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子どもと本のCafe


   1.読み聞かせ

のホームページについて最初のお便りが「さかな」さんという方から届いたのは、2002年1月16日のことでした。まあ、受信した時の嬉しかったことと言ったら! ベヒシュタイン・シンポジウムの語りについての報告が興味深かった、と書いてありました。とっても嬉しくてさっそくお返事を出しました。すると、すぐにご自身の読み聞かせ体験を送って下さったのです。その体験がとっても素敵だったので是非皆さんにもお知らせしたいと思いました。それでさかなさんのご了承を頂き、ここに書くことに致しました。

  掲示板の書き込みはしばらくすれば消えてしまいますから、みなさんと共有したいテーマについてのご意見やご感想をこのページにまとめて残したいと思います。
  今回は「読み聞かせ」です。我が子や身近な子どもへの読み聞かせと、たくさんの子どもの聴衆を前にしての読み聞かせに分けて、それぞれの意味について考えたいと思います。ぜひ携わっている方々の実践体験からのご意見をお聞かせください。本名でもハンドルネームでも結構です。「Mail」のページの封筒をクリックし、「読み聞かせ」と件名にいれて、ご意見をお聞かせください。でも掲載させて頂く時は必ずもう一度ご了承を頂きますので、どうぞ気軽にお便りをお寄せくださいね。全部を載せられなければ(そんなにたくさんお便りもらえたら嬉しいなあ)、要約にするなどしてみなさんのご意見を伝えられるような方法を考えたいと思います。                                      



                  

<身近な子どもへの読み聞かせ>    

私は、自分の子どもたちにしか絵本を読んだりしていないのですが、なるべく演劇調(というのでしょうか)にならないように静かに普通に読むようにしています。少し注意を引きたい時に、大げさに読んでいた時もあるのですが、今は静かに読むようにしています。
上の子供は3月で6歳ですが、まだ文字を教えていないので、私が読まないと物語の中がみえません。そのせいか、とてもどん欲に絵本を聞いています。まんなかは来週3歳ですが、最近少し集中して聞いてくれます。
 子どもと絵本を読むと、何か見えない力で絵の世界、物語の世界へ連れていってくれることを感じます。ポターの『ジェレミー・フィッシャーどんのはなし』を最初に読んだ時、上の子はかえるが食べられそうになるシーン近くから私の手をぎゅうとにぎり、完全に絵本の世界に入っているのを感じました。そして「おしまい」と本を閉じたあとも私の手
をきつくにぎりしめ、少ししてから「ほうぅ」という大きな息をはき、こちらの世界にもどってきたようです。一緒にそれを感じた時、私もポターの絵本に連れていってもらえました。私まで深い感動を味わえたのです。
 私自身、子どもの頃からの本好きで、絵本も児童書も子どもを持つ前から読んでいた方ですが、絵本は大人になってから読んでるものが多いので、子どもと一緒に読む体力をつけている感じがします。                    (さかな、2002.1.17)

                    
          

本当にこれが読み聞かせの原点ですよね。私もこんな体験したかった! 大好きな大人にしっかりと守られているので、子どもは安心して心の冒険の旅に出られるのですね。ほかにもすてきな読み聞かせ体験をされたお母さん、お父さんはいらっしゃいませんか?
  たくさんの子供たちへの読み聞かせは、決して家で読んでもらう代わりではないはずだと思います。ベヒシュタイン・シンポジウムで聞いた語りの意義、素晴らしさと共通する部分も大きいのではないかと想像はするのですが、どうも私自身でもストンと腑に落ちるものがつかめないでいます。どうぞお聞かせ下さい。

 小さなお子さんを持つお母さんから、また素敵な読み聞かせ体験のお便りをお寄せいただきました。今度は言葉の響きを楽しみながら、絵の世界に遊ぶ楽しさについてです。

 <家での読み聞かせ、保育園での読み聞かせ>  

 わたしも自分の子にしか読み聞かせをしたことがないので、読み手として、たくさんの子供たちを相手に読んだ経験はありません。私が家で子供に本を読んでいるのが、「読み聞かせ」だとあまり自覚していないのですが、それはとても素敵な時間です(疲れているときは、「もいっかい!」を辛く感じますが)。できるだけ淡々と読もうと思っていますが、つい力を入れて読んでしまうこともあります。

我が家のこどもたちは、上が4歳、下が3歳になったばかりですし、字の読み書きは教えていません。ですから、絵本を読みたいときは、「読んで」といって膝に2人とも座りに来ます。

絵本を読む楽しみは絵の楽しみと、言葉の楽しみです。声に出して読むことが、こんなに素敵なことだったとは、こどもたちに感謝です。ことばが響いて、絵がまるで動き出しているかのように思えるときがあるのです。画家と詩人の競演を実感できる時間です。そしてそれをこどもたちと共有している素敵な時間です。

この共有感をうまく表しているよねえ、と思った文がありますので、引用しますね。『屋根にのぼって』オードリー・コルンビス著 代田亜香子訳 白水社 2000年度のニューベリー賞オナー受賞作からです。「ママに、寝る前に一時間本を読んでほしい。3人一緒に、ひなたぼっこしてるワニみたいにひとかたまりになって、挿絵をながめる。」

