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2007年12月31日(月)大晦日
皆さま、
今年一年の応援ありがとうございました。
どうぞよいお正月をお迎えくださいますよう!
ヴィルヘルミーネ城の脇に設置されている小さなスケート場。広さは200u。
大晦日の今日はプラス3℃と、今までに比べて暖かくなりました。明日の元旦も暖かめだそう。年越しには、カウントダウンをするために、シュテファン広場や市庁舎前広場にたくさん人が集まって来ます。新年の瞬間には、持って来たシャンパンで乾杯し、同時に流れる「美しき青きドナウ」に乗ってワルツを踊って、おめでとう!を交わすというのがウィーン風の過ごし方の一つ。その人たちがあまり寒くないように、という天の配慮かも知れませんね。もちろん家で年越しパーティをする人たちもたくさんいます。
私は今年は疲れ休みの年末年始。暖かい家の中で、年越しを祝って皆があちこちで鳴らす爆竹の音を聞き、打ち上げる花火を見ながら、新年の瞬間に流れるシュテファン寺院の鐘、プメリンの音に耳を傾け、引き続いてテレビで流れる「美しき青きドナウ」の演奏とバレエを鑑賞しながら、新年を迎えます。
みなさんもどうぞ、それぞれにすてきな新年を!
2007年12月29日(土)仕事納め
今日、やっと今年の仕事納めができました!風邪が治ってから今日まで3週間、仕事、合唱、パーティの連続で、息抜きをする暇がなく、大分疲れがたまって来ていたので、本当にホッとしました。明日と大晦日は、今までまともにできなかった掃除をして、個人的な用事を片付けて、それから家で少しのんびりして、ゆったり年越しを迎えようと思います。
2007年12月26日(火)持ち寄り和風クリスマスパーティ
嬉しい和食でクリスマスパーティを楽しみました。
クリスマスパーティの献立を考えた時、いつも作るブッシュ・ド・ノエルのミートローフ版、「ヘンゼルとグレーテル」にも惹かれたけれど、一番のご馳走はやっぱり心から食べたいもの!というわけで、日本人ばかりのパーティですから、和食に決まり!友人が日本から送ってくれたコシヒカリで、11月にちらし寿司を作って、日本人4人のパーティを開いた時、もうおいしくて、みんな無口になって食べることに集中しちゃったほど喜んでくれたので、和食ならまだコシヒカリが残っているから、私はもう一度ちらし寿司、と決めました。他のみんなが持って来てくれたのは、和風ロール白菜、エスニック野菜サラダ、そしてイギリス風キャラメルソース入りケーキ(これはデザートだから、和風でなくても全くOK)。
ちらし寿司の飾り模様は、今回は雰囲気を合わせてクリスマスベルにしました。写真の右側に立って見ると、海苔とサヤインゲンでベルの形になっているでしょう? ロール白菜もサラダもケーキもみんなおいしくて、お腹は幸せ一杯!おしゃべりがはずんで、心も幸せ一杯! たまに日本語ガンガンしゃべって、和食食べるのって、やっぱり魂に必要です。今度は餃子パーティかなあ?
