TOP 2010年
3・4月の更新日誌 過去の更新日誌 2010年7・8月の更新日誌 ・更新日誌・
2010年6月22日(火)再々入院から昨日、戻りました! 6月4日にせっかく退院したのに、またまたどうしても下がらない高熱が出て、6月7日に再々入院してしまいました。家にいられたのはたったの3日間でした。 最初の抗生物質治療の後、今度は予防のためということでさらに6日間の別の抗生物質の点滴を続けました。腸内細菌が壊滅しないようヨーグルトを食べ、下痢にならないようチョコレートを食べてお腹の方はどうにか守ることができましたが、かなり強い薬だったらしく、点滴中から疲労を感じました。信じられないでしょうが、病院に入院していると寝不足になります。病院のテンポに合わせた生活を強いられるからです。朝6時に検温、7時半に朝食、その後すぐに採血、点滴。その間に病室の清掃、ベッドメイキング、回診。その間を縫って様々な検査。病院治療の実際というのは、要するに一日に数時間、点滴につながれるということですが、一日に3回、同じ点滴を受ける時には、間を数時間空けなければいけないので、下手をすると最後の点滴が終わる頃にはもう夜中。夜中の1時、2時に突然急患が運び込まれてくることもあります。また点滴中は眠ることができません。 そんなわけで昨日退院した時はものすごい疲労状態。で、家に帰り着いて2時間眠り、夜も10時間くらい眠り、さらに今日はお昼寝までして、やっと少し生き返った心地になりました。家だと本当に良く眠れるし、食事もおいしい! 抗生物質は身体に大きな負担を強いるので免疫力がグッと落ちます。それに毎日の採血で、血液検査結果も落ち続けていきます。ヘモグロビンなんて、呼吸困難に陥りそうな値。たったの一日で採った分を生産できるわけないのに、経過を知る必要があるとはいえ、患者の状態をもう少し考慮したやり方はとれないのでしょうか? さて、私の問題は、5月初めから出始めた原因不明の熱。何かの細菌による感染らしいのですが、何なのかは幾ら調べても不明。ということは、私の免疫力が落ちたのでしょうか? でもそれでは、「私の熱」がもう長い間出なくなっているのは、どう理解したらよいのでしょうか? どちらにしても免疫力が高ければ、少しぐらいの細菌が入って来ようと追い出せるわけですから、免疫力をつけるのは絶対に必要ですが、そのためには、よく休み、健康な食事をし、適度な運動をする、新鮮な空気の中に身を置く、といった一般的な方法しかありません。そうだ、たくさん入れてしまった抗生物質の毒を出来るだけ早く体外に出すデトックスも必要ですね。とにかくまずはその方向で努力するつもりです。 ****************** 掲示板でのたくさんの応援、また入院の間、メールを送って下さった方々、 2010年6月6日(日)久しぶりの切り番です! 5月31日に、かずよさんが、55,555番目の訪問者となりました! 2010年6月6日(日)入院中にメールを下さった方々、 で、家に戻って来たら、突然腰がギックリ腰の前段階状態!腰を伸ばしても曲げても、どうやってもビリビリと痛いので、薬を塗って、そうっと横になり、比較的楽な姿勢を見つけたら、そのままスローモーションのへっぴり腰で、家の中を徘徊していました。でも一番辛かったのはおとといで、昨日、今日とどんどん楽になって来ました。もう一息です。 今回は、首の静脈切開をして、採血、点滴の度にあちこち刺さなくていいようにカヴァカテーテルという静脈の出入り口を作りました。どうしてもたくさんの点滴や採血をしなければならない場合は、私のようにほとんど静脈が見つからないような患者は、これを作って全てをここから済ませる方が、身体がずっと楽だからです。形成手術も、今年は、まず最初に意識をもうろうとさせて、麻酔を余り感じないで済むように点滴が行われたし、若い女医さんがとても上手にやってくれたので、昨年より楽でした。しかも取り付け位置も抜群だったと見えて、入院中、血管がつまるとか、血が出て来ないとかいった問題は一切なく、全てスムーズに行きました。
2010年6月5日(土)昨日2度目の退院、して来ました。 それで皆さんに入院することだけでもお知らせしようと、もうすぐ病人搬送車が来るという時に、大急ぎで、熱が下がらないのでこれから入院します、でもそんなに長くはならないと思いますので、どうぞ待っていて下さい、とだけ、掲示板に書きこんで、送信し、画面に現れたのを確認して、搬送車に乗りました。 この記事は、掲示板に書いたものですが、更新日誌だけをご覧になっていられる方にもお伝えするために、少し変えて、再掲載致しました。 2010年5月18日(火)ケヴィン先生 さて、帰りは久しぶりにいつものイタリア料理店へ。今日のお昼の定食は、裏ごしほうれん草のスープ、トマトソースがけミートボールにポテトピューレ添え。ものすごくよくある平凡なお料理なのに、その一つ一つの味がなんとデリケートな 2010年5月16日(日)至福の月(のはずの)、五月にまた 梅雨のような5月です
