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2011年10月30日(日)今日から冬時間!
今日は10月最後の日曜日。3月最後の日曜日に夏時間に切り替えて以来、ずっと夏時間で暮らして来ましたが、今日の午前3時に時計を一斉に1時間戻し、冬時間に切り替えます。夏時間切り替えの時に得した1時間を失うことになるわけで、いつもより1時間睡眠不足になりますね。(これを書いている今は、30日の午前1時56分。厳密にはあと1時間4分で切り替えです。コンピュータの時刻は自動的に切り替わります。また自動切換えになる時計も売っています)。
これで、日本との時差はまた8時間に戻ります。日本が午後8時の時、オーストリアは同じ日のお昼の12時です。日本が8時間先を行きます。国際電話をかける方、またメールの相手への着信時間の計算などに、お気をつけ下さいね。今日から、来年の3月の最後の週末まで、冬時間を使います。
2011年10月25日(火)風邪が大流行中
14日の掲示板に軽い風邪を引いてしまったけれど、どうやら追い払えそう、と書いたのですが、残念ながら16日に私の熱に移行、20日に下がりました。
それでも無熱記録(厳密に言えば私の熱が出なかった期間)は45日!今までほぼ3週間おきに熱が出ていたことを考えると、いっぺんに2倍以上に伸びたわけで、自分でも信じられないような記録です。これだけ間が空けば、やっと人に会ったり、観劇に行く余裕もできます。グレー一色だった世界に、ぽつぽつと明るい色が見えてきました。嬉し〜い!!!この分で60日、90日、120日・・・と、伸ばして行きたいな。
近所の友人がやはり風邪を引いてお医者さんに行ったら、今はウィーンっ子の2人に1人が風邪を引いている、と言われたそうです。こんな状態なので、電車に乗るとそこらじゅうで咳をしているし、治っても、2度、3度と引き直す人がいっぱい。会社では風邪で休んでいる人だらけだし、家族の誰かが風邪を引くと他の人にも移っちゃうしで、なかなか治れないし、う〜ん、この風邪世界から抜け出すには、生姜とビタミンCをいっぱい採って、うがいと手洗いをしっかりし、睡眠と休みをたっぷりとって、抵抗力をつけるしかないのかしらね。私もちょっとビクビクドキドキしながら、がんばって抵抗中です。
このところ毎日空を見上げるだけで、やる気が全て失せてしまうような、どんより曇って、霧の多いお天気が続いています。最高気温は10℃前後。
楽しいことをして内側から風邪を吹き飛ばしましょうね!
2011年10月7日(金)今日から晩秋?
さて、数日前からの天気予報どおり、今朝から突然気温がいっぺんに20℃も下がり、お昼で9℃!昨日まで、まるで夏のようだったのが嘘みたいです。お天気がよいうちにあちこち出掛けておいて本当によかった!山岳部では雪が降り、誰もまだ冬用タイヤに替えているドライバーはいないので、あちこちで事故が起こったり、走れなくなって往生したりしました。近所への買い物はさっそく冬のコートを着て出掛けました。家の中の暖房の準備もしました。余りの気温の移り変わりに風邪を引いている人がたくさんいるようなので、気をつけないと。そろそろ冬を迎える覚悟もしないとね。
2011年10月4日(火)ケヴィン先生
今日は4週間ぶりにケヴィン先生の診察に行って来ました。9月に秋のマウテルンドルフでうんと元気になって帰ってきた後ですから、どんなこと言われるかなあ、と楽しみにしていたら、腹診の後、「お、よくなってる!」 と声を上げられたので、すごく嬉しくなりました。無熱期間も今日で34日です。今回の漢方薬は今の私にピッタリだったようで、「今はどんどん解毒をするのがいいようだね」と、さらに1ヶ月ほど、同じ漢方薬を続けることになりました。たった10日余りの休養であんなに元気になれたのですから、休養の大切さと同時に、秋の空気は夏よりも効果が高いというのは本当なんだと納得しました。さて、今回の回復をきっかけに、どれだけ無熱記録を伸ばせるか、乞うご期待! がんばろうっと!
