♪WUK−永遠の実験場
ウィーンをよく知っている人でも、WUKを知っている人は余りいないのでは
ないだろうか? 前衛的だというので最近若い人たちの間に知られてきた、
いわば総合文化館である。
ヴェーリンガー通り59番地に立つと、目の前にあるのはクラシックな煉瓦 造りの古い大きな建物。学校か役所のようなたたずまいである。入っていく とかなり広い中庭はレストラン。木のテーブルとベンチ、つたの茂った古い
レンガの壁に囲まれて雰囲気もなかなかいい。ビールやワインを片手に語 り合っているのはほとんどが若い人たち。営業は午前2時まで、とある。中庭
の左側が目指す会場のホールだ。
さて、ダンス演劇「突破口」の開演をホール前のロビーで待っていると、よ れよれの長い衣装を着た男優がホールとは反対の口から出てきて、
何かを語り始めた。そのうちホールのドアを開け、私たち観客を中へといざ なう。
後について入っていくと、そこは洞窟の中である。神託を告げる女の前
で、一組の男女が優しく優しく愛し合う。私たちは、さらに洞窟の外へと導か れる。すると洞窟はつぶれ、死体とそれに取りすがる女にスポットが当てら れる。愛するものを失った悲しみ、嘆き、死に追いやったものへの怒りを、 女は
渾身の力を込めて訴える。さらに8人の男女が現われ、群舞となる。
言葉は余り語られない。
立って見ていた10人ちょっとの観客は病院の場面で椅子を 勧められ、 両サイドに分かれて腰掛ける。観客席はなく、ホール中が舞台だ。すぐ目の 前で、全身のエネルギーをこめた演技が繰り広げられる。 汗が飛び散る。
人間の内奥からの叫び、憧れ、落胆、絶望、怒り・・・。最後、10人は5組の 男女となって静かに優しく抱き合った。
後で聞いてみると、彼らはポーランド、クラコフの演劇学校の卒業生
で、共同の卒業制作としてこの作品を作ったのだそうである。翻訳テキ
ストを
くれたが、言葉がわからなくても、充分に見ごたえがあった。
WUKとは、「開かれた文化および作業場のための家設立を目指す会」
(Verein zur Schaffung offener Kultur- und Werkstaettenhaeuser)という難 くて長い名称の略。ウィーン市の援助による自治団体で、文化活動をしたい が活動や発表の場所がない、というグループあるいは個人に場を提供して いる。したがって、WUK自身が催し物を主催するのではないが、文化活動 に対するはっきりした方針を持ち、それに共鳴する人たちに場を提供するこ とを通じて文化運動の主体となっている。
その方針とは、まとめて言えば、
1)文化とは生活水準を上げるための高級な「おまけ」などではなくて、人 間的な生活に欠かせない要素であり、人間の本質的な欲求である。
2)そこでWUKは、製作者と消費者の分離を乗り越え、ともに一つのもの を作り上げていくプロセスを重視した文化創造の場を提供する。
ということで、アクティブに関わっていきたい人であれば、だれでも借りられ
る。分野は演劇、ダンス、絵画、彫刻、写真、焼き物等の芸術部門から、
社会福祉、児童、青少年関係までと非常に広く、講演会、展示会、お祭りもO
K。目下のところ、広さ12,000uの建物でおよそ120のグループが長期的に活
動、催し物会場は4つあり、年間訳250のイベントが行なわれている。
ここで、建物について少し説明しなければならない。WUKの運動はもとも
とこの建物から始まったのだから。1855年、ゲオルク・シールという修理工が
機関車工場を建てた。ウィーンの街を歩いていると、これが工場かと思うよう
な美しい建物をよく見かけるが、これもその一つである。
若い企業家シーグルは、工業化の波に乗って事業を拡大、国立オペラ座
の舞台用機械装置や、ヴォティーフ教会用の鉄構造も製作した。しかし1873
年のウィーン株式恐慌で苦境に陥って生産の転換を余儀なくされ、1884年に
は工業高校が移転してきて、以後は工業化を担う技師たちの要請が行なわ
れることになった。
しかし、増大する生徒数と設備の老朽化から、この学校もほぼ一世紀後
の1979年、20区の新校舎に引越し、跡地利用が問題となった。地下駐車場 と公園、団地建設、大学の一部を移転等のプランがあったが、それに対し 市民有志が「歴史的な建物を救おう」のモットーの下に集まり、建物をオルタ ナティヴな文化創造の場とすべく、WUKを設立した。そして粘り強い市との 交渉の末、建物は救われ、WUKは自治団体として市から援助を受けられ ることになったという次第である。
実験的なダンス演劇や音楽創造のほか、独自のオーケストラも持つ年金 生活者のグループ、新しい教育を目指す保育グループ、小学校など、生活 のあらゆる分野で「もっと人間らしく」と目指す人たちがここで模索を続けて いる。昨年創設十周年を迎え、さらに活動の拡大と充実を目指すWUKだ が、次の十年、「自ら創造する文化」がどれだけ市民の心をつかみ、広がり を見せていくか、興味深いところである。(1992年6月)
Home | ごあいさつ
仕事と生活 | お気に入り作家紹介
| ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
Café | ひとりごと | 更新日誌 | リンク集
|