更新日誌

 
2003年2月19日(水)
  
翻訳者としての仕事依頼願いの手紙テキストを書いた。商工会議所、観光局、日本語への翻訳を扱っている翻訳事務所など、とにかく可能性のあるところにはどんどん出さなくては。でもまずは電話が入り、標準メールアドレスも決まってから出ないと、連絡先が書けないよね。

2003年2月18日(火)
  
いよいよ税務署へ。月、火、木、金の8時から12時までしか開いていないのでびっくり!いかにもお役所って感じね。でも係の人は親切なお兄さんで、事情を話すと、では今年幾らぐらい稼ぐ予定?と聞くので、まだ仕事もないので健闘がつかないけれど、でも今年はまだそんなに稼げないと思う、と答えると、年に6900ユーロ(1ユーロ130円で計算すると約90万円)までは納税番号なしで、ということはつまり、付加価値税を請求せずに仕事をしてよい、税金も払わなくてよい、ただし「小規模営業者」と断ること。年内でも、もし合計収入が6900ユーロを超えたら、その時点でまたここへいらっしゃい、そうしたら納税番号をあげます、ということで、ひとまず落着。
  あれ?でも収入の額、つまりは納税の額によって健康保険料の額も決まると聞いていたのに、では、保険はどうなるんですか?と聞くと、税務署と保健局とは無関係(聞いていたのと話が違う)なので、保健所に行って聞いて、という。
あ〜あ、あのいやな保健所に行かないで済むと思ってひそかに喜んでいたのに、やっぱり行かなければならなくなった。でもこれで法的にはいつでも仕事を始めてよいことがわかったのは、今日の大きな成果。

2003年2月17日(月)
  
納税番号を申請しに税務署に行こうと思い、Internetで私の住む区管轄の税務署がどこにあるかを調べた。で、住所はわかったけれど、その通りがどこにあるのかがわからない。じゃあ今日はウィーン市の最新版地図を買うことにして、
行くのは明日にしよう。
  そこで日本人の友人に電話すると、買い物に付き合ってくれるというので、おしゃべりもしたいし、即決で会うことにした。地図を買ってから、大きな家具屋さんに行き、下駄箱、事務用の椅子など小さな家具を見る。カタログや他の店で見たのより、ずっとよくて、かつ安いのを幾つか発見!最後の決定用にせっせとメモした。彼女はもうウィーンに住んで長いので、お店の情報通だ。衣類を買うのによいお店も教えてもらった。ここ数年で店舗の移り変わりも激しくなった。ゆったりしたウィーンにもグローバリズムの波が押し寄せて来ている。

2003年2月16日(日)
  
今日やっと履歴書を添えた就職願いの手紙を3通仕上げて、日曜日でも開いている西駅の本局に出しに行って来ました。猛烈に出遅れていたので、気持ちが焦っていましたが、やっとちょっとホッとしました。今回のは日本語講師としての仕事探しです。よい反応があるといいのだけれど。
   
  今日は朝から雪が降り続いています。気温は0度前後の感じ。でも風がないので、意外と寒くありません。
   昨日までは毎日気持ちも身体もすごく疲れて、更新日誌や掲示板に書くパワーが出ませんでした。やっと少し落ち着いたところで少し過去に遡って更新日誌を書いてみますね。

2003年2月15日(土)
  
掲示板にMakiさんがNYで大きな反戦デモがあると書いていらっしゃいましたけど、後でテレビで知ったところでは、あれは世界中でいっせいに行われた大規模なデモだったのね。日本での様子も数秒でしたけど映りました。韓国のはもう少し長かった。
  
  買い物に出たら、雪の降る中、目抜き通りを埋めていつ終るとも知れない長い長いデモ行進に出会いました。本当に老いも若きも、男女も問わず、みんなプラカードを掲げたり、ドラムの演奏にあわせて踊ったり、おしゃべりしたりしながら、ゆっくりと彼らのテンポで歩いていました。乳母車を押しながら歩いている若いおとうさんもいたし、子どもたちも、老人たちもいました。「ブラボー!」とデモの人たちに応援の声をかけているおばさんもいました。
  
