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2011年4月22日(金)ヴィルヘルミーネの丘 今日は熱が下がって初めての外出なので、車で5分のヴィルヘルミーネの丘へ。1週間も寝ていたので、とにかく明るいお日様の光を浴びて、外の空気を吸って来ようというわけです。気温は25℃まで上がり、まるで初夏のよう。 お城のテラスにテントを張ってカフェができていました。足元にウィーンの街が広がっています。アプフェルシュトゥルーデル(りんごのパイ)とカフェラテを楽しみながら、長いことウィーンの街を眺めていました。ここからのウィーンの眺めが一番好きなのです。緑の中に点々とレンガ色の屋根が並ぶ様子が、何かに似ている、何かに似ていると思っていたら、クリムトのアッター湖の絵でした。
2011年4月9日(土)ヴァッハウ 写真の教区教会は14世紀建造のゴシック様式で、左下の黒い部分には、木造の屋根付きのかなり急な石の階段が入り口まで続いています。ハアハア言って入り口に辿り着き、中に入ると祭壇も立派。要塞も兼ねた教会で、外側の壁には、弾丸を打ち出すための丸い穴が並んでいました。要塞兼教会なんて初めて見ました。大きな塔は1531年、オスマントルコの攻撃から身を守るために建てられたものだそうです。内部は後期ゴシック様式とバロック様式が融合しています。そうでした、オスマントルコはスレイマン一世(在位1520〜66)の時、権力の絶頂にあって、ウィーンにまで迫ったんでしたね(第1回ウィーン包囲 1529年)。この辺りの人たちも当時は苦労が多かったのね。
さて、ヴァッハウは杏の花で有名で毎年見に行っているのですが、どうもいつも、あれだけ? 実をジャムにしたり、シロップやリキュールにする杏の木は一体どこにあるの? と思うのですが、どうも一斉に咲き誇った杏の花と聞くと、ドナウ河に沿って並ぶ長い杏の花の真っ白いトンネルをイメージしてしまうのがよくないようです。それは桜の話ですよね。あれは見るための花ですから、見て美しい場所に植えるけれど、実を収穫する杏の木は果樹園にあるので、そこら辺にワーッと並んでいることはないのね、と頭では納得しましたが、桜のトンネルみたいな真っ白の杏の花のトンネルを見てみたいという思いは消えません。なあんだ、私って本当は桜が見たいんだ、きっと! 教会の敷地内で1枚のプレートを見つけました。読んでみると、何とこの建物は、今でも使われている、下部オーストリア州現存最古の学校だそうです。1385年からずっと使われているなんて、すごい! 曲がりくねった細い石の階段を下り、もう一度町に戻ると、さらにもう一つの中世を発見!こちらも14世紀。
この家から右後方を振り返ってみたら、あ、大きな庭のあるレストランが見える!もうお腹はぺこぺこ。あそこに決めよう!と中に入っていったら、内装も感じよく、食事もおいしく、当たりでした。
2011年4月6日(水)リング通りの春(旧市街を囲む環状道路)
2011年4月2日(土)バーデンも春!
