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2008年10月31日(金) 冬時間 そんなわけで、それまで準備していた書きかけの記事を完成させることもできず、アップできないままで寝込んでしまったので、しばらくご無沙汰してしまいました。 9月末の選挙では、初めて16歳から投票が許され、社民党、国民党は一応第1党、第2党の地位は守ったものの、共に大幅に票を失い、代わりに右翼の自由党、オーストリア未来同盟がグンと票を伸ばして、自由党は第3党に上がりました。今まで第3党だった緑の党は、第5党に落ちました。一体どんな連立政権になるのか、これからが見ものです。 2008年10月11日(土) ローマ博物館 発掘は今でも続けられており、従ってまだまだ新しい発見があり、所蔵物はとても多くてごく一部しか展示できないため、展示物も定期的に変え、また住居地区の野外博物館では、当時の富裕階級の家がついに修復・完成、10月26日のオーストリア独立記念日(正式名は「国民の祝日」。1955年、10年の占領の後、英米仏露占領軍の最後の兵士がオーストリアの地を去った日)には、実際に床暖房をするので、当時の富裕階級の生活が味わえるそうです。また当時の窯で実際に焼き物をする実験もしたり、新しい試みを色々しています。 そういう博物館側の努力が実って、来館者数も今年は昨年の2倍以上。やり方によっては、博物館てこんなに面白くなるんですね! 2008年10月06日(月) 健康食、続けます!
水曜日の晩、39℃近くまで上がり、翌日いったん下がったかのように見えたのですが、また金曜日の朝から上がって来て、夜中には39℃を少し超え、土曜日、やっと平熱に戻り、昨日ゆっくり寝て、どうにかまた元気になりました。
実は、10月4日、5日、つまり昨日、おとといの週末の2日間は、ミュージカルコンサートのための週末合宿に行く予定でした。初めての振り付け練習だった9月13日(土)も熱で行かれなかったこともあって、合宿にはぜひ行きたいとで楽しみにしていたのに、行かれなくなってしまって、本当にがっかり!それに一度週末合宿をすると、普通の練習の3週間分くらいをいっぺんにすることになるので、これから追いつくのが大変だけれど、でも時間はまだあるので、何とか追いつくつもりです。
ニンジンジュースを含めた食事を見直してみると、確かに熱の後の立ち上がりは早くなりました。今まではちゃんと回復するためには、熱が下がってから2日間、寝ている必要があったのに、1日でだいじょうぶになったのですから、これはもうとても大きな成果! ただし、よく考えてみたら、ニンジンジュース等を始めてから1週間目に熱が出ていたので、今回はその後3週間目に出たことになり、熱の期間はまだ延びてはいませんでした。ま、そんなに早く効果が出る方が不思議なので、当然と言えば当然。ただ、日本へ行く前までは、ほとんど熱が出ないところまで、こぎつけたのに、これだけしょっちゅう出るようになったので、4月から今までで、副腎皮質ホルモン剤の服用量は、もうとっくにそれまでの何年分もに達してしまっていますから、かなり危険。やはりちゃんと、なぜまた急に繰り返し熱が出るようになったのか、原因を探る必要があります。そこで、ホリスティック医学のお医者さんに行って見ようと思っています。 ここ10年ほどで、伝統中国医学(漢方医学)が大きく広がって来ました。オーストリアでも医師会から正式に認められ、アカデミーもできて、免状も得られるようになりました。大学でも講座が開かれています。また鍼灸、指圧、気功なども一般に知られるようになって来ました。その他、ホメオパシー(同種療法)、オステオパシーその他、医者側、患者側の双方から、西洋医学の治療法への反省、疑いが出て、いわゆる代替療法がかなりの勢いで広がって来ています。ただし今のところ混乱気味と言うのが実情ですが。ああ、よい先生に出会えますように! それから食事も、昔の体験と考え合わせて、少し修正しました。 