きかけているもので、集めた署名は署名運動の責任を負う各委員会に提出するものです。ですから署名、メールアドレスなど署名に関する必要事項は、どうぞローマ字で書き込んで下さるようお願い致します。日本語での状況説明は日本人にも状況をわかってもらうために、書き足したもので、本来の署名のための言語ではありません。

   はっきりとした注意書きがないために戸惑われている方が多いと思います。
申し訳ありません。大変失礼を致しました。またstatementは書かなくても構いません。どうぞ署名はローマ字で、statementを書く方は英語かドイツ語でお願い致します。ご協力、心より感謝致します。


   どうかお知り合い、友人の方々にもお送り下さり、一人でも多くの署名が集められますようご協力をお願い申し上げます。
 
 
   www.onlinepetition.at

日本語状況説明の後の署名してくださる方はこちらからをクリックすると、次のように書いてあります。

 ●集められた署名は、署名運動の責任を負う各委員会(政治団体、報道機関、メディア)に提出されます。

 <署名に関する記入事項>
 ファーストネーム
 苗字
 居住地、国名
 メールアドレス(これは公表されません)
 ご意見(ステートメント)
 コントロールコード
 コントロールコードをご記入ください

1.既に送信したものの内容を変更することはできません。
2.完全な住所を記入する必要はありません。住んでいる都市名だけで充分で  す。
3.「氏名」「居住地」「ご意見」は公表されます。
4.請願のための署名は、Eメールアドレス1つにつき、一人一回のみ可能で   す。

    2009年6月22日(月)夏はどこへ行っちゃったの?
   
ウィーンは土曜日から急に雨がちの寒いお天気になりました。今日は一日中13℃、しかも一日中雨が降りっぱなし! できれば外に出たくな〜い!という寒くていやなお天気ですが、やっと元気になって来たことだし、久しぶりに合唱練習に顔を出したいと思って、行って来ました。ウールのタートルネックのセーターにウールのカーディガン、さらに冬用のジャンパーといういでたち。これでちょうどいいという感じでした。とにかくここで風邪を引いては困りますからね。久しぶりに懐かしい顔に会えたのが嬉しかったこと!

    合唱団では今週から新しい作品に取り掛かるので、自分で楽譜を印刷して下さいという団員メールが来たので、見たら、何と128ページ!!!こんな大作を歌うの?!とびっくり仰天! 作品はカール・オルフ作曲の「カルミナ・ブラーナ」。調べてみると、「カルミナ・ブラーナ」は、19世紀初めに南ドイツバイエルンの修道院で写本として発見された世俗的な詩歌集で、11〜13世紀に書かれたらしい。今度歌う作品は、それに基づいて、カール・オルフが1936年に完成させた世俗カンタータであるそうな。歌詞は中高ドイツ語とラテン語。ウィキペディアによれば、「混声合唱、少年合唱、ソプラノ・テノール・バリトンのソリスト、大規模なオーケストラという大きな編成で、酒や男女の睦み合いなどを歌った詞に、シンプルな和音及び強烈なリズムが特徴。20世紀を代表する楽曲である」ということなので、これに取り組むのはかなり大変そう。そうそう、全曲歌うのには約1時間かかるそうです。

   7月、8月は合唱団は夏休みなので、本格的に練習を始めるのは9月から。
コンサートは来年の3月。12月のクリスマス前のアドヴェントの時期は、クリスマスソングの出前コンサートで忙しくなるので、実際に練習できるのは半年もないけれど、9月には週末強化合宿も計画されていることだし、まあ、みんなで頑張れば何とかなるでしょう。今日はとにかく初見でバンバン歌って、全体の感じをつかむ、というのが、新しい合唱指導者の方針だったと見えました。そうそう、今度からウィーン少年合唱団の指導者の一人が、私たちの合唱指導者になったのです。30代位のとても熱心で、楽しい先生です。

   お天気のことを付け加えると、昨日長期予報を読んだところでは、今週前半は雨で最高気温でもせいぜい20℃という寒い日が続き、その後7月には最高気温が25℃くらいの涼しい日が続き、8月になったらやっと平均気温より高い夏らしい日々がやって来そう、ということです。あ〜あ、これじゃあ、袖なしの洋服なんてほとんど着る機会がないのかなあ。どうぞ、8月は暑くなって、夏らしい夏を味わえますように!