  私もしばらくの間、プラカードを読んだり、歩いていく人々の様子を眺めたりしていたのですけれど、こんな風にごく自然体で意思表示ができるっていいな、と思いました。もうちょっとウィーンの住人になり切っていたら、私も参加したかったな。テレビのニュースによるとウィーンでは、15,000人から20,000人の人たちが参加したそうです。
  ベルリンでは予想をはるかに上回って50万人が参加し、現職の大臣たちも加わっていました。ヨーロッパで一番多かったのはローマとロンドン。ロンドンではブレアさんが演説に苦労していましたね。

各国政府の姿勢とは別に、庶民のほとんどが反対のイラクとの戦争。何とか食い止めたいですね。これからの成り行きが見逃せません。

2003年2月14日(金)
   住民届に行ってきました。区役所はホテル・シェーンブルン(帝国時代は迎賓館だった)とシェーンブルン動物園のすぐそばの、いわば昔は郊外のお屋敷地区だったところ。無事届けが済んで、これで正式にウィーンの住民になれたゾ、って嬉しくなったので、近くにカフェ・ドームマイヤーがあったのを思い出して、そこでランチを食べることにしました。冬には珍しい、素晴らしく晴れた日で、窓の外に広がる、明るい光に映えたシックな街並がとっても気に入りました。

カフェ・ドームマイヤーはヨハン・シュトラウスがデビューし、それから楽団を率いて大活躍した彼のホームグラウンドカフェで、ワルツはここから世界に広がって行った、と言えるくらいに由緒あるカフェ。当然造りも典型的なウィーン風カフェーハウスで、暖かい季節には庭にもテラスにも席が作られ、毎週土曜日には今でもコンサートが行われているの。後で見つけた記念碑をみたらヨハン・シュトラウスのデビューは1844年だったそう。それで遠い昔に思いをはせてボーっとしていたら、支払いの時、ボーイさんに1ユーロごまかされてしまい、しっかり現実に戻りました! 

  ウィーンのカフェでは席で自分の飲食したものを言い、ボーイさんが計算した額を払うので、自分でしっかり前もって計算しておかないと、危ないのよ。ボーイさんは基本給がすごく安いので、できればごまかそうとしている人はかなりいるそうなの。特に外国人は狙い目よね。私は計算して合計額を知っていたから、おかしいと思ったのに、ボーっとしていたせいで、そうじゃないでしょ、と抗議せずになんとなくさらにチップまであげちゃって、あとで自分にすごく頭に来たけど、後の祭り。この辺に関しては、ウィーンではのんびりしていてはいけないのであります。きっと観光客の多いカフェだから、ボーイさんもごまかそうと言う気になっちゃうんだろうけど、由緒あるカフェだけにすごく残念な気がした。でもそれと、現実の生活とは別ってことなのよね。


 
2003年1月21日(火)
  さきほど「シュープリーム」での本紹介を聞きました。
柴田怜さんがとても親しみを込めて紹介して下さっていてとても嬉しかった! 自分のぼそぼそした声と話し方が出て来てしまったのを聞くのは
猛烈恥ずかしかったけれど、取材して下さった方が、ごく短い時間の中で、あの本の伝えたいことをかなりきちんと押さえて下さったと思います。

 FM
東京の番組HPに本紹介についての記事が載っています。
どうぞ↓をクリックして、2003121日の欄を見てね!
   
http://www.tfm.co.jp/supreme

2003年1月20日(月) 
  なんと「だいじょうぶ!ひとりでも生きられる」が明日21日、
午前
9時〜11時、FM東京(80.0MHz)の「シュープリーム」という番組で紹介されることになりました!
紹介されるのは10時半頃ということでした。
明日、その頃ラジオを聞ける環境にある方はぜひ聞いてみて下さいね!
どんな風に紹介されるのか、興味津々。

  
で、今日番組制作会社の人が取材に来たの!
知らせをもらった時は、余りにも信じられないことだったので、
「え〜っ、取材?!」って思わず叫んでしまいました。

「シュープリーム」(月〜金)は20〜30代の女性に新しい価値観を
提供していくというのがコンセプトの番組なのだそうで、
ものすごくびっくりしたけれど、でもとても嬉しいことなので、
喜んでお受けしました。
取材したことをまとめてパーソナリティの柴田怜さんが話してくれる
のかと思ったら、インタビューを録音したのも少し放送するんですって!!
あんなにぼそぼそ話してるので、だいじょうぶなのかな。

   
とにかくこれを機会に若い女性たちにも関心を持ってもらえるといいな、と願っています。取材に来て下さってありがとうございました!
 

