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2010年2月28日(日)フィギュアスケート 、芸術?スポーツ?(1)
   男子フィギュアでは、4回転を避けたライサチェクが4回転を飛んだプルシェンコを抜いて1位となり、女子では、3回転半を2回続けて飛んだ浅田真央が、
その後の回転の失敗や、構成の完成度が足りなかったことなどがあるとは言え、キム・ヨナに大きく引き離されて2位となりました。

   現在の採点法では、男子の4回転や女子の3回転半より、より易しい回転をコンビにして飛ぶ方が点が高くなるのだそうです。これでは超難度の技の評価が低過ぎる、また男子の3回転半と女子の3回転半では難度が全然違うのに、基礎点が同じなのもおかしい、採点制度を変えるべきだ、という記事を読みました。

   フィギュアスケートはまさにスポーツと芸術の高度な統合ですから、これは難しい問題ですね。伊藤みどりが女子で初めてトリプルアクセル(3回転半)を飛んで大きな話題になった頃から、それまで優雅な氷上のダンスだったフィギュアスケートは、力強いジャンプやスピードを重視するスポーツへと変わって行きました。サラエボ(1984年)、カルガリー(1988年)各冬季オリンピックで金メダルを獲得したカタリーナ・ヴィット(当時東ドイツ)が、「観客はゴム鞠が跳ねるのを見に来ているわけではない」と言って、芸術点重視から技術点重視に移りつつある傾向を批判したそうですが、私も芸術性が感じられない演技でも、難度の高いジャンプを重ねればそれだけで優勝してしまう当時の採点制度には、大いに疑問を持っていました。

 ここで今回のバンクーバー冬季オリンピックに戻ってみれば、私個人としては、超難度の技の得点が低過ぎるという気がしました。男子と女子の3回転半(トリプルアクセル)の基礎点が同じことに関しては、女子と男子は一緒に得点を競うわけではないのだから、女子と男子とで得点が違うことは問題にならないし、同じ技でも女子にとっての方が難度が高いというのは誰でも分かっていることですから、特に問題とは感じません。もし難度の高さに応じて女子の基礎点を高くするとしたら、どのくらい高くするのが妥当であるのかを決めるのにまた種々の問題が起きて来ることが予想されますから、むしろ今のままの方がすっきりしていてよいのではないかという気がしますが、皆さんはどうでしょうか。どちらにしても、フィギュアスケートが「スポーツと芸術の統合」というにふさわしい、どちらにも偏らない採点制度を確立して欲しいと思います。

2010年2月21日(日)日本人フィギュア男子、五輪初メダル!
   
高橋大輔がフィギュア男子シングルで、日本人男子初の銅メダルを獲得しましたね!本当に嬉しいことでした。私が冬季オリンピックの種目の中で、大好きなのはフィギュアスケートだけなのですが、オーストリアは、フィギュアにはほとんど参加もしないくらいですから、オーストリア放送局は、当然フィギュアスケートの中継なんてしてくれません。

   そこでユーロスポーツを観ているのですが、ここは放送することがあり過ぎて、最初予定していたフィギュアの録画中継は中止してしまったらしく、見られるのは生中継のみ。そうなると時差の関係で、フィギュアの放送は中欧時間だと、午前1時から6時くらいというひどい時間。でもどうしても観たかったので、朝4時半に起きて、男子のフリーを観戦しました。
   大きな大会があっても、いつもインターネットで写真を見るだけで、実際の演技を見たことはもう何年もなかったので、高橋くん、織田くんの素晴らしい演技と、日本人フィギュア男子の技術と表現力の成長ぶりに驚きました。小塚くんはギリギリで観られませんでしたが、彼は4回転を成功させましたね。
 