で、プログラムには2曲、一度も歌っていない歌があったので、週末にCDを何度も聞いて曲を覚え、それからピアノでアルトのパートを弾いて、だいたいの感じを覚えて、本番ではもっのすごく小さな声で歌って、なんとかごまかしました。ただし私は目立ちたくなかったので、2列目に立ちたかったのに、「あなたは背が小さいんだから、一列目のリリアンの隣に立ちなさい!」という怖いお姉さん(年齢は私より若いけれど、在団年数と貫禄からすれば大姉御)の命令で一列目の端っこに立つことに。 というわけで、例の2曲は何とか無事にやりすごしましたが、もう随分歌っていなかったある曲に来て、1ページ目を歌い終わり、2ページ目を開けたら、みんなは全然違うところを歌ってるではありませんか! ええっ!どうして?! 楽譜の一部を家においてきちゃったんだろうか? それとも繰り返して歌ってるのかなとか、猛烈混乱しちゃって、舞台に立っている時にやってはいけないのはわかっていたにもかかわらず(しかも最前列ですからね!)、つい前のページを開けてしまい、また戻って見ているうちに見開きになっている2ページ目と3ページ目の 2008年9月20日(土)
お能
いわば能入門といった催しで、能とは何かとか、歴史とか、表現法とかを易しく、振りを入れながら話してくれて、それから実際に幾つかの作品のさわりだけを見せてくれる、というものでした。楽器の説明まであり、なかなか興味深いものでした。ただ、さわりだけでは作品の奥から伝わってくるものを鑑賞するというわけには行かなかったので、今度はちゃんと一つの作品を全部観たいと思いました。日本人がもっと来ているかと思ったけれど、ほんの数人で、あとは皆こちらの人でした。それだけ関心が高まっていると言うのは嬉しいことよね。
一つ余計なことを考えてしまいました。会場は、地下二階のそれほど大きくはない展示場に簡略化した能舞台(屋根なしで色は黒、4本の柱だけが白木)を作り、椅子を舞台正面、斜め、脇に並べたもの。ざっと数えてみると椅子の数はせいぜい150くらい。で、チケットは20ユーロ。満席でしたが、昨日と今日の2日間だけの公演なので、観客は延べ 300人。ということは総売上げで6000ユーロ。公演の出演者は7人だから、これでは飛行機代がどうにか出せるかどうかというくらいにしかなりません。美術館が持ち出し覚悟で招いてくれたのでしょうか。学術・芸術省など文化関係の公的機関の援助もあったのでしょうか。日本大使館も関わっているかも知れませんね。とにかく観客の私たちとしては、海外公演をこんなに安く鑑賞できて、ありがたいことでした。 私は正面の2列目に座ったのですが、1列目に美術館主のレオポルド・ファミリーと親戚、友人らしき人たちが座っていて、公演が始まる前に私の前の席にいたレオポルド氏がさっと立って、美術館が能の公演を主催すると言うのは、かなり変わっているけれど、やっと招くことができました、様式化された中で混沌とした感情を表現できるのが能の素晴らしいところです、と挨拶をしていました。ビジネスというより、どこか手作りという感じが漂っていました。 いつだったか能のウィーン公演があって、確か「隅田川」だったと思いますが、すごく感動したことがあります。こういう催し物だから多分、アン・デア・ウィーン劇場だったのではないかと思います。日本語とは言え、語っている言葉をちゃんと聞き取るのは難しいし、しかも古語だから、せりふや地謡のドイツ語訳が舞台の上に出ていたのはありがたいことでした。しかもその訳がとてもよくて、おお、こんなに美しいせりふなんだ、と思いながら鑑賞できたので、母親の子どもを思う情念、喜び、悲しみも、切々と伝わって来ました。ああ、また見たいな。 2008年9月15日(月)
1951年来の寒さで、ついに暖房入る! 2008年9月9日(水)
