6.語り 「Chikaさんのおはなしゼミナール」
読み聞かせのページでも、ベヒシュタイン生誕二百年記念シンポジウムでも話題になった「語り」が再びこのHPで話題になったのは、勘違いした私が掲示板でChikaさんに、次のように語りかけた後でした。
>Chikaさんはお話を子どもたちに読んでいらっしゃるんですね。
>どういうところで読んでいらっしゃるのかなあ。
(2002.9.04、あけみ)
そうしたら、Chikaさんが次のような書き込みをして下さったのです。
<Chikaさんはストーリーテラー>
あのぉ〜、あたしはお話を読んでるのではなく、お話を覚えて語っています。幼稚園・保育所・小学校そして、図書館で語っています。幼稚園や保育所・図書館の時は絵本と組みあわせてプログラムを組みますが、小学校の時は一クラスにおはなしを三つ語っているんですよ。
あたし達は語りに向くお話を探すのに時間をかけてます。日本の昔話だと同じおはなしでもアチコチに伝わっていて、再話者によってもかなり違うでしょ。外国の昔話は訳者によって、かなり違うのでそのお話が載っている本をできるだけ集めてきて読み比べて、語るのに向いているおはなしを探すんですよ。(2002.9.4
Chika)
Chikaさんはお話の語り手だったのです!まあ、嬉しい!
だって、ベヒシュタイン記念シンポジウムで
バルデツキイ教授の「語り」についての講演を聴いて以来、「語り」がとても気になっていたんですもの。
最近、日本でも「語り」が注目されるようになってきました。新聞で見つけた「語り」についての記事をご紹介しましょう。
「家庭内での伝承から街へ出た昔話」――「肉声で語り、聞く文化」、「お話の講習会で育ったストーリーテラー635人」
http://www.tokyo-np.co.jp/meiryu/20020330m1.html
もう一つ、こちらは朗読についてですが、ご参考に。
「音で“読む”一葉の世界
―
幸田弘子さんが朗読。美しい日本語、体で感じて」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20020917/mng_____thatu___000.shtml
これを読んで下さったChikaさんからのお返事です。
Chikaさんは「語り」を「おはなし」と呼んでいます。
<語りに向くおはなし>
そうなんです。あたしも松岡享子さんの考え方にそって勉強し、子供たちにおはなしを語ってます。
>ね、語りに向くお話って、どういうの? 適度な長さで、筋の展開が>シンプルでドラマティックで、聞き終わった後、心が幸せになれる
>お話、かな。・・・っていうと、やっぱり昔話は向いているんだ!
お姫さまは自分で尋ねて、自分で答えておられる。正解!!!
そして、どうしてかっていうとこれもお姫さまが書いておられる^_^;
>なぜ昔話が好きなのか考えてみると、
>口伝えで何百年も人から人へ、
>その時々を生きた人間の真実が凝縮され、シンプルで印象的な
>ストーリーになって伝えられてきた、っていう、
>なんていうのかな、声と言葉と魂とからできているところに
>惹かれたのかもしれない。
昔話だけではなく現代の創作童話からも語りに向くおはなしを探しだして語ります。あたしはおはなしを選んだら、それを覚えて自分のものにして、あたしの想像の世界を子供たちに届けます。
それを子ども達は耳で聞いて、自分の想像の世界を創り上げます。絵本をたっぷり読んでもらってる子ども達は、いくら小さくても、おはなしの世界に入ってきてくれます。同じおはなしでも、初めておはなしを聞く小学生より、毎月おはなし会でおはなしを聞いている幼稚園児の方がよく聞いてくれるということがあります。
語り手と聞き手とおはなしがぴったりあった時、すばらしいおはなし会になります。(2002.9.09、Chika)
わあ、バルデツキイ先生とおんなじだ! Chikaさん、感動した講演の内容を実践している方にHPで出会えるなんて、なんという幸運で
しょう! 嬉し〜い! では、語り手と聞き手とおはなしがぴったり合った時って一体どんな時なんでしょうか?