2003年1月19日(日)   

 引越しのお知らせ>
   
今日は私自身にとって、大きなお知らせです。

  総パワーの少ない私でもパラサイトを脱出して生きられるよう、2月に心と体に優しい環境のウィーンへ移る決心を致しました。けれどもウィーンへ行ってしまうというよりは、生きやすいように生活拠点をウィーンへ移すという気持ちで、これからも日本での仕事を続けて参ります。もちろんウィーンでの仕事を探さなければならないのはもちろんですし、かの地で生活基盤を築いていくのが楽でないことは承知していますが、大好きな街で生きていけるのですから、とても嬉しく、楽しみです。

毎年2ヶ月くらいは日本へ戻ってくるつもりですから、オフ会の機会などはむしろ増えるかも知れない、と期待しています。どうぞ、これからもよろしくお願い致します。 

ウィーンへの引越しに伴い、HPも引越しすることになります。AOLに入会し、今少しずつ引越しを進めていますが、システムがかなり違い、一つのユーザーネームで使えるHP用の空き領域も2MGと少ないため、難題が次々と現れて、大難航中です。とにかく今月中になんとか引っ越しを終わらせる手立てを模索しています。

途中でJCOM側のHPの更新ができなくなったり、人間の引越し準備の方でてんてこ舞いだったり、風邪でダウンしたりと、書き込み、更新が途切れて、ご迷惑をかけています。お詫びとともに、しばらくの混乱をどうか我慢して下さいますようお願い致します。これから、進展具合など、できる限り報告するように致します。

 

2003年1月3日(金)

   明けましておめでとうございます

 皆様、長いこと顔を見せずに失礼致しました。
技術大臣のtetsuさまが暮れの大忙しの時にも拘らず再インストールを
して下さったおかげで、どうやらまた生き返りました。
tetsu
さま、本当になんと感謝申し上げてよいやら。深く深くお礼申し上げます。m(__)m
PC
カードトラブルがありましたが、内蔵モデムに直接繋げることがわかってプロバイダーへの接続に今、やっと成功しました。

  
皆様にはとんだクリスマスプレゼントを送りつけてしまいまして、
心からお詫び申し上げます。しかもしつこく何度も何度も送りつけるタイプだったので、格闘の日を過ごす羽目になった方が何人もいらっしゃると思います。私の不注意から本当にごめんなさい。
どうも添付書類を開けなくても、本文を開けるだけで感染するウィルスだったようです。プレビューは見えないように設定してあるのに、つい親しい友人からのクリスマスメールだと思い込んで開けてしまったのが始まりだったように思えます。世界的な祝日には特に注意をしなくてはいけないのだ、と肝に銘じました。

  George
伯爵さま、呼びかけに応えて下さった皆様、本当にありがとうございました。まずは復帰のお知らせとウィルスメールのお詫びまで。 

            ★      ★      ★

  では改めまして新年のご挨拶を。
  
昨年はこのHPの開設で始まり、共通の関心を持つたくさんの方たちと
知り合うことができて、11月には第1回オフ会開催!という思いがけない発展を遂げることができました。HPに集って下さった皆さんのおかげで私の世界も大きく広がりました。
すばらしい1年を贈って下さった皆さんに心からのありがとうを申し上げます。皆さんの応援、支持にたくさんの元気と勇気を頂きました。

  
今年は心のネットワークをもっとしっかり広げていきましょう。
楽しくて、心がほっとして、でもわくわくするHPにしていきたいと思います。どうか本年もよろしくお願い致します。

 

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