考えてみれば、日本には素晴らしい紙芝居の伝統があって、とても身近なものなのに、そしてまた今紙芝居が見直されて来ているのに、紙芝居って一体何なんだろう? 魅力の本質は何なんだろう? どんな風にして生まれてきたんだろう? こういう紙芝居を巡るあれこれについて深く考える、って今までされて来なかったんですね。大道芸ということで軽視されて来たのでしょうか。
これに従って、今までの「紙芝居文化の会紹介のページ」を閉じましたので、どうぞ会の公式ホ−ムページをご覧下さい。
絵本の読み聞かせと紙芝居 掲示板に書き込んで下さったみねこさんから、絵本の読み聞かせと紙芝居についてのお便りが届きました。紙芝居の演劇性、絵本の読み聞かせの親密性、一見似たように見える「紙芝居」と「絵本の読み聞かせ」の特性をとても分かりやすく書いて下さいました。長いので、読みやすくするために、小さなタイトルをつけました。 紙芝居に関しては掲示板で管理人様のおっしゃっている通り、また「紙」「芝居」とあるように字義通り演劇的である、と思います。絵の助けを借りて、かつては紙芝居のおじさんが舞台の横で、演じ手、語り手の役割を一手にひきうけていたのでしょう。紙芝居では演劇での場面転換にあたるような劇的な展開が一枚の絵をすっと引くことによってされますし、また場面によってはゆっくりと途中まで引いて気をもたせる、間をつくるというようなこともありますよね。紙芝居の絵は演じ手の背景にもなり、又絵で描かれている主役がクローズアップされることもある。
Cafeでの最初のテーマ「読み聞かせ」にもつながってくるのですが、私個人としては絵本や物語を共有する希有な経験としての「読み聞かせ」(これももっとふさわしい言葉がないのかしら、といつも思います。)は本来さかなさんのおうちで上のお子さんがさかなさんの手をぎゅうとにぎり、さかなさんと共にあるという安心感をもらいながら主人公共々冒険の旅にでかけ、ふうぅという大きな息と共に帰還したように、肌触れ合いながら、親しい人との親密な時間としてあるものだと思っています。
絵本が紙芝居と決定的に違うのは、まず絵本の本としての特性、いつでもお気に入りのページを開くことができるし、子どもたちが絵に見入り立ち止まるようなことがあれば、そのページにはどれだけ長い時間を費やしてもかまわないという点でしょう。 それと紙芝居の絵は遠目に見て一目でそれとわかるように舞台の枠組みという制約の中で描かれるのに比べて、絵本の絵には文章が言外に表しているような状況や背景、生活のディテイルを画家の裁量で書き込んだものが多くありますし、ページをまたいでの表現も可能です。
さかなさんも、うたうしじみさんも「静かに、普通に」「淡々と」読む、とおしゃっていますよね。 たくさんの子どもたちを前にしての読み聞かせには、そう言った意味でおのずと制約ができてきます。読み聞かせボランティアなどされている方の選本、幼稚園の先生や保育園の保母さんの選本をみていると遠目に見えにくい本は敬遠されるし、静かな世界を静かに味わうことも何十人も一緒ではむずかしいと遠ざけられます。 最近では図書館や家庭文庫でも「子どもたちは紙芝居を喜ぶから」と紙芝居が読まれます。紙芝居は紙芝居なりの独自の楽しみがあり、そこには「演じる」要素が入ってくるはずです。読み聞かせを声色を使って演劇調ですることに私はとても抵抗があります。 絵本の一場面をそのまま一枚の紙芝居に仕立てても質の良い紙芝居にはならないのではないでしょうか。(2002.4.1. みねこ) 絵本は本来個人との親密な関係に向けられて描かれたもので、どれだけの時間一つの絵の世界にいてもいい。そして読み手は、自分でも言葉の響きが生み出す世界を味わいながら、聞き手との親密な心の交わりを持つのが原点。だから演劇的な読み方は、かえって本来の楽しみ方を損なわせてしまう。 そうなると紙芝居を単にたくさんの子どもにしてやれる読み聞かせではなくて、演劇的要素を持った、「紙」に描かれた「芝居」としての本質をしっかり捉え、その上で、それをもっともよく引き出す技術を身につけていく必要がありますね。 「なぜ子ども達が紙芝居を喜ぶのか」も、絵本と区別してしっかりつかまないといけないですね。もしかしたら子どもたちは、紙芝居の本質と絵本の本質の違いを、感じ取っているのかも知れません。「紙芝居文化」の研究が必要とされる所以ですね。 おっしゃるように絵本の魅力を辿っていってみると、絵本の読み聞かせは、まわりにすわって一緒に見られるくらいの少人数でするのが、本来の絵本の魅力を味わえる読み方なんだ、ということがわかります。そうすれば、絵本に独特の読み手と子どもたちの間の親密で温かい空間を保つことができますね。 