TOP 2011年9.10月の更新日誌 過去の更新日誌 2012年1・2月の更新日誌 ・更新日誌・ 2011年12月30日(金)「電子ピアノとチョコレート」その後 「月刊ウィーン」のブログ「ウィーン日誌」に記事と写真が載っていますので、 2011年12月29日(木)山のクリスマス 皆さま、楽しいクリスマスを過ごされましたか? サンタさん、素敵なプレゼントを持って来てくれたかしら? 今年のクリスマスは、初めてウィーンの外で過ごしました。24日に、車で1時間15分ほどの山地、ラムス(海抜約800m)に出掛けて、クリスマスの祝日を過ごし、28日に戻って来ました。
家族経営のホテルのクリスマスイヴは、明かりを消して詩を読んだり、ご主人が宿泊客に語ったり、孫の男の子が、詩を暗誦したりしながら、ゆっくりと食事が進んでいくという、静かで、心温まる、本来のクリスマスらしい、とても気持ちのよい時間でした。詩を聞き、ろうそくの炎を見つめながら、命や希望について考えました。それに食事も最高でした!材料は全て自前の農場からのものと言う徹底振りです。最後には女主人と孫の男の子扮する二人のサンタクロースが、ソリを引きながらやって来ました。私たち宿泊客は、一人一人、小さなサンタクロースから、自家製クッキーのプレゼントをもらいました。
サンタさんからプレゼントをもらう宿泊客
晩の8時半からのクリスマス礼拝に行きたい人は、クリスマスイヴの行事が終わった後、ホテルのバスで連れて行ってもらうこともできました。
ラムスから距離にして4km、高さにして200mほど下るとキルヒベルクです。27日にリーネルさんご夫妻を1時間ほど訪ねて来ました。イヴの後、疲れて体調を崩したということだったので、せめてお土産だけ渡しに、と訪ねたのでしたが、大分元気になっていて安心しました。墓地を訪ね、リーネルさんのお母さんのお墓参りもして来ました。所々に小さなクリスマスツリーを立ててあるお墓もあって、ああ、亡くなった人にもクリスマスを過ごしてもらおうという心遣いなんだなあ、と思いました。こういう習慣があることは知らなかったのです。そう、千羽鶴を折って飾ってくれた、マーティン君の通うギムナジウムも、外からだけですが、見に行って来ました。千羽鶴は学校の玄関ホールに飾ってあったのだそうです。 ラムスの日暮れ時 ギムナジウム、真ん中奥が玄関ホール 久しぶりにゆったり、ゆっくり、4日間を過ごしました。山の空気が気持ちよく、 心の底から気持ちよい日々を過ごすことができて、クリスマスのラムス行きは癖になりそうな予感です。 2011年12月23日(金)明日はクリスマスイヴ Merry Christmas Frohe Weihnachten 皆さま、どうぞ楽しいクリスマスをお迎え下さい。 2011年12月22日(木)電子ピアノとチョコレート また田野畑中学校と江刈中学校には、校長先生・職員・生徒の皆さん全員にウィーンのチョコレートを贈りました。またバザーに協力したメンバーから、それぞれ両中学校にクリスマスカードを送りました。 電子ピアノを贈った田野畑中には、モーツァルトクーゲルン計138個を、12月9日に発送(3キロ弱)、田野畑中を支援している川村先生の江刈中には、シシー・ミニトルテ計63個とモーツァルトクーゲルンほぼ同数を、12月10日に発送しました(6キロ弱)。 2011年12月15日(水)嬉しいお知らせ!千羽鶴、その後 そうしたら、一昨日、アドリガン先生から小包が着きました。開けてみたら、日本の手漉き和紙で作ったとても美しい葉書と共に、A4版の大きな千羽鶴の写真、そして先生が折って下さったきれいな青色の折り鶴が出て来ました。 