ミュンヒェン国際児童図書館留学記

 

ミュンヒェン国際児童図書館は蔵書数約50万冊、その言語数は130以上という世界最大の児童文学研究図書館である。昨年(1999年)8月と9月、私は奨学金を得てここに滞在すると言う幸運を得た。

この図書館の個性は、他の多くの研究図書館あるいは研究所と違い、全ての蔵書が一般にも開かれているという点にある。もちろんここにも毎年世界中から奨学研究生がやって来るが、それだけではない。開館時間中(11時から16時)ならいつでも誰でも、自由に資料を調べたり、希望の本を読んだりすることができる。

開架式で、各言語の児童文学研究書と専門雑誌が揃っている。読むのは図書館内に限られているが、自由にコピーもできる。児童文学書は地下の書庫にあって申し込めば持ってきてくれるし、どんな資料があるか、どういうふうに調べればよいかなどの相談にものってくれる。

私はグリム兄弟と同時代の童話伝説収集作家ルートヴィヒ・ベヒシュタイン(Ludwig Bechstein, 18011860)の生涯と作品について古い資料を調べた。彼の童話伝説集を訳してみて、19世紀後半から20世紀初めまではグリムより売れていたベヒシュタインがなぜその後消えてしまったのか、知りたくなったからだった。読んでみると登場人物が生き生きとして個性的だし、本音に忠実なたくましい正義感があってとても面白いのだ。

ベヒシュタインは早くからロマン主義文学に傾倒、ザクセンの公爵に才能を見出されて大学で学び、一図書館司書から文書館総管理人となった。旅を好み、各地方を回って伝説の聞き書きをした。1845年に「ドイツ童話集」、1856年には「新ドイツ童話集」を刊行、人気を得て版を重ねた。徳だけでなく、恨み、妬み、残虐性等の悪徳をも人間の本性として認め、個性的な登場人物を通じて、時代と民族の心を生き生きと描いたが、19世紀の民俗学者には評価されなかった。

私は余り知られていないこの彼の童話伝説集を今回紹介できる幸運にも恵まれたのだ。グリムとは全く異なった面白さ、庶民性やおおらかさ、たくましさ、そして大人の味を楽しんで頂ければ、と願っている。今秋、講談社より刊行の予定である。

図書館は郊外の野原と林と小さな湖に囲まれた中世のお城の中にある。向こうにお城を見ながら朝の太陽を浴びつつ、野原と林を抜けて図書館に通う15分は、東京の喧騒から抜け出てきたばかりの私には信じられないほどさわやかな一時だった。

研究図書室に入り、自分の机に向かって19世紀の資料を読み始める。グリム兄弟等正統派の学者たちから「教育的」でないと非難されて悔しがるベヒシュタインに感情移入し、私生児として生まれ、叔父に預けられて育った苦労とその中で育まれた価値観に思いを巡らせ、彼を支持する論文に共感し、批判論文になるほどそういうことか、と頷きながら、20世紀前半までの童話伝説出版を巡る事情を再体験していくのは、ドキドキワクワクの連続だった。

ふと時計に目をやるともう昼食の時間である。付属のレストランで図書館員や他の奨学研究生たちと一緒に湖の向こうに広がる緑と大きな空を眺めながら、一時間の食事とおしゃべりを楽しむ。また中庭の大きな菩提樹の木陰で持ってきたサンドイッチを食べるのも、なかなか趣があった。同じ奨学研究生だった韓国のキョンヨンやラトヴィアのジャーナリスト、ヴィルニス、オランダの少数言語フリース語の児童文学研究・出版者ヤントとはそれぞれの国の抱える事情や、仕事上の悩みを語り合った。

 

<ミュンヒェン国際児童図書館五十周年>

 幸運はそれだけではなかった。ちょうど私の滞在中に図書館が創立五十周年を迎えたのである。915日、16日の二日間、本のお城は世界中から集まった関係者でいっぱいになり、祝賀行事では島IBBY(=International Board on Books for Young People)会長も挨拶をされた。中庭には大テントが張られ、祝賀パーティ会場となったが、たくさんの再会や出会いでざわめきは深夜まで続いた。シンポジウムも開かれた。また地域住民や子どもたち対象の大イベントも催され、普段は見られない地下の書庫も一般に開放された。

 1946年、米占領政府婦人少年担当官イェラ・レップマンの提唱により、民族間の理解と交流を願って各国から4000冊の子どもの本が集められた。大成功を収めた展示会の後、1949年、この本を蔵書の核としてこの国際児童図書館が生まれたのだ。その後研究図書館への方向転換はあったが、一貫して民族間理解を深める根源的な力として児童文学を支持する人々の努力によって支えられ、発展してきた。研究図書館ではあるが、各国語の児童書を揃えた子どものための貸し出し図書館も付属しており、子どもたちのための各種イベントも行なわれている。

 創立五十周年記念行事の記事は地元の新聞にも載った。奨学研究生のインタビュー記事についた写真のおかげで私たちは突然有名人(?)になり、訪問者と楽しいお茶の一時を過ごすという思いがけないおまけまでついた。

 図書館員の方々には本当に親身の援助を頂いた。研究図書室担当のキュフナーさんには、ベヒシュタインに関してどんな資料があるかを探すところから教えて頂いたし、東アジア担当のガンツェンミュラーさんは、あれこれと気を配り、時間を割いて、私の研究に必要な資料を提供して下さった。さらに日本語図書の目録作りの手伝いも加わって、8週間はあっという間に過ぎていったが、密度の高い体験は私に大きな大きなプレゼントをくれた。

 滞在中は図書館員の方々が財政的に苦しい状況の中で真摯な努力を続けている様子を間近に見、一介の翻訳者に過ぎない私なのに彼らからは骨身を惜しまぬ援助を受けた。また世界それぞれの国で優れた児童文学の発展・普及にエネルギーを燃やす人々に出会うことができた。小さな小さな砂粒でも集まれば大きな砂浜になれる。個人的、社会的な条件は厳しくても、私は私の場で皆につながっていこう。静かな、でも大きな勇気の贈り物だった。図書館員の方々、ミュンヒェンで出会った世界中の友人たち、本当にありがとう。

JBBY [日本国際児童図書評議会] 会報No.93、2000年6月号掲載)

   

 

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