結局2回とも抗生物質で熱を下げたのですが、でも今年は去年みたいに 4日目にいつも採血や針刺しに来るS先生が、「これからも毎日採血しろだって」、と言いながら、たくさんの試験管の入った入れ物を持って、やって来ました。前回はようやく右足に針が刺せたのでしたが、今度はあちこち探りましたがついにダメ。「だいたいこんなに静脈の細い患者から毎日採血しろという方が無理なんだ。君の静脈を探すのは、全く地獄だよ。僕から主任医師に話してみるよ」と言って帰って行ったと思ったら、その後すぐに女医のA先生がやって来ました。彼女は刺すのがものすごく上手!今回は、多分炎症値を調べるためだけのごく小さな試験管に採血しただけでした。S先生と話して、彼女が来たのかと思ったら、そうではないと言うので、S先生との経過を話したら、「そうよ!それに毎日採血したら身体も弱っていくんだから、やたら採血するのもよくないわ。主任医師に話して見るわ!」と、ありがたいお言葉! 熱は3日目に既に下がっていたし、詳しい検査のための大量採血ももう済んではいたのですが、昨年の例があるので、そのうちまた誰かが点滴抱えて刺しに来るのではないか、下手すると、点滴続けるために、静脈切開しなさいなんて言われるのではないかと、ドキドキしていましたが、夕方になると看護師さんがやって来て、「針、抜きます」。「えっ!また新たに刺すんですか?」と聞くと、「ううん、多分、もうなし!」「ということは点滴もなし?」「多分ね」。う〜ん、多分じゃ、落ち着かないんだけどなあ…。翌日の13日は、『キリスト昇天祭』で祝日。やたら静かで何にもない。毎日の回診も今日は、「何か必要なことはありますか?ない?はい、ではどうぞお大事に」でおしまい。何なの〜? 何とか言ってよ〜。と思いつつ、落ち着かない日を過ごしました。 翌朝になると、何と錠剤が出ました。点滴をやめて錠剤の抗生物質に切り替えてくれたのです。採血ももうありませんでした。そうして回診の時、主任医師のB先生の言うことには、「体温も落ち着いているし、様子を見て何もなかったら、月曜か火曜には退院だね」ですって! S先生とA先生のおかげ! ありがとう、S先生、A先生! それにしても昨年と今年の治療方針、何かあった時の対処の仕方の違いには驚きました。オーストリアでは、各病棟の階ごとに、主任医師と医師二人が配属され、この三人からなる医療チームが、その階に入院している全ての患者の治療を一緒に担当するのが一般的です。私のいた階は、満室だとすると患者数は28人。 まず抗生物質や解熱鎮痛剤は、必要とあれば使うけれども、必要最小限に抑えるようにしているし、例えば針を刺せる静脈がないなどの患者の状態に応じて、状況が許せば、点滴をやめて錠剤に切り替えるなど、臨機応変に対処しています。またそれは主任医師とアシスタントの医師たちとの間の意思疎通がうまく行っているからこそできることです。主任医師が直接患者を診察することはほとんどないので、検査結果など数値で表せる患者の状態把握はできても、実際に患者に接する医師でなければわからないことも当然あるからです。 最終的に治療方針を決めるのは主任医師ですが、昨年のように誰も言ってくれなければ、あるいは主任医師が押し通せば、全身で7リットルしかない血液を、重態の患者から、5週間、合計で1.5リットル採血してしまうことも起こり得るわけです。昨年、「こんなに毎日たくさん採血したら、身体弱っちゃいますよね」と暗に抗議したら、「あ、だいじょうぶ、影響はほとんどありませんから」(ないわけないでしょう!?)でおしまい。余りの点滴の量に、身体がもう抗生物質を受け付けなくなり、気持ち悪くて食べ物も飲み物もうけつけなくなってしまったので、事情を話し、「ですから抗生物質の種類を変えるか、量を減らしてもらうことはできないでしょうか」とお願いしたら、「いいえ、今の薬は効いているので、耐えてもらうしかありません!」 患者を衰弱させてもその処置が本当に必要かどうかを考えると言う発想が昨年の医療チームには全くありませんでしたから、今回医療の原点を忘れないでいてくれる医師たちに出会えたのは、本当に嬉しいことでした。
|
||