   今度は女子シングルに注目です。頑張って起きるつもりです。

2010年2月12日(金)オペラ座舞踏会
   
オーストリアでは、今、謝肉祭(カーニバル、ファッシング)の真っ最中です。各地で仮装行列や風刺や楽しい大騒ぎをする催しが開かれていますが、ウィーンのファッシングの祝い方は舞踏会が中心。昨日、2月11日には舞踏会中の舞踏会といわれる「オペラ座舞踏会」が開催されました。各国の王侯貴族、政界、財界の大物、有名俳優、歌手などが集まって、ダンスとともに大社交の宵を繰り広げます。庶民は話の種にというわけで、テレビで実況中継を楽しみます。
日本でもニュースで少し様子が見られるかも知れませんね。

 歌劇場の床から座席を取り除き、鉄枠を取り付け、木の床を乗せて平らな床を作ると、およそ1平方キロメートルの舞踏会場が出現。ここが一夜の夢の舞台となります。もうひとつの舞台はロージェ。ここは6〜7人が入る個室として整えられますが、何とロージェ1室のお値段は2万ユーロ! 1ユーロを150円とすると300万円ではありませんか! 一瞬自分の耳を疑いましたが、2000ユーロのわけはないですもんね。それにしても、ユーロが導入される前、シリングが通貨単位だった頃は、確か百数十万円だったような気がするのに、値上がりしましたねえ(もうすごく前のことだったのかもしれませんが)。もっとも大統領、首相、大臣などのロージェ代金は、税金から支払われるわけだから、国民が買ってあげているわけですが。

 いつだったかまだウィーン大で勉強していた頃、世界的なニュースになった大災害があって、ウィーンではそんな時に派手な舞踏会をやるなんてもってのほかだ、中止して共感を示すべきだと言う意見が出たことがありました。その話が講義で話題になった時、我らがK教授の言ったことには、「もしここでオペラ座舞踏会を中止したとしても、経済は動かないし、誰の利益にもならない。ましてや災害地の人々は何の利益も受けない。それよりもお金のある人にはどんどん使ってもらって、一部を災害地に寄付する方がずっと実際の役に立つ」。一見冷たそうに見えますが、お金持ちは、『金は天下の回り物』になるよう、お金を使うべし、という考え方は確かにしっかりした理由がある、と思ったことでした。そういえば、ヨーロッパには「ノブレス・オブリージュ」という考え方が浸透していますね。

  今回のオペラ座舞踏会では、今までにないことでしたが、ハイチへの義援金を集めました。お金持ちの皆さんのことですから、気持ちよくたくさんの寄付をしてくれたそうです。寄付集めの仕事をおおせつかったのは、デビュタントの一人であった、リヒャルト・シュトラウスのやしゃご(ひまごの子)とパートナー、そしてやはりデビュタントの一人、次期ブルク劇場支配人の息子と彼のパートナーでした。またデビュタントの中には、ヨハン・シュトラウスのやしゃごもいたのだそうで、何だか急に歴史とのつながりを感じました。

 オープニング・セレモニーは夜10時開始、約140組のデビュタントが出演します。年齢は17,8歳から20歳位で、多くの若い人たちにとってオペラ座舞踏会のオープニングに出るのは夢であるようです。左回りのワルツが上手に踊れることが条件です。女性は白のロングドレス、男性は燕尾服。女性にはスワロフスキー制作のティアラがプレゼントされ、それをつけ、美しく、可愛らしい小さなブーケを持って、パートナーとともに登場します。さて140組が登場して、会場の左右に分かれて立つと、照明が暗くなり、ピアニストが座ったグランドピアノが登場して来ました。

 最初の曲はショパンの「子犬のワルツ」。オペラ座バレエ学校児童部の子どもたちが走り出て来て、生き生きとしたバレエを披露してくれました。今年のオペラ座舞踏会のテーマカラーは赤なので、衣装は男の子は赤、女の子は白。白い衣装の背中は赤いリボンを何重ものバツ印にして締めてあってとても素敵なデザインだと思いました。次の同じくショパンのスケルツォは大人のバレエ団員。衣装はやはり男性は赤。とてもシンプルです。主役のカップルの女性の衣装は真っ白。その他の女性の衣装は真っ赤。バレエはとても美しく、楽しめました。