2009年6月20日(土)快気祝いの五目寿司
   
おかげさまで大分元気が出て来たので、今日は五目寿司を作って、快気祝いをしました。たけのこ(缶詰)、しいたけ、人参を自然糖少しとおしょうゆで煮ふくめ、いんげんをゆで、錦糸卵を作り、あとは焼き海苔と白ゴマ。イタリアの中くらいの長さのお米を使い、1時間弱、水に浸けて、水加減は100%、圧力鍋で3分炊きます。お酢はリンゴ酢がとてもおいしいので、いつもリンゴ酢を使います。お米の15%のお酢を取って、自然糖を少し混ぜ入れます。母には酢飯を作る時はお米の10%の米酢を入れる、と教わりましたが、リンゴ酢の場合はもっと多い方がおいしいようです。

  さて、彩りよく盛った五目寿司に、いんげんとワカメの澄まし汁を添えて、簡単だけれど快気祝いの食卓の出来上がり。やっぱり和食はおいしいです!ああ、何といってもこういう食事だと元気が出るわぁ! ごちそうさまでした! これから少しずつパワー投入して行きましょう。

2009年6月16日(火)
  
皆さま、RSOウィーン存続のための署名、ありがとうございます!

RSOウィーンメンバーの友人によれば、この短い間に3万以上もの署名が集まったそうです(今はさらに増大中!)! さらに文化大臣がRSOウィーン支援を約束してくれたそうで、とても喜んでいました。そして署名にご協力下さったみなさんに心からのお礼を申し上げたい、ということです。
皆さん、ご協力、本当にありがとうございました! 

 どうかお知り合い・友人の方々に、さらなるご協力をよろしくお願い申し上げます。 

2009年6月16日(火)とんだ災難だった病院滞在報告+α

                                                         

  今回の病院滞在についての大筋は既に皆さんに報告いたしましたが、それにしても、歯を抜いたことからこんな大ごとになるなんて、夢にも思いませんでした!
 
  4月6日に抜歯。4月20日頃から出た熱がどうしても下がらないので、26日に入院しました。抗生物質の大量点滴で4月末日にどうやら熱が下がり、これでもうすぐ退院と喜んだのもつかの間、病院内で肺炎を起こしてしまったのです。

  というのも、入院して最初の2つの抗生物質の点滴に私がアレルギー反応を起こしてしまったので、あれこれ品を変えてがんがんと何リットルもの点滴をしているうちに、足がむくんでバンバンになってしまいました。それでもさらに点滴攻勢を続けているうちに肺に水が溜まってしまったのが、肺炎になった原因らしいということを、後で病状報告で読んで、ええっ!ばかみたい! もちろん抗生物質で私の免疫力がガ〜ンと落ちたこともあると思うけど、とにかく肺炎は避けられないものではなかったみたいで、全くも〜う!!!です。あんなに辛い思いしたのにぃ!

  でもとにもかくにも無事生きて家に戻れて、とにかく感謝あるのみ。今思えば肺炎になって一週間くらい、39〜40℃の熱は、大量の点滴で、一時的には下がってもいつもまた元に戻ってしまっていたんですもん。つまり下がっても、また上がる、を繰り返していました。

 
  肺炎になると同時に血液の状態も一気に落ちて、血小板数が平常値の1%という信じられない数に落ち込んだので、血小板だけの輸血を3袋、普通の輸血を1袋受けました。さらに酸素吸入をしつつ、抗生物質の点滴毎日3リットル、採血毎朝50cc(1ヶ月で何と1.5リットル!)、しかも点滴で気分が悪くなるので、食べられない、飲めない、かつ肺炎だと呼吸が苦しくて横になって眠れないため、ベッドの頭を高くして寄りかかって眠るしかなく、寝返りが打てないので1時間ごとに目が覚めるし、眠れないしで疲労困憊状態という重病人になってしまい、
ひょっとするとダメかもと思った位、自分の力の限界いっぱいいっぱいでした。

  結局丸1ヶ月入院し、どうやら肺炎の方はとりあえず治ったので、血液の状態は入院した時よりずっと悪いまま、5月26日に退院して来ました。
 
  そんなわけでまずは壁を伝いながら、何とかまっすぐ歩く、というところからリハビリは始まりました。でも、皆さんの応援のおかげで、今日は西洋粥が食べられた、今日はおじやが食べられた、今日は自分で人参ジュースが作れた、という具合にして、薄紙を剥ぐように元気になって行きました。

  そして病院から家で服用するようにと持たされて帰って来た幾種類かの抗生物質と副腎皮質ホルモン剤がやっと終わったのが、先々週の終わり。で、わあ、これで終わったぁ!と喜んだのでしたが、月曜の晩になって、状況が急変し、また39℃の熱が出てしまいました。

  漢方の先生によると、免疫システムが今がんばっているところだから、解熱剤はいらない、処方した薬を飲んでいればそのうち下がるから、と言うので我慢していたのだけれど、全く下がる気配はなし。さすがに5日も39℃に耐えるのは余りにきつくなったので、ついに金曜日の朝、薬局で化学製剤を買って来てもらいました。それを飲んだら、39度から数時間でいっぺんに33.7℃(!)まで下がってしまい、ギョッ、これじゃ冷凍人間になってしまう〜ぅ!とびっくり!
でも、アスピリンのようにすぐ熱は下がるけれど、またすぐ上がって元に戻ってしまうと言うことはなく、無事、もう熱は出ないで済みました。