さて、話に夢中になり過ぎて、お客様たちはナイトバスでご帰還というはめに。翌日仕事だったYさん、だいじょうぶだったかしら。
それにしてもコシヒカリってやっぱりすっごくおいしい! 今までまあまあと思って食べていたこちらのお米がどうもおいしくなくなってしまって、どうしよう、贅沢米病にかかっちゃったみたい。
2007年12月25日(月)真夜中のクリスマスミサ
真夜中のクリスマスミサ、歌って来ました! 23時少し過ぎにシュテファン大聖堂に着くと、正面の大きな入り口は、15,16列に並んだ人々が広場の向こう側までいっぱい! 私たち合唱団員は23時15分に正面右側にある入り口から、合唱隊席へ。大聖堂の最前部の説教壇の後ろは花で美しく飾られ、その中にわらの上で眠る幼子キリスト像が置かれています。合唱隊席は最前部祭壇の右脇。合唱隊席のすぐ手前、右側の壁に大きなパイプオルガン。
とてつもなく大きな聖堂で内部にたくさんの巨大な柱があるため、祭壇が直接見える席はわずかです。そのため多くの人たちは教会内のあちこちに設置されたテレビ画面を通して祭壇で行われる儀式を見ることになります。合唱隊席は祭壇のすぐ横なのに、間に巨大な柱があるため、やはりテレビ画面でミサの様子を見ました。
24日の23時半から30分はまだアドヴェントなので、クリスマスの歌を続けて、7〜8曲歌いました。25日の0時には、シュテファン大聖堂の鐘、プメリンが鳴り響き、全員でしばらく静かに耳を傾けました。
ここからがいよいよクリスマスミサの始まりです。パイプオルガンの演奏の中、司教様他、ミサを執り行う聖職者が入場し、着席。会衆とともに開会の歌。その後は歌、オルガン演奏、お説教、唱道者と会衆とのお祈りのやり取りなどが行われながらミサが進行します。合唱団だけで歌ったのは3曲のみ。後は全員で歌いました。祝福によってミサが終了した後は、聖堂内の明かりが消され、ろうそくの光だけの中で、全員で「聖夜」を歌う中、ミサを執り行った聖職者たちが退場、こうしてミサの全てが終わりました。
恐ろしく寒いということだったので、特別大防寒武装で行きました。上5枚、下5枚、ウェストあたりは10枚重ねという超ぶくぶくの厚着に、さらに8枚もカイロを貼り付け、さらに靴底用カイロも入れたという周到さ。そしたらまあ、なんと汗をかくほどの暑さ!で、ついに毛糸の帽子を取りました。聖堂内には多分1000人以上の人がいたはずですから、人熱暖房で、かえって普通の大教会より暖かかったのだと思われます。その上超防寒の着膨れプラスたくさんのカイロですもんね。ちょっとやり過ぎだったみたい。それでも1時15分頃から、やはり少し寒くなって来ました。そしたら、あれ? 2時までのつもりでいたのに、もう終わり?まだ1時半なのに。というわけで、それ以上寒くならずに済みました。
団員同士でクリスマスおめでとう!よい新年をね!と挨拶して、オペラ座前から出るナイトバスへと急ぎました。ウィーンでは一般の交通機関の運行が終わる1時くらいから始発が出るまで、30分おきに各路線のナイトバスが出ています。1時47分発に乗れたので、2時15分頃には帰宅できました。
で、10時頃まで眠りましたが、一日中どっと疲れていて、何もまともにできない状態。やっぱり本来こういう時間の過ごし方は人間の身体にはよくないってことね。初めての真夜中のミサは、残念ながら期待したほどの感動はありませんでした。私はキリスト教の中学高校に通いましたが、プロテスタントだったため、カトリックの儀式に馴染めないこともあったと思いますが、やはりせっかくのミサをその場にいながら、テレビ画面でしか見られなかったことが大きいのでは、と思います。それにミサの間、合唱団が歌ったのは1時間半のうちに短い曲を3曲ですから、そのために頑張って目を覚ましているほどのことはないのでは、と信者でない私は思ってしまいました。
やっぱり病院でクリスマスを過ごさなくてはならない人たちに、クリスマスを届ける方が私の気持ちに合ってるな、来年はまた病院に行くことにしよう、と思いました。私自身、今まで合計すると2年間くらい入院していた計算になるので、たまたまクリスマスに病院にいたことはないけれど、もしそうだったら、歌いに来てくれたらとっても嬉しかっただろうと思うのです。
もうずいぶん昔の話になりますが、南ドイツの小さな村、オーバーアマルガウで10年ごとに行われる有名なキリスト受難劇を見に行きたいので、と言って、病気療養中で日本の実家にいた私のところへドイツ語の勉強にいらした、近くの教会の牧師さんがいらっしゃいました。そして無事受難劇を観に行かれたのですが、その時おみやげにイスラエルから買って来て下さった木のブローチは、今でも大切に使っています。とても優しい、暖かい色の花が描かれているすてきなブローチです。
さて、その年のクリスマス、私は熱を出してしまい、クリスマス礼拝に行くことができませんでした。そうしたら、その晩のことです。夜、家の外でクリスマスの賛美歌を歌う声が聞こえます! 教会の聖歌隊の人たちが家々を巡ってクリスマスの歌を歌っていたのですが、わざわざ私の家の前で立ち止まり、私のために寒い外で数曲の賛美歌を歌ってくれたのでした。その時の嬉しさと言ったら!私を思い遣って下さったその気持ちが嬉しくて、ベッドの中で聞きながら、涙がぼろぼろこぼれました。もう何十年も前のことなのに、今でもその時の気持ちと共に決して忘れられない思い出です。
2007年12月24日(月)クリスマスイヴ
オーストリアの人たちは、クリスマスイヴをどんな風に過ごすのでしょうか? まずクリスマスプレゼントを持って来てくれるのはサンタさんではありません。え、じゃあ、誰?ですって? 幼子キリストなんです。まだ家々の窓が二重ガラスの窓ではなく、本当に二重の窓だった頃は、子どもたちは幼子キリストにプレゼントのお願いを書いて、二枚の窓の間に置きました。そうすると幼子キリストが取りに来て、クリスマスイヴにプレゼントを届けてくれるのです。う〜ん、今はどこに手紙を置くんでしょうね?
