更新日誌   2003年3/4月の更新日誌

    2003年6月29日(日)
  
ウィーンの日曜日は本当に静か。新聞は来ないし、もちろん郵便屋さんも来ない。中庭の駐車場には車が数台見えるだけ。週末に出かけている人が多いのでマンションの住人も減っている。裏のマンション工事もお休み。週末はばっちり仕事を休むので、もちろん仕事の電話など絶対にかかって来ない。ラジオを聞きながらゆっくりコーヒーを飲んでいると、10時に教会の鐘が聞こえてくる。ミサが始まる合図だ。ミサは教会にいかれない人のためにラジオでも中継される。この教会の鐘の音が私はとても好き。明るくて軽やかな鐘の響きが、ああ、日曜日、という思いと一緒に、やさしい希望と安らぎを運んでくれる。
   そんなわけで日曜日は心からホッとできる日。1週間に一度、心を休めるのはとってもいい。ふっと聖書の「安息日」という言葉が浮かんだりする。神様はさすが人間の心と体のリズムをよくご存知だったのね。

2003年6月27日(金)
   やっと少しずつ仕事が入ってくるようになりました。今さっき小さな翻訳の仕事を送ってホッとしたところです。本当にたくさんの人にお世話になっています。助けてくださる方たちの厚意に応えるためにも、今年はよい仕事を積み重ねながら、生活基盤作りに励まないと、と思っています。

さて、昨日まで1週間、笛吹き小僧さんがオペラ三昧をしに、ウィーンに来ていました。音大生のお友達の公開卒業試験を聞いたり、あれこれ話したりして、大いに刺激を受けたみたいです。日頃は野原と音大しかない小さな町で練習に励んでいる笛吹き小僧さんだから、たくさんの人や物と触れ合うのはとってもよかったのね。私も「ラ・ボエーム」を一緒に聞いたり(感動的によかった!)、バイオリンの卒業試験を聞いたり、ワイン酒場の通りに出したテーブルで、心地よい風に吹かれながら音楽話に夢中になったり、楽しい日々を過ごしました。素晴らしい音をつかんだ笛吹き小僧さん、あの音をしっかり安定させて、もっともっと伸びていってね。いつか笛吹き小僧さんのコンサートを聞くのが楽しみです。

2003年6月19日(木)
   たくさんの方から、復旧おめでとうのメールや書き込みを頂きました。
私もこんなに早く取り付けてもらえるなんて、全く思っていなかったので、
「これから持って行く!」と電話があった時には、余りにもびっくりして言葉が
出てこなかったほど。知人の息子さんのダニエルくんが、丸一日日本語のデータと格闘して新しいPCに移してくれたのでした。

前からお世話になっているのだけれど、彼まるで日本語読めるみたいに、スイスイとクリックして行くの。
「日本語読めるみたい!」って言ったら、
「シンボルマークは同じだし、いつもやってるから位置でだいたいわかるんだ」
と言っていましたが、それでもマークのついていないところもたくさんあるし、
今回は私がそばにいたわけでもないので、疑問部分は全部試行錯誤でやったのね。それも1台のPCに入っている分全部だから、ものすごく大変だったと思うの。
「今度XPを入れたら、きっと日本語できるようになるよ」と言ってましたもん。
ダニエルさま、本当にありがとうございました。
もうただただ感謝申し上げます。m(__)m m(__)m m(__)m

2003年6月18日(水)PC復旧!
   ご心配をおかけしましたが、コンピュータ会社の知人が
もうれつ努力してくれたおかげで、思いがけないことに
なんと昨日の夕方、もう新しいPCが使えるようになりました!
これでまた仕事ができるようになり、知人には大感謝しています。
ああー、ホッとした!

ここ数日壊れたノートパソコンを抱えて2回会社を訪ねたり、
その足でインターネットカフェに回ったりと、ウィーンの街を
走り回っていたので、身体も疲れたけれど、神経も相当に疲れました。
ホッとした昨日の晩は、やっとぐっすり眠りました。

新しいPCには壊れたPCのデータを全て移してくれましたので、
全く今までと同じように使えます。
今度はデスクトップなので画面も大きいし、
キイボードも使いやすい!(日本語キイボードではないので
記号の位置を確かめるのに少し混乱していますが、そのうち頭に入るよね)
今XPを送ってもらうよう技術大臣にお願いしたところですが、
日本からXPがついたら、全部インストールし直してもらいます。
技術大臣様、またまたお世話になります。
どうぞよろしくお願い致します。

XPへの切り替えの時に少し混乱するかもしれませんが、
たいした問題にはならないと思います。
みなさま、本当にご心配ありがとう!