 次は12人の歌手たちが次々と登場して有名オペラからのさわりを歌いました。もちろん素晴らしい歌手たちばかりなんだけれど、歌が余りにも細切れになっているので、ちゃんと楽しむことができなかったのが、残念でした。で、最後に登場したのが国立歌劇場総監督のイアン・ホーレンダー。2009/2010のシーズンで総監督を引退するので、お別れのご挨拶。最後は出演した歌手たちと一緒に歌劇「こうもり」のフィナーレ、「シャンパンをたたえる歌」の替え歌を歌って、お別れの歌とし、拍手喝采を浴びました。

2010年2月8日(月)新漢方薬
   
漢方のケヴィン先生のところへ行って来ました。嬉しいことに新しい漢方薬(と言うのは実は昨年の4月の処方ですが)は、私の今の状態に合っているようで元気です。診察、問診の結果、血液造成よりも熱の繰り返しを減らすための解毒成分が中心の今の処方を、しばらく続けること、さらに副腎皮質ホルモン剤で交感神経が興奮しっぱなしになるため、床についてから何時間も眠れないという入眠障害を改善するための成分を足すなどして少し変えた処方箋を出してもらうことになりました。

 元気になったので、少し運動もして行かないとね。座っているばかりでは疲れなくて、眠れないのも当然ですものね。5階の住まいまでエレベーターを使わずに上る、血行をよくするための足踏み運動、少し筋力をつけるためのダンベル運動と今までやって来たものの他に、気功も始めてみようと思っています。あと久しぶりにボーリングにも行きたくなって来ました。気分転換もしなくちゃね。

2010年2月6日(土)日本室内管弦楽団

      

   
昨晩は本当に久しぶりにコンサートに行って来ました。日本室内管弦楽団というのは、ウィーン在住の日本人音楽家、音楽学生が中心となって2008年に結成されたオーケストラ。仲間同士での演奏の機会を通して奏者としての技能を磨くと同時に、より多くの人々にオーケストラ音楽に親しんでもらうという目的のもとに活動を開始しました。今回は第4回演奏会。およそ百年前に建てられた第3区区役所の美しい祝祭ホールで行われました。

   昨日は「弦楽オーケストラの夕べ2」ということで、奏者は全部で17人。日本人2人を交えたウィーン交響楽団のメンバーが3人、ゲスト出演していました。

 プログラムは、
  レスピーギ 「リュートのための古風な舞曲とアリアより第3組曲」  
  芥川也寸志 「弦楽のための3楽章(トリプティーク)」、  
  チャイコフスキー 「弦楽セレナーデ 作品48」で、


私自身は初めての曲ばかりでしたが、レスピーギは古風なメロディーがとてもきれいだったし、芥川作品はエネルギッシュだったし、チャイコフスキーは第2楽章がきれいだったし、どれもそれぞれ面白い作品でしたが、特に私の好きな作品とは言えない感じ。もっとも何度も聞けばまた印象も変わってくるのだと思いますが。

  でも演奏はかなり質の高いものでした。
指揮者は2009年ブザンソン国際指揮コンクールでファイナリストとなった瀬山智博さん。今夏にはオーストリアのブレゲンツ音楽祭でアシスタントコンダクターを務めることが決まっているそうです。
ウィーン交響楽団で二人の(もっといるかも知れませんが)日本人が活躍しているのはとても嬉しく、頼もしいことだし、瀬山さんは今、指揮者としてのキャリアの出発点に立っています。演奏を聴きながら、これからの活躍と幸運を祈りました。
演奏の後は大拍手で、彼は三度も舞台に呼び出されました。にっこりと微笑んで、かつ優雅にお辞儀する練習をしたら、もっと好感持たれると思うな。

