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更新日誌

2013年4月14日(日)春初めての遠足

 今日もよいお天気だったので、今年の春、初めての遠足に出掛けて来ました。バート・ドイチュ・アルテンブルクというドナウ河畔の村(ウィーンから車で1時間くらい)です。ここには温泉で療養する人たちのためのクア・センターがあって、もちろんレストランやおいしいケーキ屋さんも並んでいます。クア・パークには犬を連れた人、家族連れで来ている人たちなどが、やっと来た春を味わっていました。もちろんケーキ屋さんも超満員でした。木蓮のつぼみがもう色づき始めていましたから、あと1週間もしたら、きっと満開の木蓮が見られるのではないかしら。お日様の光もずいぶんと力強くなっていました。

      
  
ドナウ河の水嵩はかなりありました。雪解け水ですね。ドナウ河畔のクア・パーク。

    
 
  木蓮のつぼみが顔を出していました!      クアパークで見つけたすみれ。

 この地域はもうひとつ、ローマ帝国の重要な軍駐屯地、カルヌントゥムがあったことでも有名です。19世紀の前半から、あたり一帯でローマ時代の建物、円形劇場などの遺物・遺跡が次々と出土したことから、一帯をカルヌントゥム考古学公園とし、さらに出土した重要な遺物を展示するために、ローマ時代の館に倣って博物館を建築、1904年に開館しました。ローマ帝国に関するオーストリア最大の博物館で、出土した武器、道具類、装飾品などを見ることができます。

 カルヌントゥムの名は、アウグストゥス帝の治下にあった紀元6年に初めて登場、ハドリアヌス帝がここに都市を築き、また五大賢帝の一人である皇帝、マルクス・アウレリウス(121〜180)は戦争中の3年間をここで過ごし、『自省録』の一部もここで書きました。 

カルヌントゥム博物館

 そうそう、シティ・マラソンはどうなったかと言うと、41,000人もの人々が参加、最高タイムは2時間1分台だったそうです。もう30回目になったので、最近は世界中からトップ選手が集まるようになり、ますます面白くなって来ました。でも参加する人たちは本当に様々で、ウサギのぬいぐるみを着て走る人、2個のボールでお手玉をしながら走る人など色々。速い人も遅い人もそれぞれの楽しみ方をしたようでした。

2013年4月13日(土)ついに春が来ました!

   

今日、中庭で初めて春の花を発見! 連翹はいっぺんに満開です。ただ黄色がいつもより鮮やかさに欠ける感じがします。愛らしい小さな雛菊も咲いていました。下は、名前のわからない青い花。今日はとてもよいお天気で、気温も18℃。少しでも外に出ないともったいないので、30分ほど近所を散策して来ました。

明日の日曜日には、恒例のウィーン・シティ・マラソンが開催されます。コースは、国連本部から王宮の英雄広場までの42.195km。今年で30回目を迎えます。明日もよいお天気らしいので、きっと絶好のマラソン日和になることでしょう。

   

2013年4月10日(水)イースターは過ぎたけれど
    
イースターの飾りを片付け、周りはもうすっかり春、のはずが、見えるのはまだ裸の木々ばかりです。でも気温は一昨日から10℃をかなり上回るようになったので、もう何日かしたら、いっぺんに春が来るのでは、と期待しているのですが。

  雑誌を見たら、なんと今年の冬は、観測史上(=1884年以来!)2番目に日照時間の短い冬だったのだそうです。一番短かったのは1903年から1904年にかけての冬。これでは春が待ちきれなくなってしまうのも当然ですよね。最初のすみれまたは水仙が見られるまで、あと何日待てばいいのかしら。

2013年3月31日(日)イースターです!

 Happy Easter !  Frohe Ostern! (フローエ・オステルン!)

