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更新日誌

                  

 2011年6月21日(火)歯周病治療ひとまず修了!
    
今日はついに最後の歯のクリーニング。歯周病菌の検査結果は、ごくわずかしか発見されなかったということで合格。何と、次は4ヵ月後にいらっしゃい、
と言われてびっくり!現在、歯の詰め物が一部欠けている所や、カリエスになっている箇所など幾つかあるのだけれど、基礎がしっかりしていないのに、上だけ治しても意味がないので、これから4ヶ月、今までのようにしっかり、徹底的にブラッシングをして、歯肉を丈夫にして下さい。それから治療をしましょう、ですって。
随分と徹底的にする歯医者さんなんだ、と感心しました。はい、夏の間、がんばります。

 2011年6月16日(木)カフェでおしゃべり
    
「サフィア−新生イラクを担う族長の娘」の著者、ガイスラーさんと、本当に久しぶりに、ウィーン最古のカフェ、「カフェ・フラウエンフーバー」でおしゃべりしました。彼女は、たまたま仕事の関係で原子力学者と話す機会があって、東電が原子炉冷却のための海水注入をためらったことに話が行ったら、「それは当然だ!」と余りにもきっぱりと言ったので、専門家というのは如何に自分の専門に盲目になるものかとびっくりした話を聞かせてくれました。真水ではなく海水を注入してしまうと、原子炉はその後ほとんど使えなくなるため、莫大な損失が生じます。その損失を避けるため、できるなら海水注入をせず、もとに戻そうと考えるのが当然だと言うわけです。炉心溶融が確実になってさえ、経営上の損得を考えるという思考回路がもうしっかり固定されてしまっているのですね。
 
   しばらく原発談義をした後は、もう可愛くって!という14ヶ月になる孫の女の子の話を聞かせてくれました。1週間に1度、一日預かるのだそうですが、最近いつもその赤ちゃんが、彼女が話すことを否定するようなしぐさをするのだそうです。例えば、さあ、○○を食べましょうね、と言って渡すと、それを床に投げてしまったり。まだ言葉も分からないのに、どうしてそれを否定することができるのかしら? と言うのを聞いて、思い出したことがありました。漢方のお医者さんの待合室で、若いお母さんがまだ言葉を話せない赤ちゃんに、絵本を見せて、色々話しかけていました。ところが、「ワンワンはどこ? ニャーニャーはどれ?」とお母さんが聞くと、赤ちゃんはちゃんと正しい動物を指差すのです!ずっと観察していると、どう考えても赤ちゃんにはおかあさんの言う言葉の内容がちゃんとわかっているのです。それで、ああ、そうか、赤ちゃんの脳の中では、猛烈なスピードで話す準備が進んでいるんだ!と気づきました。まだ自分から話すことはできなくても、聞くことは全て保存され、分析・統合されてしだいに体系ができていっているのですね、きっと。そしてそれがある段階を超えると、能動的に言葉を発することができるようになる、赤ちゃんの発達ってすごいなあ、と感動しました。ガイスラーさんも「そうなの、じゃあ、もうちゃんとわかっているのね!」と感心していました。

 私が気功を習いたいのだけれど、体調が落ち着かなくて定期的に習いに通うことができないという話をすると、「あら、気功なら、私、中国人の先生について数年間、習ったのよ。八段錦なら教えてあげられるから、一度うちにいらっしゃいよ!それで私には自然食のことを教えて!」ですって。そんなわけで、そのうち一度、八段錦(基礎気功のワンセット)を教えてもらいに伺うことになりそうです。

 ガイスラーさんは、ただ今、新しい本の準備中だそうです。彼女は語る力のある人だから、今度はどんな本になるのか、楽しみです。 

 2011年6月15日(水)皆既月食
    
ウィーンできれいな皆既月食が見られるというので、「見に行く?」
「行く、行く!」と、夜10時少し前、少し高いところを目指して出掛けました。ヴィルヘルミーネの丘よりも、かなり急な坂に沿って一帯に広がる「貸し庭地帯」の方が暗くて、見やすいんじゃないかということで、まずはそちらへ。ここの丘の上はおいしいレストランが2つ並んでいて、週末は結構人が来るところですが、この時間に、来ている、来ている、かなりの車が止めてあって、降りると、あちこちに歩いている人たちがいます。坂の一番上の見晴らしのよいところに行って見ましたが、どちらを見ても月なんてどこにも見えません。