2010年1月30日(土)漢方の不思議 

                 

  
このところ、最高気温−3℃から−5℃くらいで、1日か2日置いては雪が降るという寒い日々を繰り返していましたが、昨日あたりから暖かくなって来てプラスの気温になりました。それでも風が吹いたりすれば、体感温度はグッと低くなるし、やっぱりぬくぬくとした部屋の中で過ごす方がいいな。

 さて、漢方の方はその後どうなったかというと、21日に身体を温める成分を足したら、何とそれまでは微熱だったのに、今度は高熱が出るようになってしまったのでびっくり! 温める成分を足したのがいけないのだろうか? で、足湯をすると翌日のお昼頃には平熱近くまで下がり、2〜3時間は落ち着いているけれど、また少しずつ上がり始め、夜になると38,5℃〜39℃くらいまで上がる、の繰り返し。それを4日繰り返したところで、でも必ず翌日には足湯だけで平熱近くまで下がるのだから、今回は副腎皮質ホルモン剤を飲まなくてもいけるかも知れない、生姜温湿布に変えてみよう、と実行に移したら、夜には39,3℃まで上がり、翌日の午後になってもせいぜい37℃くらいまでしか下がらない。私は平熱が低くて、35,5℃くらいなので、それでも平熱より1,5℃も高いわけで、かなりつらい。しかもすぐまた上がり始めた。

  ただし、1週間ぶりの生姜温湿布だったからか、毒素の排出ぶりはすごかった。お鍋の中の生姜湯は濃い茶色になり、いったいどんな毒素が出て来たのか、匂いもものすごい! ということは身体によいことは確か。そこでもう一日、生姜温湿布を続けてみたら、またまたすごい毒素排出ぶり!でもまた夜、39℃まで上がった。

  これではどうも副腎皮質ホルモン剤なしで下げるのは無理そう、と悟り、翌日朝38℃まで下がったところで、ついに副腎皮質ホルモン剤を飲んだ。眠って汗かいて、7時間後には、34,6℃(これは下り過ぎです)!

  昨年12月前半、元気だった時と全く同じ処方なのに、今度は一日中寒気とともに微熱が出たり引っ込んだり。身体を温める成分を入れたら、高熱が出てしまうし、もちろんこちらの身体の状態(病相とでも言うのだろうか?)も当時と違うだろうけれど、これほど反応が違うというのは驚きだ。

  実は副腎皮質ホルモン剤を飲む前日、ケヴィン先生に状況報告をメールで送っていました。といっても、私自身はとても書けるような状態ではなかったので、友人に書いてもらったのですけれど。翌日、熱が下がってホッとして、夜、メイルボックスを開けたら、ケヴィン先生からの返信が来ていて、「添付してもっと前の、あなたが元気だった時の処方箋を送ります。これを薬局で作ってもらって、すぐこちらの薬に変えて下さい。副腎皮質ホルモン剤が入ると、色々変わってしまうので、正しい処方をするのがとても難しくなります(なにしろ副腎皮質ホルモン剤は、せっかくの漢方治療の成果をぶち壊すのが得意なのですからね)。もしこちらの薬に変えても熱が下がらないようなら、次の病院に連絡してください(病院名2つ)。・・・」とありました。

 「もっと前の元気だった時」っていつのことだろう、と思って、今までの処方箋と比べながら調べてみたら、昨年4月末に入院する前、それまでの試行錯誤がようやく功を奏して、治療が軌道に乗って来た頃の処方箋でした。今度はうまく行きますように! 私も副腎皮質ホルモン剤の毒を消すべく、生姜温湿布、食物、飲み物など、色々努力します。

    とにかく熱の出方というか、経過や症状が今までと全然違って来たので、
新しい段階への過渡期らしいことがわかります。ケヴィン先生も頑張ってくれているし、徐々によくなっていくはず。