 オスターピンツェ

  イースター(復活祭)おめでとうございます!と言われても、日本ではほとんどお祝いしないので、あ、そうなの?と思われる方が多いと思います。けれどもキリスト教圏では、もっとも大きな意味を持つお祭りで、「イースターの日曜日」と「イースターの月曜日」は祝日です。学校もイースター前から1週間ほど休みになります。それでたくさんの家族が、この休みを利用して休暇に出掛けます。

  今日は、朝起きたら雪がうっすらと積もっていました。気温もお昼で3.4℃です。ゲルマン人の春の到来を祝うお祭りとも融合しているし、普通ならイースターが来る頃にはすっかり春らしくなっているのが普通なので、庶民にとっては春が来たのをお祝いする嬉しいお祭りでもあるのですが、今年はこの寒さなので、スキーに出掛ける人たちも多いとか。イースターは、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に来るため、毎年日が違う移動祝日なので、今年は早い方ですが、それでもこんなに雪ばかりだと、もう我慢できな〜い、春よ、早く来て〜!という気持ちになります。あ、今、また雪が降り始めました。

  それに今日は3月最後の日曜日なので、ちょうど夏時間への移行の日と重なりました。午前2時に時計をいっせいに3時に進め、夏時間が始まりました。というわけで、今日から日本との時差は、1時間縮まって、7時間になります。日本の午後7時が、オーストリアではちょうどその日の正午というわけです。電話をかけたり、メールを書いたりする時に、どうぞ参考にして下さい。

  写真のパンは、オスターピンツェと言って、もとはと言えば、南部オーストリア・スロヴェニアから来たものだそうですが、イースターに食べるパンです。生地にはワインが入っており、また少し甘味があります。レーズンも入っています。生地をはさみでカットしてから焼くので、三つ葉型になります。イースター前の40日間は、四旬節といって、肉、卵、乳製品を控え、節制して待つ時期とされているので、イースターの直前に、これらの食品を清めてもらい、イースターを迎えると、オスターピンツェや他のパンと一緒にこれらを食べる、という習慣があります。

2013年3月22日(金)もうすぐイースター

  
イースターの飾り

  ウィーンのお天気は15℃になったかと思うと、今日は4℃という具合にあがったり下がったりして落ち着きません。木々はまだ裸ん坊で春の気配も見られませんが、ようく木々を観察すると、まだ固いけれど芽が出ているのがわかります。3月31日と4月1日はイースター(復活祭)。キリストの復活を祝う日ではありますけれど、イースターが来る頃には、だいぶ春めいてくるので、長い冬を耐えてきた人々にとっては春を祝うお祭りでもあります。私も猫柳の枝を買って来て、命のシンボルである卵を飾り、豊穣のシンボルであるうさぎや鶏のお人形を置いて、イースター飾りを作りました。早く木々に優しい黄緑色の若葉が顔を見せてくれますように!

2013年3月17日(日)お日様が恋しくて
   
珍しいことに二日続けてよいお天気! 少しでもお日様に当たりたいと、今日は、ちょっとだけバーデンに行って来ました。バーデンへはウィーンから車で30分くらい。19世紀初頭から皇帝が保養地としたことから、貴族や芸術家も保養に来るようになった街で、ベートーヴェンが第九を作曲した家なども見ることができます。天井の低いビーダーマイヤー様式の家並が、愛らしい雰囲気をかもし出しています。こじんまりした、愛らしい街ですが、保養地として栄えたため、カジノも劇場もあり、硫黄泉、おいしいワインも楽しめます。洒落たお店がたくさんあるので、散策を兼ねてウィンドーショッピングをするのも楽しいです。

 ウィーンにいらしたら、ぜひバーデンにも足を伸ばしてみて下さい。全く違った雰囲気が楽しめます。ウィーンのオペラ座前から、バーデン線に乗って、田園の景色を楽しみながら1時間で到着します。

    
 
カフェ・クレメンティーネ(元「メッテルニヒ」) イチゴのヨーグルトケーキとカフェ・ラテ

     
  
ショーウィンドーが洒落ています         バーデンの町並み

  同じくバーデンの町並み

2013年3月16日(土)再びヴィルヘルミーネの丘

雪やどんより曇った日々の後、久しぶりにお日様が顔を出してくれました。嬉しくなって、またいつものヴィルヘルミーネの丘へ。お城のカフェでおやつを楽しんだ後、ウィーンの森を散策しました。お日様は出ていても、まだまだ空気は冷たくて、ダウンのコートを着ていても、速く歩かないと寒かったし、手袋の中の指が冷たくなりました。でも、裸の木に芽が出ているのを発見!