先生は日本に関心を持って下さっているようです。特に折り紙に深い関心を寄せて下さっているのかも知れません。折り紙は今や世界的な評価を受けて、世界中にたくさんの折り紙作家がいるし、各国で展示会も開かれています。私も、世界各国の折り紙作家による素晴らしい作品集を持っています。でもそれは、これからまた先生とお手紙のやり取りをする中で、分かって来るでしょう。 でも日本人は一人も住んでいないし、ほとんど訪ねて来ることもないオーストリアの小さな町に、こんなに日本を思って下さる先生がいらした、というのは、本当に嬉しいです。ふいづさ〜ん、ふいづさんの思い、それからメールを下さった皆さんの思い、しっかりと受け取ってもらえましたから、どうぞご安心下さいね。 こんなに応援をしてもらっているのですから、日本人として、今までよりも住みやすい、よい国にするよう、みんなで頑張らなくっちゃね。 2011年12月11日(月)アドヴェントの第2&第3日曜日
ちょっと怠けてしまったので、アドヴェントの第2日曜日と第3日曜日の画像を一緒にお届け。ろうそくの右側の壁に立てかけてある絵は、アドヴェントカレンダーと言って、1から24までの数字が書かれた窓がついています。12月1日から、その日の数の窓を開けていきます。開ける度に、少しずつ少しずつクリスマスが近づいて来て、大人でも何となくワクワクした嬉しい気持ちになります。窓を開けると、普通は冬やクリスマスにちなんだ可愛い絵が出て来るのですが、でもこのカレンダーはチョコレートつき!窓を開けると小さなチョコレートが出て来ます。 2011年12月2日(金)クリスマス・イルミネーション
久しぶりに友人とグランドホテル7階にある和食レストラン「雲海」で、日本の味を楽しんで来ました。帰り、そろそろ暗くなりかける頃で、もうイルミネーションがついていたので、まだちょっとボーっとした感じでしたが、パチリ。お昼を食べて、そのあとお茶でおしゃべりして、出て来たのは4時頃でしたが、その頃にはもう暗くなり始めます。5時にはもう夜中みたいに真っ暗。 2011年11月30日(水)ドイツが脱原発を決めた本当の理由 昨日msnニュース画面で、「ドイツが脱原発を決めた本当の理由」(2011.11.11、日経電子版)という記事を見つけました。ああだろうか、こうだろうかと色々考えている時、あれこれの疑問を一つ一つ解決して行くのに、とても役に立ちそうだと思いましたので、ここにご紹介したいと思います。日経ビジネスの編集者が、環境NGO「グリーンピース」トーマス・ブリュアー気候変動エネルギー部門長にインタビューしたものです。
2011年11月27日(日)アドヴェントの第一日曜日
今日はアドヴェント(待降節)の最初の日曜日。アドヴェントクランツ(待降節の葉環)のろうそくに一つだけ灯をともして、静かにお祝いしました。第2回目の日曜日には2本のろうそく、3回目は3本のろうそくと毎週1本ずつ灯を灯すろうそくの数をふやしていきます。そして4本のろうそくをつけたら、いよいよクリスマスがやって来ます。今年はアドヴェント第4回目の日曜日の次の日曜日がクリスマス。土曜日がクリスマス・イヴですから、ちょっと長い待降節になりました。 2011年11月26日(土)歌劇「こうもり」 この前、無熱45日間の新記録が出せたので、そのお祝いということで、 フォルクスオーパーへ「こうもり」を聴きに行ってきました。たまにオペラに行くといつも国立オペラ座だったので、フォルクスオーパーは、この前いつ行ったのか覚えていないほど久しぶりだったのですが、やはりこじんまりしていて親しみが持てて好きだなあ、と思いました。 2011年11月16日(水)千羽鶴の真実がわかりました!