2003年6月13日(金) PC崩壊!
  昨日電源が入らなくなり、今日お店に持って行って見てもらったら、
完璧に壊れていて、もう新しいのを買うしかないことがわかりました。
で、こちらのデスクトップに日本語Windowsを入れてもらうことに
なりそうです。
新しいのが手に入るまで、少なくとも10日から2週間は
かかると思うので、それまで更新ができなくなります。

今、国立オペラ座の裏のインターネットカフェで書いています。
時々ここにくるようにします。
メールを下さる方はどうぞHotomailアドレスの方にお願い致します。
あーあ、それにしてもPCって本当に神経疲れる機械ねえ。

要するに寿命が来たということみたいです。
昨年くらいから不安定になってきて、それがここ数ヶ月間くらい
かなりひどくなったと思うと小康状態みたいなのを
繰り返していたので、そろそろ新しいPCのことも考えなくちゃ、
とは思っていたところだったの。それにしてもこんなに早く崩壊しちゃうなんて
わなかった!

仕事はできる部分は手書きですることにします。
私に必要な機能だけを入れてもらうようにして、とにかく一日も早く納めてもらえるよう手配します。

みなさん、しばらくご不便をおかけしますが、
どうかよろしくお願い致します。

2003年6月4日(水)
    今日で日本語集中コースが終った。初めての時間に自己紹介の勉強をした。そして今日最後に、今まで習ったことを使ってもう一度自己紹介してもらった。今度は好きなことも言えるようになったし、文章も少しだけ複雑になって、中身も大分豊かになった。できるようになったことを一通り大事なことだけ復習した。「6週間でこれだけできるようになったんだもん、なかなか大したものじゃない?」「そうだよなあ、全く0だったんだもんなあ」とみんなも結構嬉しそう。
    「長い夏休みの間にせっかく勉強したこと全部忘れちゃったら、もったいな過ぎるわよ。がんばったんだもの」「あ、そんなもったいないことはしませ〜ん。
夏休みの間にちゃんと勉強しときま〜す」とみんな意志だけはなかなか。
   夏の間に勉強して、また秋にみんなここで会おうね、とお互いに健闘を祈りあって別れた。
   でもみんな日本の歌のCDはしょっちゅう聞いてるし、トムさんは今日知ったのだけれど、会員が二百人くらいいる日本のアニメ・漫画ファンのサイトの主宰者なんですって。で毎年ファンの集いをやっていて、今年も夏にやるんだそう。
   これだけ日本語への関心があれば、ちょっと大変でもがんばれるかな。秋が楽しみ。

2003年5月26日(月)
  
日本語の授業に行ったら、忍者さんが「せんせ〜い、見て下さ〜い!こいつ、すごい本買ったんですよ〜!」と隣のトムさんの方を示す。「なに、なに?」と見ると日本から航空便で届いたばかりの漫画作家の画集三冊と、漫画のCD(?)。そのうち一冊は、結賀さとるの「E'S―あらかじめ失われた楽園」、もう一冊は「Visual Complete 幻想魔伝最遊記」。知ってます? 1冊はまだ刊行されて2ヶ月しか経っていないそう。でも彼が日本語に興味を持ったのは、インターネットであゆ(浜崎あゆみね)の歌を聴いてからなんですって。あとエックス・ジャパンもよく聴くそう。それからアニメ、漫画という風に関心が広がって、ついに日本語やるゾ!となったわけだから、ほんとに時代が変わったのねえ。
   それにしてもこれほどのブームになった日本の漫画の魅力って何なんだろう? 物語性だろうか、幻想的な世界の魅力? 世界的に受け入れられる普遍性はどこにあるのだろうか?