  というわけで、年が明けてからというもの、2回ケヴィン先生のところに車で出掛けた時を除けば、一歩も家から出られなかった生活は、やっと終わりを告げます。ああ、嬉し〜い! みなさま、応援・ご心配、本当にありがとうございました。
   

  
          

2010年1月21日(木) また雪
   
3日ほど前に雪が降ったと思ったら、今日は朝から雪。午後3時頃まで降り続きましたが、気温は−4℃。この冬一番の寒さでした。

   体調は年が明けてから、微熱がしょっちゅう出るし、寒気もして何もまともなことができないので、そのことをケヴィン先生にメールで書き送ったら、どうも処方が強過ぎたらしいということで、昨年の11月末から3週間元気だった時の処方箋をもう一度出してもらいました。そうしたら体温の上下幅は小さくなったけれど、相変わらず同じ症状なので、今日、少しだけ診療所にお邪魔して話をし、脈診をしてもらいました。今の処方は造血成分が主なのだけれど、これはどちらかというと身体を冷やすので、温めてバランスを取る薬草を足すことにしましょう、ということになりました。さっき追加の身体を温める成分を足して、いつもの漢方を飲みました。さて、これで体調がどう変化するか。うまく落ち着いてくれるといいんだけれど。 

2010年1月8日(金)雪、雪、雪 

   
今朝の中庭はこの通り

    
昨日は雪が15cmくらい積もる中、今年初めて漢方のケヴィン先生の診察に行きました。行く道、帰る道、綿帽子を被った木々と家々の屋根に積もった雪、通りの端に積もった雪の光景がきれいだなあ、と楽しんで来たのですが、今朝起きたら夜中中、雪が降ったらしく、中庭は写真のようになっていました。それから雪が降り出し、ついさっきまで、ほとんど一日中、ずっと雪が降り続けていました。それもかなり横殴りで、今日、外に出掛けた友人は、帰り道、救急のヘリコプターが飛んでいくのを1機、そして救急車が走っていくのを3台見たと言っていました。一日中、除雪車と、管理人さんが歩道をせっせと雪かきする音が聞こえていました。雪の中で一日中働く人たち、本当にご苦労様です。

  そうそうニュースでは、ウィーンでは道が凍りつかないように撒く塩が1万トン用意してあるから大丈夫、と言っていました。

2010年1月5日(火)初歯医者さん

                
      

   
午前中は新年の初歯医者さん。クリスマスのご馳走を食べていた時に、右上奥歯から5m㎥位の小さな小さなかけらが取れてしまったのです。でも治療はすぐ終わったし、全然痛くなかったので、あ〜、ホッとしました!だって歯医者さん行くの好きな人っていないですもんね。その後は、もうパンも牛乳もなくなってしまったのでスーパーへ買い物へ。

 さてその後は新年初の改造工事。まず昨日、三重塗り位になっている古いペンキをこそげ取る作業をしてもらって、下準備。今日はお昼過ぎから、浴室の壁を塗りなおしてもらい、バスタブの上周りにシャワー用のカーテンを取り付けてもらいました。日本人はシャワーの温度も高いのに普通の塗料だったので、反対側の壁の塗料の一部が湯気で半分剥がれて、垂れ下がって来てしまい、これはそろそろ何とかしないとと思っていたのです。今度はもちろん浴室用塗料を使い、壁はレモン色っぽいクリーム色、シャワーカーテンはブルー系の横縞にしましたが、白いタイルに映えて、とってもすっきりした仕上がりになりました。シャワーカーテンは洗濯機で洗えるので、手入れも簡単です。今まではどうしても床が濡れてしまい、毎回浴室の拭き掃除になっていましたが、これからはシャワーが楽しみ!