  そこでまた壁を伝って歩くところから、リハビリのやりなおし。血圧が相当落ちているらしく、起き上がってベッドに座り、しばらくそのままじっとしていても、立とうとするとすぐ目まいがします。月曜日(というのは15日のことですが)には、漢方のお医者さんに行くことになっているので、それまでにとにかくお医者さんまでたどり着けるようにならないと、とがんばって、漢方医診察行もどうやら昨日、無事終了。

  というわけで、また退院してからのリハビリをやり直すことになりましたが、もうこれで大丈夫です。今度の漢方薬は高熱を下げるのはダメでしたが、それ以外には、全体に力をつけなくてはいけない今の状態にとてもよく合っているようです。先生は最後に小さな声で、「うん、39℃にもなった時には、化学製剤を飲んでもいいよ」ですって。これから徐々に日常生活に戻して行きます。

  皆さん、ご心配、応援、本当にありがとうございました! どうぞご安心下さいね。


  2009年5月31日(日)退院お祝いのメッセージ、たくさんありがとうございます! 

 きこちゃん、あきよさん、チカ、Ludwigさん、リヒャルトさん、オオカミさん、おひさま、ご心配の書き込みありがとう! また書き込みで、そしてメールで、退院を一緒に喜んで下さった方々、本当にありがとうございます!とっても嬉しいです! さあ、これから元気になるぞ、という元気が湧いて来ました。

  おとといは壁を伝わずにまっすぐ歩くのはまだ不安がありましたが、今日はもうばっちり大丈夫です。副腎皮質ホルモン剤の副作用で眠れないのが問題ですが、今服用量を減らしているところなので、ゼロにできた後は睡眠の方も回復してくると思います。

  少しずつですが確実によくなって来ています。どうぞこれからも応援をお願いしますね! みんな、本当にありがとう!

 2009年5月29日(金)やっと退院しました!
    みなさま、本当に長いこと心配をおかけしました。やっと退院して来ました。抗生物質の大量投与で4月末日にやっと熱が下がり、これでもうすぐ退院と喜んでいたら、数日してまた高熱が再発。なんと肺炎だと言うことが分かり、結局丸1ヶ月入院するはめになりました。同時に血液の状態も谷底状態に落ち込みました。

   とりあえず肺炎が治ったので、血液の状態はかなり悪いですが、26日に往きと同じように病人搬送車で退院して来ました。肺炎になったのは初めてですが、それにしても今回は正直言って本当にきつかったぁ!今、こうして生きていられることに感謝するのみです。

  これからまだ10日位は静養が必要だと思いますが、あとはもうよくなって行くだけですので、どうぞご安心下さい。

  お返事は書けませんでしたが、励まし・応援・ご心配のメールを送って下さった方々、お手紙を書いて下さった方々、本当にありがとうございました。
たくさんの元気を頂きました!

  ハイネが少女に恋をした美しい5月は入院している間に過ぎてしまいましたが、美しい6月を期待することに致します。

  せめて日本の気持ちよく、美しい5月をみなさまが味わえましたように!

 2009年4月26日(日) 入院のお知らせ(こちらにもコピーしました)
  
 4月6日に奥歯を抜きました。歯の下の隙間に膿が溜まっているのがレントゲン写真で分かっていたし、抜いたら膿が必ず血管に入るため、用心のために抗生物質もちゃんと飲んだのに、約2週間後の20日、熱が出ました。ここ数日、色々手を尽くしているのですが、残念ながら、熱がどんなことをしても全く下がりません。ホメオパシーの薬は効き方がゆっくり過ぎて今のところ何の効果もないし、昨日飲んだ化学製剤では、たったの3時間で3度も下がったものの、夜中にものすごい寒気がして、朝になったらまた39℃。

  
これではどうも保養どころではなく、入院する必要がありそうなので、もう少し経ったら(今はまだ朝の6時)、漢方の先生が推薦してくれた病院に部屋があるかどうか尋ねてみるつもりです。それにしても歯を抜いたことが原因でこんなことになるとは思ってもいませんでした。ウィーンで入院なんて、もう20年以上してないのに。

あ〜あ、久しぶりの休暇前々からとっても楽しみにしていたのに!
悲しいよ〜〜ぉ!病院ではパソコンは一切使えませんから、HPも見られないし、メールの送受信もできませんが、どうかご了承下さい。早く治るように応援しててね! (結局、漢方の先生推薦のフランツ・ヨーゼフ病院には空きベッドがなく、ウィーン市第二のヴィルヘルミーネ病院癌・血液学病棟に入院しました。)
 

 

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