いよいよイヴがやって来ると、おとうさんとおかあさんはクリスマスツリーの飾り付けに取り掛かります。飾り付けをするのはイヴなのです。子どもたちはおじいちゃんやおばあちゃんに連れられて、市庁舎の催し物に参加したり、クリスマス市を見たり、お散歩をしたりして時間を過ごします。なぜって、子どもたちはクリスマスツリーがきれいに飾り付けられ、幼子キリストがプレゼントを持って来て、ツリーの下に置いてくれるまで、居間に入ってはいけないからです。
さて子どもたちがワクワクしながら家に戻って来て、落ち着かない気持ちで待っていると、居間の中からチリンチリン!というベルの音! 居間に入っていいよ、という合図です。子どもたちが駆け込むようにして、居間に入ると・・・。
電気を消した居間の大きなクリスマスツリーには、たくさんの本物のろうそくの火がゆらめき、輝いて、何て美しいこと!ツリーの下にはプレゼントが並んでいます。これは大人でも毎年感動する美しさですから、子供の時に見るこの素晴らしい光景は一生、すてきな思い出として心に残るようです。さて、みんなでクリスマスの歌を幾つか歌って、いよいよプレゼントをもらいます。「ついさっき、幼子キリストが来て、置いていったんだよ」とおとうさん(あるいはおかあさん)。「はい、これは○○ちゃんに、こっちは○○ちゃんに!」。子どもたちは、「キリストちゃん、ありがとう!」と言って、はやる心でプレゼントを開けるのです。大人たちも自分宛のプレゼントを、「キリストちゃん、ありがとう!」と言いながら開けます。ひとしきり感動的な嬉しさを味わったら、いよいよ晩御飯です。まだイヴですから、質素な食事をして、それから教会のミサや礼拝に行きます。クリスマスとイースターだけ教会に行くという人がかなりいるそうです。もちろん夕方のミサではなく、真夜中のクリスマスミサに行く人もいます。25日の日中にもクリスマスミサ(礼拝)が行われます。
お店は24日はお昼過ぎで閉店。飲食店もイヴは全て閉まっています。お店で働く人たちだって、やっぱり家でクリスマスイヴをお祝いしたいでしょう?
そして25日はいよいよクリスマス。25日と26日の祝日は、クリスマスのご馳走を味わいます。鯉、七面鳥、ローストチキンなど。24日は地方によって、もうご馳走を食べるところと、厳密にはまだアドヴェントですから、質素なものを食べる、というところがあるようです。24日は家族で、25,26日は友人・知人・親戚たちと祝うというのが、大体の傾向です。そうそう、クリスマス前には大掃除をします。ちょうど気持ちよくお正月を迎えるために、日本で暮に大掃除をするのと同じですね。クリスマス前には各家庭でたくさんのクッキーやレープクーヘンを焼いて、クリスマスに備えます。
2007年12月23日(日)国際アドヴェント合唱祭
国際アドヴェント合唱祭。今年は当日の一番手でした。
今日はアドヴェント(キリスト待降祭)最後の日曜日。アドヴェントの間、毎週金・土・日の午後3時半から7時半まで、各合唱団の持ち時間30分で、たくさんの合唱団が参加しました。場所はウィーン市庁舎の祝祭ホール。舞踏会も開かれる大きく、美しいホールです。アルペン風のクリスマスの歌、クラシックで有名なクリスマスの歌、最後にはアメリカの人気クリスマスソング、「ウィンター・ワンダーランド」と「赤いお鼻のとなかいさん」を歌いました。大きなホールはクリスマスの雰囲気を楽しもうというお客さんたちでいっぱい!同じ階では子どもの人形劇も演じられていました。入場は無料。ウィーン市は市民にアドヴェントを味わってもらうため色々努力しているわけです。
終わった後、二人の団員と「ホットワイン」を飲んで行こうよ!と、一緒に最後に近づいたクリスマス市へ。階段を下りていくと、市庁舎の一階はカフェができて賑わっているし、大ホールでは子どもたちが専門家たちと一緒にクリスマスプレゼントを手作りするワークショップもありました。手作りクッキーも売っていました。これらの催しはみな明日まで。外に出ると、マイナス2℃くらいなので空気が肌を刺すような感じですが、まあ、たくさんの人ですごい賑わい!クリスマス市でホットワインを飲んで身体を温めるのも、クリスマス時期の風物詩。みんな色々な仕方でクリスマスの雰囲気を楽しんでいました。
2007年12月22日(土)
皆さま、今年もまた一年、ありがとうございました。
どうぞ楽しいクリスマスをお迎え下さいね!
ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市で
2007年12月19日(水)やっと納入!
今日いっぱいかかると思っていたら、運良く昨日の夜遅く翻訳を納めることができました!ああ、よかった!家から一歩も出ず、とにかくパソコンにかじりつきっぱなしでした。今回は締め切りまでの余裕がないのにコンサートなどの行事が幾つもあったため、そのプレッシャーと集中した仕事の連続で、ああ、疲れた! ああ、ホッとした〜ぁ! 後は印刷原版の校正だけ。仕事の間書けなかった更新日誌を、今、少し遡って書き足し、また写真を入れましたので、12月12日の分から、どうぞもう一度ご覧下さいね。
2007年12月16日(水)教会コンサート
今日は家から市電で10分ほどの大きな教会でのアドヴェントコンサート。毎年の教会の行事で、コンサートの後はホールでクリスマス市が開かれるということでした。さて、教会の中は寒いので、着られるだけ着て、さらに背中にカイロを貼り付けていったのに、寒さの中にジッと立っているわけですから、ますます寒くなって鼻水は出てきちゃうし、でもティッシュペーパーをポケットに入れてこなかったので洟はかめないしで、苦労しました。じっと立っているというのは相当辛いものですが、歌の間に、長い朗読が3回も入ったので、結局1時間半近く立ちっぱなし!足がしびれたようになりました。でも満員のお客様たちはとても喜んで聞いてくれたので、それが救い。
その後の合唱団のクリスマスパーティは、翻訳の締め切りが迫っているので、交換するささやかなプレゼントを参加する人に託して、残念ながら家へと急ぎました。シュテファン寺院で歌う時は、防寒作戦をもっと完璧にしないとと思ったことでした。で、家に帰ったら、ものすごく疲れていて、とても仕事ができる状態ではなかったので、結局この日は何もせずに早寝してしまいました。もし仕事がなくても、クリスマスパーティも無理な状態でした。寒さの中で長い間立ち続けたことで体力を消耗してしまったのでしょうね、きっと。こんなにきついことだなんて思ってもいなかった!
2007年12月14日(金)三度目の雪!
ふっと窓の外を見たら、何と雪が降っています! 2週間ほど最高気温7〜10℃という暖かさが続いた後、ここ数日少し気温が下がって来たなと思っていたところでした。これだとひょっとしてホワイトクリスマスが味わえるでしょうか?ただ今午後二時、気温は0℃です。
私はと言えば、クリスマス前に印刷に出したいという仕事を受けて、ただ今ガンガン翻訳中。19日までに仕上げなくてはならないのにかなりの量なので、16日のアドヴェントコンサートあとの合唱団のクリスマスパーティは残念だけど諦めます。
2007年12月13日(木)小学校のクリスマス
3bのクラスの子たちが全員で劇を演じました。
11月半ばに日本では小学校の先生だった友人のアシスタントとして、19区の小学校3年生のクラスに「七五三」行事の紹介に行きました。本物の3歳用の着物や帯、ぞうりも見てもらいました。その御礼に子どもたちが、クリスマスに劇をやるから見に来て!と言って、招待してくれたのです。イエス様が生れるための場所を探しに行った天使たちが、行く先々で色々な国の人たちと仲良くなるというお話。子どもたちは楽器を演奏したり、歌を歌ったり、大活躍。最後に一人一人が舞台の真ん中に置いた椅子の上に立って、お客様の大きな拍手を浴びました。子どもたちの嬉しそうだったこと!