ところで年が明けてから気温がじわじわ下がって来ています。今日の最高気温は−1℃でしたが、昨日は−3℃ありました。もっとずっと下がるという予報ですが、さて明日は何度になるかしら? もう下がらなくてもいいんだけどな。

2010年1月3日(日) ウィーンのお正月
   
日本では新年のお祝いは一年中で最大の祭事です。名目だけで実際に休暇を取るのが非常に困難なことで世界にその名を知られる日本企業でさえ、5〜7日の休みを取るのですから、お正月がどれほど大きな意味を持つかも分かろうと言うもの。

 でもヨーロッパのキリスト教国では、お正月そのものを祝うと言う発想はありません。元旦だけは祝日になっていますが、普通は2日から仕事も始まります。今年は元旦が金曜日なので、土・日の休みの後、1月4日が仕事始めになります。ここでお祝いするのは、新年ではなくて、年越しです。ですから大晦日は、シュテファン広場や市庁舎前広場で年越しを祝った後、さらにレストランに行ったり、あるいは家庭で友人たちとともに大晦日のパーティーを開いて、大いに食べ、飲み、陽気に騒いで、祝います。午前2時、3時、4時まで祝えば、もちろん元旦は寝正月。特にお正月料理というものもありません。新年に魚の形をしたお菓子を食べる習慣はありますが。だから最初、ウィーンに来た時、日本人の私としてはお正月があまりにもあっけなくて、びっくり。こちらでは新年もアドヴェントから続くクリスマスの一連行事のプロセスとして捉えられ、1月6日の「三聖王の日」をもって、終わります。

 さらに新年には四葉のクローバー、豚、煙突掃除人、蹄鉄、きのこなど、新年の福を呼ぶとされるものをかたどったチョコレートやプラスティックの人形を「よい新年でありますように!」または「新年おめでとう!」と言って、贈り合います。   

 そうそう、暮れの更新日誌に、クリスマスツリーは集団住宅では燃やすことが難しいので、ごみとして出してしまうと書きましたが、ちょっと違っていましたので、お詫びして訂正致します。集団住宅では燃やしにくいので、大分前からウィーン市が、クリスマスツリーの収集場所を設けており、そこへ持って行きます。集められたツリーは、一部はごみ焼却所で熱と成り、一部は細かく断裁されて、紙に再生されるそうです。ですから小さなツリーなら、マンションのゴミ箱に入れる人もいるわけですけれどね。                  

2010年1月1日(金)

   明けましておめでとうございます

    
   
ホテル・シェーンブルン(元皇帝迎賓館)での舞踏会。オープニング

 新年が皆さまにとって、健康と幸せに満ちた素晴らしい年と
  なりますよう!
 

              2010年元旦

 ウィーンの新年は気温7℃の穏やかな暖かさの中、輝かしいお日様の笑顔とともに明けました。何だか今年がよい年になることの暗示のようで、晴れやかな気持ちになりました。ニューイヤーコンサートの間も、雲一つない青空で、楽友協会大ホールも明るい色に満ち満ちていました。あのホールにあんなにたくさんの窓があったというのも、今日初めて気づいたくらいでした。ジョルジュ・プレートルの指揮も、素晴らしい衣装のバレエも、ドナウ河の源流から、黒海に出るまでの約3000kmに渡る旅路を見せてくれたのも、大変よかったと思いました。プレートルは指揮の仕方も表情も、とても愛らしく(ごめんなさい!)、とても親しみが持てて、いっぺんにファンになってしまいました。

   今朝は、日本から来ている友人と一緒に、鶏肉、白菜、長ネギ、ワカメと言う、シンプルな私の実家風のお雑煮を作ってお祝いしました。後は積もるおしゃべりをしながら、身体を休めました。クリスマスに頑張り過ぎてしまったのか、その後熱を出してしまったので、昆布巻き、お煮しめ、豆きんとんなどのおせち料理は作ることができませんでしたが、1月6日の「三聖王の日」の祝日には、少し作ろうと思っています。それからもちろん鏡開きの日のお汁粉もね。


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