   そこで、そばで双眼鏡で見ているカップルに、「月が全然見えないって、一体どういうことなんでしょうねえ?」と話しかけたら、「いや、見えますよ。ものすごくぼんやりしていて、気をつけて見ないと気づかないほどですが。ほら、あの屋根の端から1mくらい右側のところから、1〜2m上がったところに、ぼ〜っとですが、薄赤く見えるでしょう?」 そう言われてそのあたりをジーッと見ると、あ、ありました! 細かいガラスの赤い切片で作ったモザイクのような月です。感覚としては直径20cmくらい。左下の部分は比較的よく見えますが、右上は見えません。ところが連れ合いは、貸してもらった双眼鏡で見ても全然見えない、と言います。街灯がかなり明るいから、そのせいでよく見えないのでは、などと話していたら、双眼鏡氏も「ヴィルヘルミーネの丘の方が暗くて、ここよりはよく見えるんじゃないかなあ」と
言うので、解説のお礼を言って、やっぱりヴィルヘルミーネの丘へ。

 あらら、ヴィルヘルミーネ城に着く大分前から森の道路脇はびっしりと車で埋まっています。この分じゃ、お城の駐車場はもっと場所ないよね、と話しながら、それでもお城の駐車場に入っていったら、どこもかしこもギュウギュウ詰め!ところがなんとも運のよいことに、すぐ目の前で、1台の車が出て行ったので、うまく停められました!それが10時半頃。

 角を曲がると・・・あっ、今度はさっきよりはっきりとモザイクの月が見えます!芝生の上は、敷地内のずっと向こうにあるユースホステルの方まで、人で一杯!ここにこんなにたくさんの人がいるのを見たなんて初めて!数百人はいるでしょうか。折りたたみ椅子やシートを持って来て、どっかと腰を下ろしている人たちで埋まっています。食べ物や飲み物も用意して来て、たくさんで輪になって座っている人たちもいます。彼らはもう何時間も前から来ていたのでしょう。ホテルも商売っ気を出して、机を出し、立ち飲み用のテーブルも近くに幾つか置いて、ボーイさんが、飲み物を売っています。買っている人も結構います。こんな時間にお祭りみたいで、それなのにこんなに人がいても静かで、何だか変わっていて、楽しくなりました。あ〜あ、月よりも、ここにこんなに集まっている人たちを撮りたかったなあ、カメラを持ってこなかったのがすごく残念でした。

 私たちはただボ〜ッと立って、月のモザイクが少しずつ色を濃くしていくのを見ていたのですが、フッと横を見ると、何とオーストリア放送局が来ていて、テレビカメラを向け、マイクを持った人が誰かにインタビューしています。その後カメラマンは人垣を縫いながら、あちこちの人たちの様子を写していました。

 月の変化は本当にゆっくり。30分も立っていたら足が痛くなってしまったし、ここまで見ればいいことにしよう、と帰ることに。モザイクの月は大分はっきりして来たので、他にもちらほらと帰り支度をする人たちがいます。11時でした。

 バスの終点になっている広場まで下りて来たら、誰にも邪魔されず、二人だけでしっとりと月を見ているカップルがいました。周りのムードはないけれど、でも二人だけですもんね。月を見ると、左側が細く光り始めていました。皆既月食が終わって、またこれからいつもの月に戻り始めたわけね。帰宅したら、出掛ける前は東側の建物に邪魔されて南側の窓からは見えなかった月が、南の方に移って来て、よおく見えるようになっていました。そこで用意しておいたシャンパンで、皆既月食と私たちに乾杯!連れ合いはメキシコで、皆既月食を見たことがあるのだそうで、その時は、月が直径何メートルもあるかと思われるくらい大きく、しかも赤銅色の中に月のクレーターや海まではっきりと見えて、何だか怖いほどだったのだそうで、同じようなものを期待していたため、ちょっと気が抜けたようでしたが、でも私は、あのモザイクの月はとても美しいと思いました。

とにかくそうは見られない自然の不思議な現象が見られたのだし、あんな時間にあそこにあんなにたくさんの人たちが集まっているのを見るのは楽しかったし、まあ、面白い体験でした。夜中の12時には、みんなを騒がせた月は、すっかり明るい普通の満月に戻っていました。


 
2011年6月12日(日)キリスト昇天祭
   
今日と明日はキリスト昇天祭(Pfingsten)というカトリックのお祭りで祝日です。私はと言えば、熱が下がり、ようやく起き上がって、熱の後始末を始めたところ。何日か寝ていると、家の中は埃が積もるし、熱による汗でパジャマは幾つもビショビショになり、洗濯物も溜まります。メールの返信は滞っているし、でもこちらもまだフルパワーでは仕事にかかれないしで、少しずつ体力回復に従って、負荷を増やし、日常生活に慣れていく段階です。今回は無熱で23日間もって、前回より3日記録を伸ばしました。もっとも最高記録からすると、まだ2日少ないので、次回は1ヶ月を目指すぞ、と思っています。火曜日にはケヴィン先生の診察日なので、どんなお話が聞けるか楽しみ。それから久しぶりに寄れるイタリア料理店での昼食もね!