2003年5月25日(日)
  
今日はウィーンの第20回シティ・マラソン。2万4千人が参加した。朝8時半スタート。私も遅れてテレビの生中継で観戦。国際的なスポーツランナーから趣味で走る人まで、老若男女がそれぞれの42kmに挑んだ。男性のトップはケニアの選手で2時間14分と少し。女性のトップはイタリア人で2時間35分くらい。
   でも中継はプロ選手たちばかりを追うのではなくて、20年走り続けている人
の練習風景を紹介したり、横をオートバイで走りながらインタビューしたり(前もってOKを取ってある)、趣味で走る人たちの様子もよく伝えていた。「今まで4時間台で走っていた人が今年3時間台で走れたら、その人は素晴らしいランナーです」というアナウンサーのコメントが印象深かった。交通規制はゴールイン5時間まで。
   昔はちょうどコースにあたる通りに住んでいたので、6階の窓から応援した。
今日画面では見なかったが、当時は小さな我が子を乳母車に乗せて、押しながら走るおとうさんや、車椅子の人もいた。そして見物の人たちも温かい応援の声をかけていたのが、印象に残っている。
   42kmもの距離を走り抜くこと、それに挑もうとした気持ち、マラソンには参加者の誰もに、その人にとっての大きな意味があるはずだ。その意味をしっかり捉えて温かく見守った大会の運営や局の方針に好感が持てた。

   午後からは子どもたちのための「ジュニア・マラソン」も行われた。参加者は
確か3500人位だったと思う。距離は2100メートル。「今年は7分○秒が目標」と言っていたいつかプロになるぞ、という意気込みでトレーニングをしてきた子もいるし、3歳くらいの子たちもいる。おとうさん、おかあさんの伴走で嬉しそうに走ってる子、最後には疲れてお父さんの差し出した手をしっかり握って、走った子。たくさんの子どもたちが「楽しかった!」と言っていた。いいなあ、と思ったマラソン大会だった。

もうひとつ、中継中にヘリコプターからのウィーンの映像が何度も映ったが、ウィーンってなんて美しい街なんだろう、という思いを新たにした。緑の豊かさ、その配置、旧市街の建物の形と配置、全体のバランス・・・。う〜ん、やっぱりウィーン我が愛の街ね。

2003年5月16日(金)
   今日は昨日ドイツから着いたもと私のクラスだったしなさんと、今日着いたばかりのご主人を、chiemaruさんと一緒にウィーン案内。ウィーンの雰囲気を楽しみたいというご希望なので、また私の大好きなヴィルヘルミーネの丘からのウィーンの街を見てもらうことに。バスで貸し庭地帯を通り、丘の中腹の高級住宅街を抜けて行く。ウィーンの森はたったの1ヶ月で、すっかり青々とした豊かな森に
変身していた。いつもは霧がかかったようになっていることの多いウィーンの街も、今日はすっかり晴れてくっきりと見渡せる。街並に影を落としている雲が少しずつ動いていくのも、その影の動きでわかる。こんな素敵な眺めを味わったのは、本当に久しぶり。  
  あれがシュテファン寺院、あれがドナウ・タワー、あれがシェーンブルン宮殿と、ひとしきり地図と比べたりしてから、お城のテラス・カフェでコーヒーとケーキのおやつ。テラスは大分高くなっているので、ウィーンの広い眺望を楽しみながらお茶が飲める。いいお天気で本当によかった!旅の印象ってお天気で全然変わってしまうのよね。
  その後はバスで、来
方向とは反対方向ににさらに進み、高級住宅街を抜けて、地下鉄3番線の終点駅へ出る。そこから17、8分で旧市街の中心、シュテファン寺院広場へ。
  旧市街は有名な大通りも美しいけれど、奥に入った小さな小路がとても魅力的だ。タイムスリップしたみたいに、1600年代の建物が石畳の狭い道に現れたりする。夕闇迫る頃からが、灯りに照らされて幻想的で、特にいい。アール・ヌーボーの代表的建築家、オーットー・ヴァーグナーの、これまた代表的な建築物、郵便貯金ホールを外から眺めたあと、8時になってそろそろ暗くなってきたので、怪物の伝説のある小路、シェーンラテルン・ガッセへ。
  昔、井戸に住んで、毒を吐き、悪さをしていた怪物がいた。知恵ある若者が、鏡を使って怪物に自らの醜い姿を見せたところ、怪物はその姿の余りの醜さにショックで爆発死した、という伝説だ。なんだか、がまが自分の醜さに油をたら〜り、たら〜りというがまの油の口上に似てなかったっけ、と思ったが、似たような話はどこにでもあるものなのね。
  で、その怪物の名前を付けたレストラン、バジリスクに入って食事をする。低い丸天井とアーチ型の柱が特徴ある内装で、私はいかにもウィーンという感じの「今晩のコース・メニュー」を見て、chiemaruさんと一緒にそれに決めた。スープとウィンナ・シュニッツェルに、デザートはマリレン・パラチンケン。パラチンケンというのは、厚めのクレープのことで、マリレンはアプリコットのオーストリア風な言い方。アプリコット・ジャムをはさみ、上に生クリームを乗せて食べる。私たちがおいしい、おいしいと言うので、しなさんのご主人も食べたくなって、追加注文。ろうそくをつけた、古風なテーブルを囲んで、食事の後もひとしきりおしゃべりに花が咲いた。ほの暗さというのは人間の心を解きほぐすのだろうか。原始時代の記憶? 

