4.マウテルンドルフ(Mauterndorf)、オーストリア
2002.8.2&3 マウテルンドルフ城 城の回廊 大司教の私室 2002年8月2日(金) バスの運転手さんに「お城まで往復」、と言うと、このバスはマウテルンドルフの役場前までしか行かない、お城までは歩いていかないと、という。5分くらいで行かれるというので、乗ると、最後は乗客が私だけになった。「マウテルンドルフ!」の声に降りようとすると、彼が手振りで、座ってなさい、と合図する。「?」と思っていると、坂を登り、「マウテルンブルク城!」。特別サービスでお城まで送ってくれたのだ。お礼を言うと、にっこりして「どういたしまして! じゃ、楽しんでおいでね」。お城の入り口までの坂道を上りながらバスを見ると、Uターンして出発するところだった。手を振ると、彼も手を上げて合図し、走り去って行った。 お城の入り口に来て見ると、入場料大人900円。切符を買うと、オーディオガイドを渡してくれた。自分で回りながら、順番に番号を押していくと、そこの説明が流れる。 「中世体験マウテルンドルフ」と言うだけあって、展示の仕方がとてもよくできている。 地下の武器庫では、よろいかぶとをはめ、騎士になって写真が撮れるようになっている。 三階の騎士の間では宴の様子が再現されている。当時のデザインで作られたテーブルや椅子が置いてあり、当時の食器も再現したものが並べてあって、召使のお人形がちょうど、テーブルセッティングをしているところだ。木のお皿、素焼きの大きなお皿に水差し(ワイン差し?)、金属のスプーン。 1500年頃の領主、カウチュ大司教も正面に立って客人と話している。今も家具店で見るような折りたたみ椅子も周りにおいてあり、見学者は椅子に腰掛けて、大司教の客人になることもできる。腰掛けるだけではなくて、食器も全て触ることができる。当時は折りたたみ椅子がよく使われ、旅にも持って行ったのだそうだ。とてもモダンなデザインなのに、この椅子はこんな昔からあったのだ。 当時の宴では、牛や豚の肉、鶏肉と野菜を合わせたものなどと一緒に、パンを肉汁に浸して食べたそうだが、テーブル用のナイフやフォークはまだなく、手で食べた。そして2,3人が一つのお皿から食べたので、手を清潔にしておくことが礼儀だったそうな。スプーンだけはあった。もちろん肉は農民にはとても手の届かない贅沢品だった。 壁には30cm幅位の木が縦に張りつめてあって、壁紙のような模様が一面に薄いグリーンを中心色にして描かれている。所々にえんじ色の地に金色で模様を織り込んだタペストリーが掛かっている。宴を盛り上げるのは道化や楽士たち。 入り口の廊下には、お城と関わった当時の人々の人形と絵があり、説明もとても面白い。二階には衣装庫があって、当時を再現した衣装や帽子がかかっており、好きなものを着たり、かぶったりできる。大人も、道化の衣装や大司教の衣装をまとって、嬉しそうに写真を撮っている。 当時は模様入りの布地は非常に高価だったので、貴婦人たちは無地のドレスの色とアンダースカートの色合わせに工夫しておしゃれをしたのだそうだ。日本の着物の色合わせみたいだ。当時の人々はかなり強烈な色が好きだったらしい。そう言えば道化の衣装は黄色と赤の縞だ。結婚した女性は髪を見せてはいけないことになっていたので、布の下がった三角の帽子をかぶり、布であごで結んだ。未婚の女性は布で作った輪を被り、豊かな髪を見せた。 領主カウチュ大司教の居室は、暖炉のついた前室と私室とから成っている。暖炉はここから召使が薪をくべて、大司教の私室を暖めたのだろう。前室の左側では、大司教様が深いたらいのお風呂に入って、背中をブラシで流している。高貴な方のお風呂のシーンなんて普通見られないので、見学者は興味津々。たらいの上にはぐるっとカーテンがかかっている。大司教様のお風呂の度に下男が、下から(ここは4階だ!)お湯とお風呂桶を運んで来たのだそうだ。 私室に入ると、12畳くらいの部屋の左側に区切られて寝室がある。ベッドの長さが1m20cmしかないのは、横にならず座って眠ったからなのだそうだ!どう考えても横になった方が楽だと思うけどなあ。窓辺にトイレがついていた。椅子式で、カーテンの中を覗くと地上が見えた!つまり、下の空いた空中トイレだ。下を通る人は気をつけないとまずいことになったわけね。 2002年8月3日(土) 古い民家の入り口 現存最古の粉屋。水車で粉を 泉に添いて茂〜る菩提樹(?) |
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