廊下には子どもたちがみんなで焼いたクッキーも売っていて、売り上げはアフリカの水道もない地域で暮らしている人たちを支援するために寄付するということでした。みんなでクッキーを焼くこと、みんなの力を困っている人たちの支援のために使うこと。そして一緒に一つの劇を作り上げること。子どもたちがその中で学んで来たことは、ただただ勉強して、ドリルをこなし、成績を上げるために塾
に行く生活では、絶対に学べないことだろうな、と思いました。
2007年12月12日(水)アドヴェントコンサート
クリスマス祝いで歌う
今日は風邪の後、私にとっては初めてのアドヴェントコンサートがありました。「民衆芸術」という団体のクリスマスのお祝いで歌いました。1部の終わりでクリスマスの歌を、第2部では「エイェン・ア・マジャール」「ウィーンの森の物語」、「雷鳴と稲妻」それからオペレッタからの曲を数曲、ソリストとともに歌いました。場所は舞台のある大きな大衆レストラン。食事を楽しみつつ、歌や朗読を楽しみつつ、ワインやビールを楽しみつつ、催しは進んで行きました。食と音楽ですものね、これは楽しい! 私の友人・知人たちも7人も来てくれました。嬉しかった!みんな、どうもありがとう!「民衆芸術」の会員たちが手作りのクッキーを一人一人にプレゼントしてくれました。お人形の形をした可愛いクッキーです。これも嬉しかった!しかもとてもおいしかったし!
2007年12月7日(金)風邪で寝込んでいました!
皆さま、すっかりご無沙汰してしまってごめんなさい。忙しくて更新日誌を書けないでいるうちに、先週の金曜日、喉の痛みと咳が襲って来て、ついに風邪を引いてしまい、翌日、12月1日のシェーンブルン宮殿前クリスマス市でのアドヴェントコンサートには残念ながら参加できませんでした。その日には熱も出てきて、ベッド行き。結局一昨日まで5日間、寝ている羽目となりました。ウィーンはここ10日間ほど急に暖かくなり、最高気温9〜10℃というような日が続いていて、突然風邪が大流行しています。まあ、こんなこと人とお揃いになる必要はないのですが、つい流行を追ってしまった(?)ことになりました。
そんなわけで今までメール、手紙その他を下さった方々には、すっかり失礼をしてしまっています。皆、無事に着いています。どうもありがとうございます!お返事が遅れてしまいますが、どうかもう少しお待ち下さいますようお願い致します。
2007年11月21日(水)イラク大使館の催しに招待されました!
イラク大使(左)と古楽器ウードの演奏者
偶然からイラク大使館の催しにご招待頂きました!サダムに殺害されたイラク族長の娘『サフィア』を翻訳したご縁です。共訳者の福田和代さんは、ジャーナリストなのですが、たまたま取材で、今度任期を終えて日本へ帰国される日本大使のお別れパーティの場で、偶然イラク大使ご夫妻と話したのだそうです。そこで、『サフィア』の話をしたら、現国会議員であるサフィアご本人を「おお、知っています!」と言うことで、「じゃあ、今度大使館でパーティがありますから、ぜひいらっしゃい!」と招待して下さったんですって。
私は大使ご夫妻にお目にかかるのは、パーティ当日が初めて。大使夫人に濃いピンクの縁取りのついた白いバラの花束を持って行ったら、とても喜んでくださって両頬にキスして下さったの!とても気さくな方でした。