そうしたら、Chikaさんの「語り」にとって大きな意味を持った体験を綴ったお便りが届きました。
<Chikaさんのストーリーテリングの原点>
今日は、「おはなしの絵が見える」あたし版です。
おはなし(ストーリーテリング)を始めて間もない時、”おとなのためのおはなし会”を聞きに行きました。薄暗い小さな部屋でろうそくがともされ、おはなし会が始まりました。
「ノロウエイの黒ウシ」(「イギリスとアイルランドの昔話」より)が語られたときのことです。
・・・・三人姉妹の末の娘は「黒ウシと結婚してもいい」と言ったため、黒ウシの背に乗り旅をしなければならなくなります。黒ウシは悪い魔女に姿を変えられた王子だったのですが、娘のやさしさで夜だけ黒ウシから王子に戻ることができ、王子は悪魔と戦う間、娘に岩の上で身動き一つしないで待っていてほしいと頼みます。ところが王子が勝ったとわかると娘はうれしくて、つい動いてしまいます。そのために王子は娘を見つけることができなくなり、娘も待ちつづけますが王子は帰ってきません。・・・・・(話はつづく)
その時、あたしは岩の上で待ちつづける娘が見え、娘を探しまわる王子が見えたのです。
娘が座っている岩のまわりが青く変わり、王子が勝ったとわかるとうれしくて、片方の足をもう一方の足の上に組んでしまった娘が見えたのです。
おはなしはハッピーエンドで終わりますが、最後まであたしはおはなしの世界の中にいることが出来ました。
電気がついた時、そこには若い娘ではなく、語り手の女性がひとりおられるだけでした。
実はずっとあたためてきた、このおはなし「ノロウェイの黒ウシ」を今年覚えました。11月の図書館まつり、小学校高学年に語りに行こうと思ってます(2002.10.04、
Chika)
そうか、この体験がChikaさんの「語り」の原点になったんだ!
この時が、語り手が膨らませた世界から、聞き手の想像力が刺激を受けて、自らのお話の世界を膨らませ切れた時、語り手と聞き手が双方とも想像力を一番遠くまで羽ばたかせ、各自の想像力の世界を膨らませながら、同時に同じお話の世界を共有した、という稀有な体験の瞬間だったのですね。
そしてこの世界を今度は語り手として、聞き手と共有したい、という思いが、Chikaさんのお話活動へのエネルギーとなったんですね。
2002年11月、今度はChikaさんの原点となったお話「ノロウェイの黒ウシ」を、いよいよ初めて語り手として、話されるのですね。Chikaさんの第二の出発ですね!
<ノロウェイの黒ウシ>
あけみさんからお城の写真を送ってもらい、まだ行ったことも見たこともない西洋のお城を思い浮かべ、「ノロウェイの黒ウシ」を語ってきました。その報告です。
このおはなしのデビューは図書館まつりのおはなし会。
「ノロウェイの黒ウシ」は30分かかるおはなしなので、小さい子どもさんはお断りしたのですが、お兄ちゃん(小学中学年くらい)が幼稚園の妹とその友達をつれて、一番前に座ってくれたんです。
ところがおはなしの途中であたしの前に座ったかわいい聞き手達がごそごそしだし、小さな声で話しだし、お兄ちゃんが「静かにしてろ!」って、これも小さな声で注意してくれたの。でも、その出来事が気になったため、あたしのおはなしの世界は薄くなりかけました。
あたしはあたしの目をじっと見つめて聞いてくれてる子供達や後ろでうなずきながら聞いてくださってた大人の方に顔を向け、どうにか、おはなしを語り終えました。
終わった時、あたしの顔のほほはこわばり、どどど〜〜っと疲れていました。
おぉ〜〜まだ、まだ、未熟だぁ〜〜!!
でも、その後、二つの小学校の5・6年生へ「ノロウェイの黒ウシ」を届けに行く機会に恵まれました。
小学校へは年一回ですが楽しみにしてくれていて、教室は暗くならなくてもカーテンをしめ、子ども達は床に座り、待っていてくれます。先生はお魚の水槽のボコボコという音まで止めてくださいました。
あたしは生徒用の小さな椅子に腰掛け、「このろうそくに火をつけると、このお部屋はおはなしの部屋になります」と言いながら、ろうそくに火をつけます。そして、端の人が電気を消してくれます。
(今日はどんなおはなしだろう?)(さぁ〜、聞くぞ!)という気配が伝わってくる中、「今日は長いおはなしなのでリラックスして、聞いてね。では、『イギリスとアイルランドの昔話』の中から「ノロウェイの黒ウシ」というおはなしを語ります。」
「『ノロウェイの黒ウシ』 昔、ノロウェイというところにひとりの身分のいい夫人が住んでいました。そのひとには三人の娘がありましたが三人ともみな美しゅうございました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魔女は自分の力が消えたことを知るとすぐさま、国を逃げ出し二度と再び帰って来ませんでした。」
おはなしが終わった時、生徒達はしばらく何も話したくない、聞きたくないという気配。長い旅を終えてきたぁ〜という雰囲気でした。あたしも語り終えてほぉ〜〜っ。
語っている間、廊下を通る子ども達の足音も学校の横の道を走っていったパトカーの音もおはなしの世界を壊すことはありませんでした。
そして、教室を出るとき、「どきどきしたわ!」「まだ、黒ウシが頭から離れへん!」とあたしに声をかけてくれました。
こんな時、あたしも子どもたちといっしょにおはなしの世界を旅できた幸せを感じます。
<ストーリーテリングにふさわしい環境>
さて、Chikaさん宛てに、次のような質問が届きました。
>フリマとか、人の集まったところでストーリーテリングができたら、 と思っているのですが、何かいい本はあるでしょうか?