2003年5月14日(水)
  
昨日、忍者さんのお友達のなかのさんが、ロンドンから書き込みをして下さるという嬉しいびっくり事件があったので、さっそく授業の時、
「ね、なかのさんて知ってる?」って聞いたら、
「知ってま〜す。もう読みました!」ですって。
「え、読んだ?!すごい、わかったの? 日本語読めちゃうの?!」
「翻訳ソフトで訳したんです。漢字をずいぶん辞書で調べたりしたけど、なんとかだいたいのところは、わかりました」だって。
すご〜い、そこまでやるんだ!とびっくりしたのだけれど、よく考えたらこの忍者さんはコンピュータ・エンジニアがご職業。そんなのどうってことなかったのね。

2003年5月2日(金)
  
宿のベッドは薄い毛布しかないので布団がいる、ということで、枕と布団のセットを買いに、一緒に開店30周年特別バーゲンをしている大型家具店へ。
こちらの大型家具店は家具店というより、家の内装に必要なもの全部を売っている内装店。家具はもちろん、カーテン、クッション、テーブルクロス、寝具、食器、台所用品、花瓶、ろうそく、絵、額縁など、なんでもある。
  残念なことに、布団セットは売り切れで、来週にならないと来ないという。何しろセットで2千円ちょっとですもんね。普通では考えられない安さだもの、売れちゃうよね。
   chiemaruさんは部屋で履くスリッパも買いたかったのに、ここでは扱っていない、という。どこの大型家具店にもあるのに不思議。ここでは日本のようなスリッパははかないのが普通で、家では普通、上履きとしてサンダルをはく。スリッパはお風呂の後に履くタオル地のたっぷり大きいのか、お客用の一足百円くらいのぺらぺらスリッパだけ。
  そうか、2ヶ月使うのなら靴屋さんに行く方がいい。お客用スリッパは一週間履いたらもうぼろぼろだもん。
   で、目的は果たせなかったけれど、2階のレストランでランチを食べながらまたおしゃべり。久しぶりにゆったり過ごした日だった。
   ではchiemaruさん、これからのウィーン生活、楽しく充実したものになりますように!

2003年5月1日(木)
       今日はメーデーで、オーストリアは祝日。祝日はお店もお休みなので買い物ができない。それを知らずに飛行機の予約をしてしまったもと私のクラスのchiemaruさんが、初めて私の家に泊まるお客さんになった♪ 
   彼女は5月6月とウィーンの語学学校のドイツ語コースに通う。久しぶりの再会に、七面鳥の酢豚風の夕食を囲みながら話が弾む。日本では建築事務所で設計の仕事をしていたそうで、こちらの建築事務所で働くのが夢。ドイツ語ばっちり勉強して、ぜひ夢をかなえて欲しいな。秋にはまたウィーンに来る予定。食事の後は場所を居間に移して、ろうそくの灯りの元でワインを傾けつつ、話に夢中になっていたら、お風呂を勧めるのも忘れてしまった。ごめんね、chiemaruさん。せめてソファーベッドの寝心地がよいといいんだけれど。

 

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