2011年6月4日(土)ラクセンブルク城大庭園
   
5月31日に日本から友人が訪ねてくれました。天気予報は毎日外れて、今日も素晴らしい夏のお天気。そこで、自然を楽しみに郊外のラクセンブルク城へ遊びに行って来ました。イギリス式の大自然公園で有名です。
 

  
大庭園施設の入り口に建てられた「蒼の館」(左。1710年、ルーカス・フォン・ヒルデブラントによる)                                    

  1333年に、アルブレヒトV世が、当地の小さいながらもお堀つきの豪華な城郭施設を買い取り、以来、ハプルブルク家の所有となりました。マリア・テレジアによって1756年に大増築され、1780年には庭園施設をイギリス式に改造、大きな池やたくさんの島、森の中にはたくさんの散歩道のある、自然が一杯の大公園となりました。1周するには観光列車(と言ってもそれは外側だけで、実は自動車)で25分もかかります。

 
  様々な種類のボートに乗れる大きな池     対岸のフランツェン城へはフェリーで1分

 
 フランツT世が騎士の城として(ネオゴシック)  気持ちのよい夏の日を楽しむ人たち
 建てたフランツェン城(1799-1801)。  
 (内部は博物館になっていて、塔に登るツァー                 
 もある。
                
 
  私たちはまず、お城の脇のイタリア料理店で、ピザを食べて腹ごしらえ。ここは、漢方のケヴィン先生の診療所のすぐそばにあって、とってもおいしいので、いつも通っている例のイタリア料理店の支店です。緑の中でゆっくりとお昼を味わった後は、入り口から観光列車に乗り、フランツェン城前で降りて、フェリーで向かいの島へ。島のレストランで緑と水を眺めながら、少し早めのおやつ。優しくさわやかな風も吹いて、ああ、いい気持ち!

その後はしばらく近くを散策し、緑を満喫してから家路につきました。

2011年5月28日(土)休養に行って熱?!

 先月の22日を最後に、一ヶ月以上も更新を休んでしまいました。ごめんなさ〜い!

 
 食事室の窓から見える牧場。牛たちが見えます。 動物をなでられる子供用動物園のヤギの親子。

  5月1日から4日まで、休養のため山の宿に行っていました。
   そこは海抜800mの山、狭い谷、山、狭い谷と続く本当の山中で、空気も特に濃密な山の空気。それで疲れて疲れて、食欲はなくなり、ウィーンに戻ったら、疲労の余り微熱が出てしまい、2日間、のびていました。その後も体調が回復しないまま、10日には熱は39℃となり、いつもの熱に移行、薬を飲んでやっと下がり、ああ、よかった、これで今日から起きられると思った13日(金)の朝、
何と微熱が出ているので、驚いて手足を調べてみたら、左腕の肘の内側から上が腫れています!虫刺されのようです。急いで漢方の先生に電話したら、運良く先生が出て下さって、心配だからすぐ来て、とのこと。急いで行って診て頂いたら怖い虫ではないようだから、と抗生物質の軟膏を処方して下さいました。

  軟膏はとてもよく効いて、腫れはどんどん引いて行きましたが、翌日の夕方には、熱はまた39℃以上に。どうもまたまた私の熱に移行したようです。それで翌朝、また副腎皮質ホルモン剤を飲んだら、嬉しいことにお昼過ぎ、下がりました!というわけで、1日の短期休暇から始まった一連の事件は、ここに来て、やっと終りに辿り着いたようです。
  あれほど力強い山の空気の中に行く時には、体が慣れるまでせめて1週間は滞在しないといけなかったのだと悟りました。初めての宿だったのでまず3泊と思ったのですが、思いがけない結果になってしまいました。
 
  でも宿は、景色は素晴らしく、三ツ星なのに、部屋はきれいで広々として、眺めのよいバルコニーもついていて、まるでセミスィートのよう。食事はと言えば、全て自営の農園(野菜、パン、ケーキ類)と家畜舎(肉、ベーコン、ハム、ソーセージ、バター、チーズ)からのもので、すごくおいしい! お料理、ケーキの味も最高でした。

というわけで、場所はものすごく気に入ったので、次回はたっぷりと日を取って、今度こそ楽しんで来ようと思っています。

 

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