2011年3月31日(木)ウィーンは突然、春! 久しぶりに市民公園に行って見たら、何といっぺんに春が来ていました。ここ数日、20℃前後の暖かい日が続いていましたが、並木はまだ裸ン坊で、芽も出ていず、こんなに暖かくても春はまだなのね、と思っていた矢先でした。小鳥が歌い、連翹の鮮やかな黄色が芝生の緑に映えています。芝生やベンチで日向ぼっこする人たちがいっぱい。いつもよりずっと早く、日本よりも一足先にウィーンは春になりました。 2011年3月29日(火)歯のクリーニング でもどうにか晩になっても今のところ、顎半分のレーザー治療と同じ程度の体温上昇。上顎・下顎両方の1時間のレーザー治療で、翌日39℃になったことを考えると、1時間の歯のクリーニングはかなりきつい治療だけれど、それでもレーザー治療より、体の負担は少ないということね。このまま、落ち着いてくれますように。 今日は、日本室内管弦楽団のチャリティーコンサートがあって、ウィーン放送響の友人も参加するし、ぜひとも行きたかったのだけれど、1時間もの治療の後、さらにコンサートに行くのはきつ過ぎるので断念。他に予定がなくてコンサートだけなら行かれるので、そういうチャンスを狙うしかない。一度、日本室内管弦楽団の演奏を聴いたけれど、とてもよかった。今日のコンサートが大成功でありましたように! 日本でみんなが大変な思いをしているのに、何もできない自分がもどかしい。私にできることは日本の両親にまめに電話すること、友人・知人にメールで応援すること、寄付すること、そしてウィーンやオーストリアでの日本の大震災に向けての活動を、日本にいる人たちに伝えること。そして無熱期間を伸ばしながら、健康を回復していくことだ。今の私は、日本へ飛ぶ体力さえない状態だけれど、でも私なりにできることで、みんなの力に加わっていけば、ちょっとずつその力も大きくなっていくはず。 計画停電、通勤困難、放射能漏れ、クルクル変わる放射能値、食品の販売自粛。避難所に暮らす方々はもとより、自宅にいる方々も、不安や恐怖や心配で心身ともに疲れを感じられることが多々あると思います。そんな時は、どうぞ頑張らないで下さい!ほんのちょっとの会話や音楽に、小さな楽しみを見つけて、心に一息つかせてあげて下さい。頑張り過ぎると心も身体もパンクしてしまいますから。ああ、温泉に入れてあげたい、美しい音楽聞かせてあげたい、楽しい漫才聞かせてあげたい・・・。碁や将棋や、トランプ、その他ゲームを差し入れするのもよいアイデアかもしれない。画用紙やクレヨン、折り紙も。 今日、ウィーンの老人ホームに住む元義父の姉と電話で話しました。ホームの住人たちはほとんど年金で暮らしている人たちで、充分なお金があるわけではありません。それでも皆、暖かいベッドがあって、地震もないところで暮らせる私たちは、被災者たちに比べれば何と恵まれていることか、と語り合って、食堂に置かれた募金箱に次々と寄付して下さっているそうです。 2011年3月25日(金)東日本大震災救援活動−ウィーンから 余震もかなり大きいものが起こっている様子、みなさま、不安な時間を過ごしていらっしゃることと思います。自宅に帰れなくなってしまった方もいらっしゃるかも知れません。津波の被害はテレビ画面を見ているだけで、恐ろしくなるような規模です。 2011年3月6日(日)レーザー治療・誕生日・オーパンバル 3日(木)は、本当ならもう一日休んだ方がよかったのですが、続けて休むと、翌週になってしまって、日が開き過ぎてしまうし、そうするとレーザー治療そのものの効果がグンと落ちてしまうので、ちょっと無理をして治療に行きました。今回は下顎だけでした。いつもの片方の治療だけでも、私の場合は、その日の晩に必ず0.7〜1度位体温が上がるので(でも翌日下がる)、レーザー治療と私の体温の関連についてもお話ししました。 お雛祭りの三日は私の誕生日でもあるので、治療の後、食事に行くつもりでいたのですが、両方はきつ過ぎるので、お祝いの食事は延ばすことにし、今年はちょうど3日になった国立オペラ座舞踏会(オーパンバル)のオープニングを見ながら家でささやかにお祝いすることにしました。 レーザー治療は週2回、ケヴィン先生の診察に行ったり、他の所用も済ませなければならないので、急に外出する回数が増えました。3ヶ月前だったらとても考えられなかったことで、こんなことができるようになったのは、ものすごく嬉しいことですが、やはり体力的に大分負担になるのと、治療の度に体温が上がったり、熱が出たり、1時間のうちに体温が1度も上がってしまったり、あるいは下がったりして不安になったり、とにかく今まで経験しなかったことばかりで、また熱が出たりはしないか、無事治療を終えるまで通えるかどうかと、神経もとても疲れて、この週末はバテてしまっていました。
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