11時少し過ぎにウィーンを出発し、1時間15分ほどでキルヒベルクに到着。昼食を取ってから、近くを散歩、午後3時頃にリーネルさん宅に伺いました。ケーキのルーツと言われるジャム入りのドライケーキ、リンツァーケーキとコーヒーを頂きながらおしゃべり。マーティン君のクラスでどうして千羽鶴を折ることになったのか気になる私は、リーネルさんにそのわけを聞きました。 2011年11月8日(火)晩秋のウィーン 今日はリング(旧市街を囲む環状道路)に近い美容院に行ったので、帰りにブルクガルテン(王宮庭園)に寄って来ました。モーツァルト像の前では、相変わらず観光客が写真を撮っていましたが、周りはすっかり秋。リングの道はよくお掃除をすると見えて枯葉は溜まっていませんでしたが、我が家の近くの歩道は黄色い落ち葉ですっかり埋まり、黄葉した並木に映えて、とてもきれいです。今年の待降節(クリスマス前約4週間のクリスマス準備期間)は11月27日に始まりますが、11月半ばにはもうあちこちでクリスマス市が始まります。大衆的なショッピングストリート、マリアヒルファー通りでは、もうクリスマスのイルミネーションが取り付けられていました。ああ、冬が近いんだ、と感じさせる今日この頃です。 2011年11月2日(水)嬉しい出来事 とっても嬉しいことがありました。今年の5月に、連れ合いの知り合いを訪ねました。もう随分昔、ウィーンに留学したばかりの頃にも、訪ねたことがあります。 知り合いというのは、彼の母親が、その母親の親友だったと言うリーネルさん(つまり、彼の母親とリーネルさんの母親が親友同士だった)の家族の家で、6人の子どもたちがいて、最初の5人は全員年子の男の子たち、それから2年離れて末っ子の女の子がいました。一番上の男の子が当時13歳、女の子は7歳でした。明るくて、伸び伸びした子どもたちで、トラクターを運転してくれたり、たった1日でしたが、とても楽しい日を過ごしました。そして時が経って・・・。今回本当に久しぶりに再訪した時は、その子どもたちが皆家庭を持って、親になり、全員で24人の大家族になっていました。 そこで、連れ合いがリーネルさん(マーティン君にとってはおばあちゃん)に電話をすると、え、手紙出してくれたの?!知らなかったわ、ごめんなさい、届かなかったのよ、とのことで、ものすごくがっかり! (全くオーストリア郵便局ったら!) しかもマーティン君は病気になり、それが長引いていて、返事も書けなくてごめんなさい、もう少し待ってね、とのこと。それからまた随分経った今から10日ほど前に、リーネルさんから、下の写真とお便りが届きました。マーティン君とお兄ちゃんは、前週、ウクライナへ柔道の試合に行っていたのだけれど、審判が公正でなくて、辛い思いをしました。そんなことも体験しなくちゃいけないのね。そして今、お兄ちゃんはオーストリアのナショナルチームの一員として、対ハンガリー戦を戦っているところです。学校に行って鶴の写真を撮ってきたので、私から写真を送ります。マーティンのこと、どうぞ怒らないでね、というお便りでした。 マーティン君がクラスで千羽鶴を大震災の被災者のために折ろう、と提案してくれたのではないかと思っているのですが、もしそうなら、それは彼が柔道に携わっていて、日本に親しみを持ち、千羽鶴のことも知っていたからではないでしょうか。どういう経緯にしろ、オーストリアの小さな町のギムナジウムでも、日本の被災者のことを思って千羽鶴を折ってくれたなんて、本当に嬉しくて、ありがたくて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 あれ、でもどうしてマーティン君が鶴の折り方を知っていたのかしら?と思いましたが、わかりました! 初めて6人の子どもたちのいるこの家族を訪ねた時、折り方を教えながら、子どもたちと一緒に鶴を折ったのです。で、子どもたちが鶴の折り方を覚えてくれて、当時12歳だったマーティン君のおとうさんが、大人になって、自分の息子たちに教えてくれたのですね、きっと。マーティン君から直接聞くことができなくて残念でしたが、もしかしたら、当時の子どもたちのおかあさん(リーネルさん)が、今度は孫たちのおばあちゃんとして、一緒に折りながら教えてくれたのかもしれません。思いがけないところで千羽鶴に会えたとても嬉しく、ありがたい体験でした。 2011年11月1日(火)万聖節 お墓に添えられた花瓶に花を挿す人もいますが、たいていはもみの枝を中心に松かさや、持ちのよい花を添えた飾りや、リースを墓石の脇に置き、ろうそくを灯して、亡くなった縁者と心の中で語り合います。 さあ、これから冬がやって来ます。ウィーンでは、例年通りだと、大体11月半ばに初雪が降ります。ウィーンに来たばかりの頃は、毎年11月になると、毎日どんよりとした空を見上げて、ああ、これから半年も厳しくて長い冬が続くのかと思って、欝っぽくなったものでしたが、そのうち、ああ、だからウィーンの人たちは、観劇や舞踏会、ホームパーティなどで、暗い冬を楽しく過ごす習慣や伝統を作り上げて来たんだ、と思いついて、そうそう、外が寒くて、暗いなら、家の中で、楽しく、明るく過ごさなくちゃね、と思い直したものでした。
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