体力回復作戦 一体どうして?!こんな調子でまた熱が出たりしたら、仕事もできなくなっちゃう!と不安が増大。何とかして眠れるようにしないと、と体のリズムを変えるために、思い切って水曜日と木曜日の晩には、昔飲んでいたかなり強い睡眠薬を飲みました。確かに眠りがそれまでより深くなったおかげで、少し身体は楽になり、目の芯の痛さも和らいできました。胃は自然薬のおかげで、楽になりました。さらに1〜2時間の昼寝もして、大分身体が楽になってきました。でも口内炎は相変わらず痛くて、食べたり飲んだりすると、すごく沁みるので、食べるのもあまり気が進みません。 そこでフッと気がついたのが、ブラッドストーンの腕輪。休暇の最後の日に、鉱石・パワーストーンのお店を訪ねた時、血液の病気回復に役立つと言われているので、買ってその日からずっとはめていたのです。ただこの腕輪は大きな平たい器に入っていた他のたくさんのブラッドストーンの腕輪と一緒にかなり強い磁気を帯びていました。隣に強力な磁気を与えて、ものすごい勢いでくっつく石がおもちゃがわりに二つずつ組になって売られていたので、その影響を受けたのでしょうか。磁気を帯びていないのが欲しかったのですが、なかったので、まあ気にすることないか、と思って買ったのでした。山の新鮮な空気の中なのに、休暇の最後の晩は、なぜかほとんど眠れなかったのが不思議だったのですが、今思えば、初めて腕輪をはめて寝た日ではありませんか! で、試しに金曜日の夜は腕輪をはずして寝ました。睡眠薬は2日だけにして、その日はもう飲みませんでした。そうしたら・・・なんと、朝まで眠れたのです!翌朝は身体もずっと楽になっていました。でも、こんなことってある?! 磁気でこれほど体調が悪くなるということはあるのでしょうか? 「磁気、不眠」で検索してみると、磁気ネックレスなど磁気で不眠を解消、というのばかり。悪い磁気とよい磁気があるのでしょうか? ブラッドストーンの方を調べても、パワーを与えてくれるとしか書いてありません。私の波長ととにかく共振しない、波長が合わないということなんでしょうか? それとも単なる偶然の一致? とにかく本当の原因はわからないまま、腕輪ははめるのをやめました。 先週の体調の悪さが腕輪のせいだったとしても、とにかく日本から帰って来て以来、2〜3週間ごとに微熱が出ているのは確か。どうしたんだろうと心配になっているんだけれど、よく考えてみたら2003年にウィーンへ移ってきて以来、ちゃんとした保養休暇に一度も行っていないということに気づきました。そしてその間、2006年と2008年には日本へ一時帰国していて、日常生活よりずっと疲れて帰って来てるから、ちゃんとした保養に行くことが必要ということかも知れませんね。私みたいに日常生活と仕事を、健康状態とどうにかバランスを取りながら、綱渡りみたいな生活をしている総パワーの少ない人間には、こういう休みって、とても大切なのだと思います。 日本にいて、少しずつ少しずつ血液の状態が悪くなって行き、1997年にはついに主治医の先生に、「これ以上悪くなると輸血をしないと生きられなくなる。そして輸血をしだしたら、2年で終わりだからね」と言われて、何が何でも夏は日本脱出を決めたのだったけれど、夏に日本を脱出して過ごした3週間の山での保養からどんなにたくさんのエネルギーをもらったことかと、今にして思います。そのおかげで後のきつい日本の生活にもどうにか耐えられる、と思えたものね。 でも幾ら必要だからといって、現実には3週間の休暇に行くなんて、今の状況では、そうそうできるわけはありません。じゃあ、どうすればいいの? このまま熱が出続けたら本当に仕事もできなくなっちゃうじゃない、とかなり暗くなってしまいましたが、そうだ、調子が悪いのは体がサインを送ってるんだ、副腎皮質ホルモン剤で死にかけた時だって、食事を変えて生き返ったじゃない!と思い直し、これを機会に、もう一度食事を見直し、新しい方法を取り入れてみることにしました。 2008年9月3日(水) 秋、始まる では、この辺で少し楽しい話題。1日(月)、秋の合唱初練習に行って来ました。久しぶりに懐かしい顔に出会って、再びミュージカルナンバーの練習。7月末から8月初めの、合宿兼コンサート巡業は、指導者の弁によれば、うちの合唱団がこんなに歌えるなんて思わなかった!と言うほどの大成功だったそうで、参加した人たちも、とっても楽しそう&嬉しそうに、その時の写真を見せてくれました。今日も練習に行きます。
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