 どうでしょうか、自分のこどもたちに本を読む感覚と、たくさんの子を相手にした読み聞かせは、やはりすこし違うもののように思えます。保育園にお迎えに行くと、ときどき保育士さんに絵本を読んでもらっている場面に出会います。そんなとき、こどもたちは「読んでから帰るから、待ってて」と子供たちのひとかたまりのなかで、お膝をして、真剣な顔で聞いています。遅い時間のお迎えなので、学童さんも赤ちゃんも、ひとかたまりになって聞いています。年齢の差はあっても、みな真剣に見入っています。なんと言うんでしょうか、紙芝居を見ているときのような感じです。      (2002.2.28, うたうしじみ)

 
                        
 

 保育士さんは子供たちにとってはやっぱり身近な存在ですから、大好きな大人に読んでもらう、心の通じる人に読んでもらう、という感じもきっとあると思いますけれど、でもたくさんのお友達と一緒に聞く、という楽しさもあるんですね。

 私、マルティン・アウアーというオーストリアの作家が大好きなんですが、(「ぼく、とりをかっていい?」 シモーネ・クラーゲス絵、平野郷子訳、1990.5, ほるぷ出版, 「ファーブルの庭」 渡辺広佐訳、2000.6, NHK出版、「青い星の少年」、三上博史訳、シモーネ・クラーゲス絵、1995.4, ブロンズ新社)
彼に出会ったときのことを思い出しました。

1994年の11月にウィーンで「翻訳者のためのオーストリア児童文学ゼミナール」があって、その時マルティン・アウアーが私達参加者に、自分の作品を読んで聞かせてくれたのです。彼は子ども達への語りや読み聞かせにも力をいれて活動している作家です。実を言うと彼は手品師の資格も持っていて、お話の合間に手品まで見せてくれるのです。

 誰かに本を読んでもらうなんていう体験は長いことありませんでしたから、それはそれは新鮮で、楽しい体験でした。
お話が音になって響いてくる心地よさ、アウアーの声の色、表情を通して彼の作品への思いも伝わってくるようでした。
大人でも読んでもらうのがこんなに嬉しいなんて!

 本はもともと、人に読んで聞かせたり、音読して自分で味わったりしたもので、黙読するようになったのはまだそれほど昔のことではない、と書いてある本を最近読んで、あ、そうか、言霊だ!と思いました。
その箇所を挙げてみます。

 『万葉時代より詩人や歌人の本来の仕事は、自分の作品を声に出して歌ったり、読むことでした。それは詩(歌)作が、人間の全身全霊をあげての行為であり、聞き手の情念を揺り動かそうと働きかけるコミュニケーションの手段だったからです』(「俳句の学校」、清水潔、実業之日本社、2001.9 p.128

『西洋では19世紀まで、詩や物語などの文学作品は、読んで聞かせたり、一人で音読して鑑賞するものでした。黙読の習慣は、20世紀になってからのことなのです。・・・・・日本でもかつては新聞や小説は、音読が主流でした。それは、字が読めない人が多く、新聞記事を代読してもらうという事情と、小説などは耳で聞いて鑑賞するという習慣があったからです。新聞記者も作家も、音読で文章内容が正確に伝わるように表現や語彙の選択に神経を注ぎました。』(前掲書、p.128

  つまり読み聞かせの歓びは、読み手にとっても聞き手にとっても、黙読によって失われてしまった言葉の生命の響きを取り戻す歓びだったのですね。

  うたうしじみさんは、お子さんへの読み聞かせで、もう言葉の響きの世界の素晴らしさ、その世界に遊ぶ嬉しさを体験していらっしゃるのですね。画家と詩人の競演って、まさにその通りですね! 絵本の魅力を一言でずばりと表現した言葉だと思います。

「ひなたぼっこしてるワニみたいにひとかたまりになって、挿絵を眺める」ってすごくよくわかります。大好きな人の声の響きを味わいながら、挿絵から膨らむお話の世界に遊ぶ。言葉の響きを味わう楽しさと、自分の大好きな人の声を聞く嬉しさが一緒なんですもの、そしてその上目の前に広がる絵の世界の中でその響きを聞けるんですもの、幸せでいっぱいになりますよね。

  そうすると身近な子どもへの読み聞かせと、たくさんの子供たちへの読み聞かせは共通している点もたくさんあるんですね。
 違うのは身近な子どもの時は読み手と聞き手の心のつながりが大きな意味を持つのに比べて、たくさんの子供たちへの読み聞かせは響きの楽しみ、みんなといっしょに体験する嬉しさの比重が高くなる、ということでしょうか。
 紙芝居を見ている時の感じって確かにみんなで読み聞かせをしてもらっている時の感じに似ていますよね。もう昔のように公園で紙芝居屋のおじさんから紙芝居を見せてもらったことのある子ども達は、残念ながらもうほとんどいないのではないかと思いますけれど。
 でも今、紙芝居の楽しさをもう一度子どもたちに取り返そうという動きが起こっていますね。紙芝居も読み聞かせの一種ではあるけれど、絵つきの語りみたいな独特の性格があるのでしょうね。私がマイニンゲンで見たアンデルセンの「しっかり者の錫の兵隊」は、語りと演劇と影絵芝居とがクロスオーバーしたような、一つには定義できないワクワク体験でした。こう考えてくると、語りと読み聞かせにも共通点がたくさんあるわけですね。

  

    ここまで来て、今度は「絵本の読み聞かせ」と「紙芝居」には確かに共通点はあるけれど、でもやっぱり違う、でもどこが違うんだろう? 
という疑問が湧いてきました。
 そこで今度は「紙芝居」について少し考えてみたいと思います。ではどうぞ皆さんもご一緒に「紙芝居」のページへ!




                   
            

 

 

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