2011年10月1日(土)クライスバッハ城
先週の週末から素晴らしいお天気の、しかも暖かい秋の日が続いています。今日もまた最高のお天気! これはもうどこかへ出掛けなければ犯罪的!というわけで、車で西へ45分ほどの町、ヴィルヘルムスブルクにあるクライスバッハ城を訪ねて来ました。12世紀末に、クリュースパッハのディートリクス1世によって建てられたと文書に出て来るそうです。その後城主が何人も入れ替わった後、荒廃するにまかされてしまい、完全に廃墟となる寸前、ある建築家のイニシアティブによって、クライスバッハ城文化協会が結成され、1999年から協会によって修復が始められ、現在、建物入り口の門、チャペル、地下室の一部の修復が完成したところです。入り口の門はゴシック様式、チャペルはバロック様式、そして地下室はロマネスク様式です。こじんまりと愛らしい感じのお城で、とっても気に入りました。
チャペルは、修復の過程で元の壁の色彩が現れて来たので、古い方に合わせて、淡いローズ色と抑えた黄色によって修復を行ないました。花の模様によく合って、とても美しいチャペルです。解説を聞きながら、う〜ん、この色きれい、とぼ〜っと眺めていて、写真を撮るのを忘れてしまったのが、とても残念!ここではミサのほか、結婚式、洗礼式やコンサート、朗読会などが行なわれ、式の後は、地下のロマネスク様式のホールで祝宴ができます。
お城の門。上に日時計がついています。門の左の部分が修復完成部分。右に続く長い建物はこれから。
右上の写真に並んで見える、白っぽい海苔巻きみたいなものは、穀物を刈った後のわらで、家畜小屋の敷き藁として使います。写真の左手前にお城に属していた農場の建物があります。
まずは、お城の手前にある、これも昔はお城に属していたと思われる古い建物に入っているレストランで、遅いお昼を取って腹ごしらえ。チャペルを見学し、お城の庭を散策した後は、もう一度レストランに戻って、コーヒーフロートを食べて(飲んで?)休憩し、ウィーンへ戻りました。ここのウェイトレスが荒っぽいけれど、とても思いやりのある温かい物言いをする人で、「とってもいいね、これが地方のあったかさと気さくさなんだね」と話しましたが、車で1時間も離れていないのに、ウィーンとはこんなに違うんだと文化の違いにびっくり。
チャペルの案内人に、日本から来たと言ったら、「おお、そうですか!ちょうど私の兄が昨日、日本から帰国したのて、ウィーン空港まで迎えに行って来たところなんですよ」ですって。化学専攻の研究者でドイツの大学で教えているのだそうですが、1年か2年、日本へ研究留学をして、昨日帰って来たんだそうです。こんなところで日本と関係のある人に出会うなんて、縁て不思議なものですね。
昔、このお城に住んでいた残酷な騎士の伝説が紹介されていました。
*******何百年も昔のこと、クライスバッハ城に残酷な騎士が住んでいた。ある日、騎士は罪もない下僕を首吊りにしようとした。執行人が下僕の首に縄をかけようとしたその時、下僕がいたところに突然小人が現れて言った。「用心するがいい! このまま不正を続けるなら、災難が降りかかるぞ!」騎士は小人に襲い掛かった。すると恐ろしい落雷の音が響き、花咲き乱れる城の庭園は砂漠と変じ、逃げ出した騎士は、土に飲み込まれてしまったそうな。*******
クライスバッハ城の歴史を調べてみたら、ちょっと興味深いことが見つかったのでご紹介。クライスバッハ城は、1521年イェルガー家のものとなりましたが、イェルガー家はルター派(新教)の熱心な推進者でした。新教の教義は、まもなくカトリックの神父まで新教に替わるほど、あらゆる身分に浸透し、ヴィルヘルムスブルクは、当時、周辺各地の教会全てを含めたプロテスタントの砦、精神的な中心地となりました。17世紀、イェルガー家最後のベルムヘルトは新教を広めるために熱心に努力を続けましたが、反宗教改革の波の中で、皇帝フェルディナンドU世によって、全財産剥奪の宣告を受け、国外追放されました。
いつも保養に行くザルツブルク州のルンガウ郡(マウテルンドルフ、タムスヴェーク、マリアプファル、ヴァイスプリアッハなど)で盛んなサムソン行列も、その起こりは、新教が普及し過ぎたため、勢力回復のため、カトリック教会が神父をルンガウに送って布教活動をさせた際、当時は字の読めなかった人も多かったため、目に見える分かりやすい形にするため、聖書の英雄、サムソンの人形を使って布教したのだそうですから、当時、現在のオーストリアのかなり広い地域に新教が広まっていたのだと驚きます。何しろ現在のオーストリアはカトリック国と有名なんですから(ローマカトリック78%、プロテスタント5%、その他イスラム、ユダヤ教など17%。ウィキペディアより)。
2011年9月26日(月)お調子熱
保養先では、毎日毎日、目に見えるような勢いで体力回復していくのが感じられ、食欲も出て、口内炎も治って行く、という今回のような体験は全く初めてだったので、嬉しくなり過ぎてしまって、調子に乗って、私の胃の能力を超える量を食べてしまったらしく、ウィーンに帰る前日の晩と、土壇場になって微熱が!