この日はクルド人の画家の展覧会のオープニングと、古楽器ウード(柄の短いリュート)の演奏会でした。大使館とイラクナという在墺イラク人と新生イラクを応援しようというオーストリア人の交流組織の主催でした。さて、この古楽器がとてもいい音!ピックを使って弾くのですが、ギターに似ているけれど、どこか遥かな懐かしい音がしました。演奏者による自作曲も古い音階に従って作曲しているのに、全然古い感じはしなくて、とてもすてき!この古楽器がヨーロッパに渡り、鍵盤楽器の先祖となったのだそうです。ウードの裏側は下に行くほど膨れたお腹みたいになっていて、明暗の木を交互に組み合わせてあり、とても美しいものです。写真をお見せできないのが残念。琵琶にそっくりです!考えたら、きっと西アジアから、鍵盤楽器が生れたヨーロッパとは反対の東の方に伝わって、琵琶になったのでしょうね! そう思うと何だか嬉しくなりました。
2007年11月18日(日)『メリー・ウィドウ』
昨日、友人と今シーズン初めてのオペレッタを聞きに行って来ました。出し物は『メリー・ウィドウ』。フォルクスオーパーです。桟敷の立見席券を1週間ほど前に買っておいたのです。19:00開演のところ、18:00に行って並んだら、この前の『椿姫』の時と同じく、立見席真ん中の1列目が取れました。ここだと2列目が少し高く階段状になっているので、そこに腰掛けてしまえば、まあ、お尻はちょっと痛いけれど、座ってもすごくよく舞台が見えるのです。
『メリー・ウィドウ』の公演は今シーズン初めてでしたが、運のよいことに桟敷席は半分くらいしか埋まっていなかったので、立見席から3列くらい下の座席に座れました!ここでは、開演時に席がまだ空いていた場合は、立見席券の人も座ってよいことになっているのです。というより、見て見ぬ振りをしてくれているのかも知れませんが。
『メリー・ウィドウ』の舞台はパリ。ポンテヴェドロ王国大使館での大パーティ。ここに億万長者の未亡人、ハンナがやって来ます。大使館付き武官のダニロ伯爵はハンナの元恋人。身分違いの恋と意地の張り合いで、恋は実らず、ハンナは億万長者と結婚、今、未亡人となりました。思いがけない再会に、密かに喜ぶ二人。大使は、ハンナが群がるパリ男たちの誰かと結婚して、遺産が外国に流れてしまわないように、ダニロに彼女をパリの男たちから守るように命令します。
ハンナとダニロはお互いが今も愛し合っていることを確信しますが、ダニロは財産ゆえに結婚を申し込んだと思われたくないし、意地を張り合ってなかなか愛を打ち明けることができません。そこに大使および大使館夫人たちの浮気が絡んで、誤解やすれ違いの連続。国からの電報で、もしハンナが外国人と結婚して莫大な遺産が失われると、国は破滅の危機に陥ると知った大使は、妻の浮気を知ったのを機会に、妻に離婚を言い渡し、ハンナに結婚の申し込みをします。ところがハンナは、再婚すると財産は私のものではなくなると遺言に書いてある、と答えるので、大使はあっさり引き下がります。それを聞いたダニロは、「そうか、君は一文無しになるんだね!君を愛している!」とついに愛を告白。とうとう二人はしっかりと抱き合います。するとハンナは、遺言には続きがあって、再婚した場合は、夫に財産が移るのだ、と言います。これで愛は実り、国は救われ、大使夫人の浮気も真実がわかって、すべて解決、大団円となります。
ところでダニロ役のテノール歌手が、声も姿もすごくすてき! 見たとたん、今までこんなに燕尾服の似合う男性は見たことがない!と思いました。で、全く同じことを、いつだったかやはりフォルクスオーパーの公演で思ったことがあるので、これはきっと同じ人だ、と思い、さっそく帰宅してからインターネットで調べたら、モルテン・フランク・ラルセンという人です。北欧系の人でしょうか?そう言えばこの名前、聞いたことがあります。この名前を覚えておいて、これから彼が出る時は、聞きに来ようね!と一緒に行った友人と話しました。とにかくただ見ているだけで、幸せいっぱいになっちゃうようなすてきな人でした!
