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旅日誌2007
今年は初めて休暇先で開かれるコースに参加してみようと思いました。で、 もうずいぶん会っていないグラーツの友人も訪ねられるよう、シュタイヤーマ ルク州の山岳地方でホテルを検索、グレベンツェン自然公園の中の古城ホ テルで呼吸療法コースが開かれるのを発見、ホテルも周囲もすてきそう!と いうことで、これに決めました! コースの前後に友人を訪ね、全部で8月10 日から19日の予定です。
1.グラーツ (2007年8月10日〜12日)、オーストリア
8月10日(金)
山上の公園から見たグラーツの街 市井の娘との結婚のために皇位相続権を
捨てたヨハン大公の像
金曜日のお昼頃ウィーンを発ち、午後2時半にグラーツに到着。友人のヘルガが駅まで迎えに来てくれました。彼女とは2004年にチロル州のハルで開かれた国際児童図書評議会オーストリア支部の夏の研究集会で知り合いました。彼女は保育士と図書館司書の資格を持っていて、図書館や学校でお話会や異文化体験イベントを開いています。会うのは一体何年ぶりかしら
ね、と考えて見たら、2年前にウィーンで開かれたカトリック系の児童書研究組織の例会に一緒に参加して以来。
何度かに分けてお話会をした子どもたち全員(250人!)にハート型のレープクーヘン(はちみつと重曹を使ったクッキーのルーツとでも言うべきお菓子でクリスマスに食べます。ヘンゼルとグレーテルのお菓子のおうちもこのレープクーヘンでできていました)を手作りで焼き、リボンをつけて首にかけられるようにしてプレゼントしたら、とっても喜ばれて嬉しかったこと。外国人の子どもたちが増えて、ドイツ語ができずに小学校に入って来るようになったため、入学前にドイツ語の授業をすることになり、トルコ人の子どもたちを受け持つことになった彼女が、異文化思考・メンタリティーを持つ親たちが、子どもがドイツ語を覚えることの重要性をまるでわかってくれなくて苦労したことなど、溢れるように話して聞かせてくれました。彼女の子どもたちへの愛と情熱、子どもたちを喜ばせるために時間も苦労も惜しまない姿勢には、いつも感嘆してしまいます。
彼女の話の中でも特に印象深かったのは、11時になると決まって泣き出したトルコ人の男の子の話。11時になると急にそわそわと落ち着かなくなり、泣き出したのだそうです。聞いても何も答えないし、父親を呼んで聞いても何にも理由はないと言います。それでも男の子は泣き止まない。ついにわかったのは、11時になると家に子どもが誰もいなくなり、そうするとおとうさんがおかあさんをぶったり、蹴ったりするからだったのです。それを知っている男の子は、おかあさんが心配でかわいそうで、居ても立ってもいられなくなって泣いたのでした。これは明らかに家庭内暴力ですが、色々解決策を試みたのだけれど、父親に母親に対し暴力を振るうのを強制的にやめさせることは出来ませんでした。
また妻はドイツ語を覚える必要など全くないと思っている男性が多く、ドイツ語圏で暮らしているのに、妻にドイツ語を習うことを禁止する男性すらかなりいるそう。母親が全くドイツ語を話さなければ、もちろん子どもがドイツ語を勉強したいと思う気持ちはそがれます。また女の子は、美しくて縫い物ができればそれでよい、それ以上は必要ないという考え方が、オーストリアに移住して来ているトルコ人の中にはかなり根付いていて、女性が能力を伸ばすこと自体ができなくされている、とヘルガは悲しさと怒りを抑え切れないようでした。
政府は、入学前の子どもたちにドイツ語教室を開くだけで、ちゃんとやっているつもりになっているけれど、まず親の方を啓蒙しなければ、子どもたちは勉強できない。しかも、親の啓蒙と言っても、深くトルコの宗教や伝統・習慣に根付いているから、簡単にできるものでもない、と。
でも異文化圏で生活する以上、その社会のルールを理解し、その文化圏の人々と平和的に暮らすことができるだけの言語能力と思考の弾力性を身につけることは必要不可欠です。これをまず移住してくる大人たちにわかってもらう対策がどうしても必要です。そのためにはヘルガが現場で感じているような状況にまで目を向けなければ、有効な対策は立てられません。
8月11日(土)
翌日の土曜日は、山へきのこ狩りに行こうという計画を立ててくれていました。ご主人が車を運転して約45分、何と1400mまで登りました。これから行く山のホテルより、600m以上も高い! 州都から1時間もしないでこんな高いところに来られるなんて、さすが「緑のシュタイヤーマルク州」と言われるだけのことはありま
す。残念ながらかなり涼しくて、しかもポツリポツリと雨が降ったり止んだりのお天気なので、長袖セーターにキルティングを施した冬用ジャンパー、さらに撥水加工の大きなジャンパーを借りてその上に着て、バッチリ防寒・防雨装備を整えました。
さてこれからきのこ狩りをするところはかなりの急斜面。きのこは雨の後にたくさん生えてくるので、今日は絶好のきのこ狩り日和。しかも今日は寒いので、余り人もいない。ただし、きのこ狩りはうんと朝早く来ないと、もうみんなが取った後になってしまいます。私たちは9時か9時半に家を出たので、目に付きやすい場所にはもう全然ありません。それでも根気よく急な斜面を登り、小さな木の陰を覗いて回ったら、あ、あった!あ、ここにも!というわけで、収穫は少ないながら、2〜3時間でビニール袋いっぱいくらいになりました。
集めたのは一番多いアンズダケ。黄色い卵色をしているところからオーストリアのドイツ語では「タマゴダケ」と言われます。美味で有名なため貴重なヤマドリダケも立派なのを1本見つけました。さて、怖いのは、自分で集めたキノコを食べて死ぬ家族が毎年必ずいるということ。その話をしたら、僕たちはもう子供の時からキノコ狩りをしているので、キノコのことはよく分かっているから絶対大丈夫!というので、ホッと一安心。
晩のおかずはもちろん「キノコのスープ」です。採り立てキノコで作ったスープの味は格別でした。しかも自分で集めたんですから、おいしさはさらに倍増!
ゴミと土をとったキノコ おいしいスープになりました!
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