でもこれから熱が上がるなら、ウィーンにいた方がよい、ということで帰って来ました。
シンプルなのにすごくおいしいジャガイモのパンケーキ、「レスティ」
熱が出た事情に気づいてウィーンでは、即絶食に近い食事に変更。朝昼兼用食に、人参ジュース1杯とプチパン半個。晩はポテトピューレを少しだけ。
それで下がって来たと喜ぶと、また私の熱に移行するのではと思えるくらい上がったりするのに、ちゃんと下がるでもなく、でもガンと上がるでもなく、と何日も落ち着かないので、もう待ちくたびれて、そうだ、昔からオーストリアに伝わる解熱法のお酢の湿布を試してみよう、と思いつき、実行したところ、これが大当たりでした!お酢で絞った布を足首から膝下まで巻きつけ、乾いたら取り替えて、3回ほど繰り返します。
そうしたら夜の間にうんと発汗し、朝になると何といっぺんに35.6℃! で、喜んだらまた夕方微熱が出て来たので、もう一度湿布したら、やはり夜中に発汗して、26日の今日は、何と34.6℃(!)。これほど下がリ過ぎるとかえって心配になるけれど、でもここまで来ればもう大丈夫と判断しました。湿布のあと、布がすごい匂いになったので、有毒物質を大いに吸収してくれたようです。古くから伝わる民間療法には、それだけの意味があるんだ、と感激しました。
そしてついに私の熱にはならないで済みました。これも結局保養の間に蓄積した体力があったおかげでした。なにしろ熱が出て、何の薬も飲まずに自力で下がったのは、初めてなのです! というより、ほとんどの場合、私の熱に移行してしまうのに今度は初めて何の薬もなしで自力で立ち直れたとも言えます。
それで前回私の熱が下がってから、今日は無熱26日目。あと2日で今までの記録を更新します!
それにしても、私の問題は胃腸にあるんだとはっきりわかったので、体調がどんなによくなっても食事は控え目に、甘いものはさらにずうーっと控え目にしなくては、と心底身に沁みました。
2011年9月21日(水)秋のマウテルンドルフ
7月初めから9月に入るまで、熱といつもの熱よりひどい症状が交互にやって来て、結局山での保養は何の保養にもならなかったので、思い立って9月10日からまた夏に泊まっていた山の宿に行って来ました。今度こそは本当に保養して、体力、免疫力を上げてこようというわけです。大分元気になったので、
今日帰って来ました。
草を食む馬(ヴァイスプリアッハ) 愛らしい農家
行ったのは大正解でした!山の新鮮な空気のお陰で、疲れてよく眠れて
(たっぷり眠ってお昼寝もしてとにかく眠りに眠りました)、日に日に体力が回復してくるのがわかったし、山の空気でお腹が空いて食欲も出てきたし、ひどい口内炎もどんどん回復して数日で普通に食べられるようになりました。
「農民の秋」の催しの飾りつけ 秋の味とおしゃべりを楽しむ人たち(タムスヴェーク)
9月だからもう寒いのではと、しっかり冬支度をして行ったのですが、運良くお天気にも恵まれて、美しい秋の日々を楽しむこともできました。16日には素晴らしいお天気だったので、正直言って乗る前はちょっと怖かったけれど、4人乗りの小さな飛行機で、アルプスの遊覧飛行までして来ました。宿のすぐ近くに小さな飛行場があるのです。上から見る山々の眺めの素晴らしかったこと!本当に行ってよかった!このままウィーンでも何とか睡眠を保つようにして、さらに免疫力を上げて行きたいと思います。みなさま、ご心配本当にありがとうございました。
町が小さく見えます 遠くに連なる山々と素晴らしい雲
パイロットは、何と泊まっている宿のご主人でした! こんな小さな飛行機で飛びました!
日本中が台風の影響で洪水、というニュースは保養先のテレビで知り、びっくりしました。5秒間くらいだったので、どこがどのような被害を受けたのかは、全く分かりませんでしたが、本当に今年は災害続きでみなさん辛い思いをされていますね。早く台風シーズンが終わりますように、地震も早く収まりますようにと祈らずにはいられません。
2011年9月8日(木)再びケヴィン先生
昨日は久しぶりにケヴィン先生の診察に行って来ました。ここのところ、口内炎が次々とできて収まらず、痛くて食べるのが大変なのですが、夏以来の熱その他ひどい症状の繰り返しで、免疫力が落ちたまま回復しないため、非常に感染しやすくなっているからでしょう、ということでした。歯の薬のひどい副作用でガ〜ンとやられた痛手はまだ尾を引いているようです。ほんと、あれには参ったもの。
こんなに真面目に、せっせと歯を磨き、薬でうがいしてるんだから、いい加減治ってよ〜お。次はぜひおいしいものの話題にしたいな。そうそう、突然やって来た熱帯日はピッタリ1週間で退散し、朝夕は大分冷えるようになりました。近所へ買い物に行くのに、今日はまたウールのブレザーが登場。ああ、もう秋もすぐそこだなあ、と感じさせます。
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