ハンナがパーティーを主催する第2幕の舞台は、後ろに森が続く彼女の家の庭園。色使いが、人々の衣装の色とデザインも含め、まるでモネの絵を見ているようで、とても美しいと思いました。ハンナの故国の民族衣装(東欧系の感じ)もきれいだったし、民俗舞踊も楽しめました。このオペレッタには、ダンスシーンがたくさんあって、見る人を楽しませるようにできているし、筋もなかなかよくできているし、「ヴィリアの歌」や「メリー・ウィドウ・ワルツ」など、美しい曲もたくさん出てきます。『こうもり』も何度聞いても飽きないすばらしいオペレッタですが、私は『メリー・ウィドウ』の方が、もっと好きかも。
とにかくこんな楽しいオペレッタを、1.5ユーロで、座れて、見ているだけで幸せになってしまうすてきなダニロを聞きながら楽しめたなんて、本当に至福の時間でした。そうそう、ハンナが第3幕で着た真っ赤なドレスは、もう少しデザインに品格を出して欲しかったと思いました。大使夫人役は、歌手なのに第3幕ではアクロバット・フレンチカンカンまで踊って大活躍。ハンナもとてもよかったのだけれど、ごく個人的な趣味で言わせてもらえば、私は大使夫人の声の方が好きだったなあ。でもハンナの方が華やかさはあったと言えるかも知れません。
ハンナとダニロがついに抱き合うシーンでは、聴衆は大喝采!指揮者、ダンサー、歌手たちもフレンチカンカンなどのダンスや有名な歌を、あちこちでアンコール演奏してくれて、大サービス。聴衆が心から公演を楽しんでいるのがわかりました。デジカメを持って行き忘れたのが何とも残念でした。今度は必ず持って行って、カーテンコールの様子をお届けしますね。
2007年11月17日(土)二度目の雪は大雪!
15日の午後から、ウィーンではこの冬2度目の雪が降り始めたと思ったら、今度は全然降り止まず、小降りながら16日の晩まで降り続きました。お陰で、今になってもサマータイヤで走っていたトラックが動けなくなったり、事故を起こしたりで大渋滞。交通が大混乱しました。
さっそく道路には除雪ブルドーザーが出動。近所ではあちこちで寒い中、人が無事に歩けるよう、雪かきをする音が聞こえました。窓の外側に貼り付けた寒暖計は0℃のまま、全然動きません。家の中でも加湿器の水がなくなるのが早くなり、寒さが本格的になったのがわかります。
で、今日は嬉しいことに、お日様輝く、すばらしいお天気!久しぶりの明るい空を見るだけで、心が嬉しくて飛び跳ねています。今、お昼の12時半の気温は3℃。積もった雪は20cmくらい。こうなったら、もう覚悟を決めて、寒さに備えないとね。
2007年11月14日(水)ガラディナー
1年がかりで準備して来たチャリティー「お料理帖プロジェクト」の最後を飾るガラディナーが、プラーター自然公園(プラーター遊園地の後ろに広がる緑地)内の、バロック様式パビリオン、ルストハウスで開かれました。ルストハウスは2階建ての丸い塔型の建物で、屋根の部分にはちいさな展望台がついています。1階はカフェ、2階はレストランで、とても優雅な雰囲気。歴史的建築物なのでエレベーターをつけることはできないため、塔を巡る螺旋階段を上って行きます。
午後7時半頃からお客様が着き始め、8時から1階でお客様に食前酒を召し上がって頂きながら、司会者のご挨拶、そしてコンサート第1部。狩りの歌、美しき青きドナウ、歌劇『乞食学生』のフィナーレなど。
その後お客様たちは係員に導かれて、2階のシャンデリア輝くダイニングルームへ。コースメニューは、下の5品で、5人のスター・コックさんがそれぞれ1品ずつを作ります。
オードブル: イタリア風サラダ
メインディッシュ1: ドナウ河のお魚料理
メインディッシュ2: こうもりの蒸し焼き(大丈夫、これは牛肉です)
メインディッシュ3: 鹿肉のお料理
デザート: ナッツ入り蒸しパン
合唱団員はお客様のお食事の間、1階でおしゃべりしながらただただ待ちました。私たちには、ザッハーホテルのゆでソーセージとパンが出ることになっていましたが、何とやっと来たのが10時半!すっごく長いソーセージが2本くっついています。さすがとてもおいしいソーセージでした。まあ、みんな超空腹だったので、よけいおいしかったんでしょうけれどね。
お食事を終えて降りて来たお客様たちを前に、午後11時を過ぎてやっと第2部の始まり。スターコックさんたちのレシピを集めたお料理帖に、それぞれのお料理に合わせた歌が入ったCD2枚つきの箱入りお料理ブックが、紹介されました。私たちは、トリッチトラッチポルカ、雷鳴と稲妻、歌劇『こうもり』のフィナーレなどを歌いました。司会者もユーモアたっぷりで上手だったし、もう随分遅かったのに、お客様たちは第2部もとても楽しんで聞いてくださったようでした。お料理ブックは1冊25ユーロですが、かなりの方が関心を持って下さり、2冊、3冊と買って下さった方もありました。
明日から、市庁舎前広場のクリスマス市(幼子キリスト市)が始まります。お料理ブックは、そこに立つ「闇に光を」(慈善事業団体)スタンドでも売られるそうです。たくさん買ってもらえますように!