春もそ〜うっとながら、確実に近づいて来ているようです。

  
 まだ少し雪が残る庭から、ウィーンの街を眺める  ウィーンの森にもまだ雪が残っていました                            

  
 お城の喫茶室                 チーズケーキのバニラソース添えとカフェ・ラテ

  
  裸の木に芽が吹いているのを発見!                                             

2013年3月14日(木)直りました!
      
今日、いつものダニエルくんに来てもらって、ホームページ作成ソフトの不具合を直してもらいました。で、ようやく更新日誌3、4月の新しいページが作成できました。ああ、よかった!

  ほんの3日前は16℃という暖かさだったのに、今朝起きたら、外は粉砂糖を降りかけたように白くなっていて、気温は−1.6℃。ちょっと差が大き過ぎると思いません? 身体が急激な温度変化についていけなくて、そこらじゅうでみんながあくびをし、疲れた、疲れた、と言っています。もう少し安定してよ。

2013年3月11日(月) 東日本大震災を覚えていますか?
   
東日本大震災・津波・原発事故が発生してから、今日で丸2年が経過しました。ようやく瓦礫の処理は半分終わりましたが、いまだに仮設住宅、民間の賃貸住宅に住む避難者が、31万5千人もいます。昨年に比べて避難者数はおよそ3万人しか減っておらず、復興は遅々として進んでいません。

 故郷を奪われ、生業を奪われた人たちの仮の生活を思うと、物理的な辛さはもちろんのこと、精神的な辛さはどんなものかと胸が締め付けられます。福島第一原発では、今でも毎日3千人の作業員が、被爆をしながら少しでも状況をよくしようと働いています。今日は、各地で追悼式が行われましたが、復興のための努力はこれから何年も、何十年も続けて行かねばなりません。

 そういう中にあって、被災地から離れた地で暮らす私たちにとって一番怖いのは、この状況に狎れてしまい、忘れてしまうことだと思います。人間というのは、なれやすく、忘れやすい動物ですから、常に意識して被災地の情報に触れ、また大震災・原発事故が投げかけた問題について考えるべく努力して行きたいと思います。

 もう一度、自分自身も母・弟を津波で失いながら、被災地で復興のための努力を続ける荒川洋平さんのブログをご紹介します。写真をたくさん入れてくれるので、様子がよくわかります。
  
   名取市ゆりあげ復興支援のブログ
   http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/archives/2012-02.html

 また被災地を巡る情報を得たいと思っても、長い目で報道を続けてくれるメディアはなかなかないのですが、東京新聞が、粘り強く震災関係の報道をしているのを見つけました。トップを開けて、少し右下に下がったところに、「東日本大震災」と「日米同盟と原発」という特別ページが設けてあり、いつでも情報が得られるようになっています。

   東京新聞Web  http://www.tokyo-np.co.jp/index.html

 「東日本大震災」では、震災関連のニュースが読め、「日米同盟と原発」では戦中からの日米関係の歴史を学ぶことができます。これを読むと、日本では、広島・長崎で原爆を体験したからこそ、原子力平和利用への憧れが生まれたことがわかります。米国側からは、米ソの冷戦に備えた戦略の一環でした。

 *お知らせ* ホームページ作成ソフトがおかしくなって、うまく機能しなくなってしまいました。それで、本来ならば、2ヶ月ごとに更新日誌のページを新しくしているので、今は3,4月用更新日誌になっているはずなのですが、直してもらうまで、ここに続けて行きますので、どうかご了承下さい。(3月14日、修理しましたので、3,4月の更新日誌に移しました)

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