子どもたちにお話の世界に遊ぶ深い歓び、それは想像力を羽ばたかせることの歓びに他ならないと思うのですが、その歓びを知ってもらうには、絵本の特性、紙芝居の特性をしっかりつかんだ上で、その本質を伝えるにふさわしい条件や環境を整えていく必要がありますね。 読み手が足りなかったり、両者の本質をしっかりとつかんでいないと、たくさんの子どもたちを喜ばせるために、どうしても劇的効果の高い絵本を選ばざるを得なくなってしまいますね。そしてそういう絵本だけがいい本と言うことになると、今度は本当によい本が評価されなかったり、絵本の本当の楽しみそのものが失われていく危険に、つながってしまうことになりますね。 絵本の読み聞かせをする時には、一クラスの読み聞かせに何人かの読み手が参加して、一人の読み手を数人の子どもたちが囲んで聞ける環境が作れたらいいですね。そうしたら、子どもたちは絵本特有の絵のニュアンスも味わえるし、読み手の声の響きも、すぐそばで感じられます。本当は少人数で読み聞かせをしたい、と願っている方たちも、きっと多いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 少人数の親密な空間で味わう絵本。劇的空間を楽しむ紙芝居。それぞれにふさわしい読み方・語りかたと、聞き手の人数、空間の設置が得られたら、その楽しみはもっともっと大きくなって行きますね。読み手側にもそのためのしっかりした認識が要求されると思います。 比較的たくさんの子どもたちとの交流を図るには、「紙芝居」と並んで、語りや朗読の方が向いているのかも知れませんね。もちろん語りや、絵のない本の読み聞かせ(朗読)についてはまた別の考察が必要になってきますが。 実際に図書館や学校でお話活動(絵本の読み聞かせ、朗読、紙芝居、語りなどを含めた)をなさっている方々は、活動の中で何を得ていらっしゃるでしょうか。
自分でも絵本の世界を楽しみながら、その楽しさや嬉しさを子供に手渡していこう、と活動を続けているすてきな文庫を発見しましたよ!というお知らせでした。 嬉しくなった私は、おひさまさんに、「Cafe」でおひさま文庫をぜひ紹介させて頂けませんか、というお便りを出しました。すぐにおひさまさんから返信が届きました。 おひさま文庫は、とっても素朴なグループで、母親ならではの 幼稚園に入り、小学生になり、中学生になり、
過ごせるって、知らなかった。 文庫で出会った、お友達は、今でも仲良く、お付合いしています。」 とおっしゃるのを聞いて、 こんな楽しさが、絵本を中心に、簡単に、誰にでもできるのだから、 あちこちで、『文庫や、おはなし会をしませんかぁ〜〜。』って、 声を大にして、言いふらしたい気分です。(2002.5.15. おひさま)
<子どもと大人の絆作り> >どなたか、私はこれが嬉しくってやってるのよ、これが楽しくって! おひさま文庫のことを、聞いて聞いて〜、って思ったのです。 絵本がおもしろい。好き! 楽しさがエネルギーになっているからかも知れませんね。 おはなし会や文庫などに、何日か通った子が そんなに深い付き合いがない、私などにも とっても親しげな、暖かい視線で、近づいて来てくれるのは ほんとうに、お話のおばちゃん冥利に付きます。 絵本様々です。(^^ゞ 「絵本はたのしい♪絵本はともだち!」とわかり始めると
子どもが変化していきます。
そして、その嬉しい変化に、大人のほうも変化していきます。
今回私は嬉しい発見をしました。
あけみさんのCafeを読んでいて
そうなんだ♪と思ったことがありました。 今まで、
大人が子供に絵本を読み聞かせることによって
子どもと絵本の掛け橋を、しているように、思っていました。 でも本当は、子どもと一緒に絵本を読むことで 大人が一人では、なかなか入れない世界に、
一緒に連れて行ってもらうのかもしれない・・・
と思いました。
私は、子どもに手を引いてもらって
絵本の扉を開いて、そっと足を踏み入れるところを
想像して、嬉しくなりました。 (2002.5.16.
おひさま)
私たちだって、こんなに楽しい活動をしていますよ、私はこんなすてきな文庫を知っていますよ、という方がいらしたら、ぜひぜひお知らせ下さい。
たくさんの方たちに知っていただきましょうよ!
こんな文庫が日本中に広がって、子どもと大人のきずな、子ども同士、大人同士のきずながしっかりできていったら、どれだけ毎日の生活が
楽しくなることでしょう。文庫活動ができなくたって、家で一緒に本を読む、子どもの感情世界をそのまま受け止める努力をする、
こちらも大人のよろいかぶとをかぶったまま、子どもに接しないように努力することなら、誰でも、今すぐ始められますよね。
無理をせず、自分のできるところで、できるだけのことを、誠意を込めてしていきたい、と思います。
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