後からの各方面からの反応によると、お客様たちには、お料理も、プラーターのルストハウスの歴史的な雰囲気も、そして私たちの歌も、ソリストたちも、発表したお料理ブックもみんな気に入って、楽しんで頂けたようでした。本当によかった!ガラディナーにはテレビ局、ラジオ局から取材が来ていましたが、明日の土曜日、午後7時からの番組「今日のウィーン」に少し登場するそうです。私は、明日のその時間はフォルクスオーパーにいるので、残念ながら見られないけれど、どうしてもどうだったか、誰かに聞かなくちゃ!
さ、あと半月すると、幾つものアドヴェントコンサートの始まりです。
2007年11月11日(日)ついに初雪!
雪が降り続ける中庭
天気予報、当たりました! 朝、窓を開けたら外は真っ白。雪はまだしんしんと降り続けていました。ついさっきやみましたが、今ちょうど聞いた天気予報によると明日も、雪あるいはみぞれが降ったり、止んだりのお天気のよう。13時の今の気温は3℃です。
2007年11月10日(土)オーストリア、ほぼ全国的に大雪!
ウィーンを除き、ほぼ全国的に大雪が降り、50〜100cm積もりました!明日はウィーンも雪になるかも?! 雪にならないとしたら雨で、どちらにしても寒い日になりそうです。
2007年11月9日(金)加湿器
暖房機に取り付けた加湿器
ここのところ最高気温10℃前後の日が続いている。しかも大西洋の嵐の影響で、一昨日くらいから雨は降るし、傘なんてさせないほどの風が吹くしで、ますます室内の暖かさが恋しい。さて今日は、こちらの加湿器をご紹介。窓の下の壁際に取り付けてある、暖房機に引っ掛けた白くて薄い箱がそうだ。プラスティック製で、中に蒸発を促すために白い不織布が入れてある。箱の下の部分の白い線の少し下まで水を入れる。すると不織布が常に水を吸って濡れた状態になるので、どんどん蒸発する。暖房機は中に通っている水をガスなどで温める方式。うちは集中暖房なので、熱源が何なのかはわからないけれど、とにかく電気も何も使わないこのシンプルな加湿器はなかなか役立ってくれる。
水がなくなると、すぐ喉がヘラヘラして来るし、急いで水を入れるだけで、室内の空気がスッと気持ちよくなったような気がする。一つに1リットル近く入ると思うのに、2日で全部蒸発してしまう。冬の必需品。
2007年11月4日(日)クリスマス市
ウィーンでは今週はさらに寒くなって最高気温が5〜6℃くらいの日が続くそう。平年よりずっと寒いらしい。お天気も毎日どんよりと曇り、典型的なウィーンの冬。今日は本当に久しぶりにお日様が輝いて明るかったので、それだけで気持ちも明るくなった。どんより曇って寒い典型的な冬のお天気のせいで、ウィーンで生まれ育った人でも、季節うつ病にかかる人がいるのだそう。毎朝毎朝、窓を開けるとどんよりした曇り空と寒さでは、誰でもだんだん気が滅入って来る。しかも真冬は湿った冷たい風が吹くので、体感温度はグッと下がり、辛い寒さ!
そこでウィーンっ子たちはこれからの長い冬をたくさんのイベントで楽しく過ごそうと試みる。もちろん劇場はシーズン真っ盛りだから、オペラ、コンサート、バレエ、演劇などに通う。クリスマスを待つ時期のアドヴェント(待降節)は、クリスマスの4週間前から始まるのが本当だけれど、クリスマス市は年々始まりが早くなって来た。有名な市庁舎前広場のクリスマス市(幼子キリスト市)は、今年は11月17日から始まると、昨日のニュースで言っていた。
クリスマス市は外なので寒いけれど、独特の雰囲気とイルミネーションの美しさで人々を惹きつける。ほんの少し粉雪が舞い落ちれば、夜のクリスマス市は幻想的な美しさだ。ふうふう言いながら飲むグリューワイン(ワインに薬草を入れて温めた飲み物)で身体を温めるのも楽しい。商店はもうアドヴェントとクリスマスの商品でいっぱいだ。
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