う〜〜ん、むつかしい〜〜〜(>_<)
あたしたちの会は図書館ではおはなしの部屋、保育所、幼稚園、小学校は各クラスの教室へとすべて小さなお部屋でおはなしを語ってます。
いくら部屋の中で語っていても想像の世界って、ほんのささいなことで壊れるのよね。
例えば椅子を動かした音、だれかのセキ、はと時計のクック〜、赤ちゃんの泣き声、途中で入ってくる人、窓の外を飛ぶ鳩、授業終了のチャイム・・・など、他にも色々。
壊れるってことは子ども達の集中力が無くなることもあるし、語り手がおはなしの次の場面を思い出せなくなることもあるの。
部屋の中でもそうだから、フリマとか人の集まる所となると動き回っている人が回りにいるわけで、子ども達の目は
興味のある方へいってしまうとおもうのよね。
あたしとしては、ストーリーテリングにこだわらず、そのような所なら紙芝居とか、遠くからでも
絵がはっきり見える絵本がおすすめだけどなぁ〜。大型絵本っていうのもいいかもしれない。 (2002.9.09、Chika)
あたしがストーリーテリングを勉強する時に使った「ストーリテラーへの道」(ルース・ソーヤ著)にこんな風に書かれています。
『お話を語るということは、幾年もの歳月を要する一生かかる仕事なのですね。・・・・ひとつとして無駄にはならない。・・・・与えることによって、初めて価値が出てくるのです。』
経験が浅くてもそれなりのおはなしは語れるし、年月を重ね、いろんな経験が積み重なって語るとそれなりの深さがでてくると思います。
ひとつのおはなしを何年か経って、も一度語ると違った想いが自分自身に芽生えていて全然違ったお話になることもあります。
恋をしたり、別れたり、結婚したり、夫婦に対する考えが変わったり、子どもが成長するにつれて子どもへの思いもかわってくるでしょ。そんな語り手の想いがおはなしにそのままでてきます。
もちろん、そのおはなしがどのようにして生まれたかを知ることも大切です。そして、そのおはなしが生まれた地を訪れることって、すごく奥行きを与えてくれる気がします。
あたしの場合、丹頂鶴が住む雪国(つるにょうぼう)とか、龍が住んでいる?という白山(めんたまどろぼう)とか・・・実際に訪れた地を自信をもって思い出せばいいわけです。だから、ベヒシュタインを語ることになったら、あけみさんドイツへ連れて行ってくださいね。
でもね、経験ってそれほどたいそうなものでなくても・・・
お花を見てかわいいって思う気持ちとか、虫の声に聞き入ったり、
流れ星を見ようと真夜中、空を見上げるとか、う〜〜ん、このチョコおいしいって気持ちとか、そんなささやかな出会いに感動する気持ちを持ちつづけることがたいせつではないかとあたしは思ってます。
そして、あたし達は語った後、感想は聞かないことにしています。
おはなしを聞き、想像の世界を自分の力で旅した子ども達は、その中に含まれていた何かを手に入れているのです。
そして、それはいつか子ども達が一歩踏み出そうとした時、踏み出す勇気を与え、また、人間ってなに?生きるって?って思い悩んだ時、役立ってくれることでしょう。
そう、それはいつか・・・・。
あたし達はそれを信じて、心から語りたいおはなしを子ども達に届けたいと思っています。
参考資料
■「ストーリーテラーへの道」
R.ソーヤー著 (日本図書館協会)1973年
■「お話について」
松岡 享子著 (東京子ども図書館)1996年
■「お話を子どもに」
松岡 享子著 (日本エディタースクール出版部)1994年
■「お話を語る」
松岡 享子著 (日本エディタースクール出版部)1994年
■「ストーリーテリング」
間崎 ルリ子著 (児童図書館研究会)1987年
■「“グリムおばさん”とよばれて」
シャルロッテ・ルジュモン著(こぐま社)1986年
Home | ごあいさつ
仕事と生活 | お気に入り作家紹介
| ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
Café | ひとりごと | 更新日誌 | リンク集
|